president

社長に学べ!<おとなの勉強は、終わらない。>


第12回 できるまでやるという方針。



HAL研の時代、わたしは
「もし自分よりも社長として
 適性のある人がいたら、
 いつでもかわりたい」

と心から思っていたんです。

だって、
自分の得意なことは、ものを作ることなんです。
ものを作ることだけをすればいいという
役割分担で仕事ができるなら
自分はそれでぜんぜん
アンハッピーではないと思っていたんですね。
岩田さん、社長の期間も、現役で
プログラマーをやってましたからね(笑)。
ええ、まぁ
いそがしくなればなるほど、
土日しかプログラムは書けないとか
いうことになっていくんですけど、
土日はやっていました。


だから社長でなければ
いつでもそれができるわけだし、
たとえば敵対する関係として
「この人が自分の地位を狙っている」だとか
「おとしめて
 自分がトクをするかけひきがある」だとか
「いつか憂さを晴らしてなりかわってやる」
とかいうようなドラマが
世の中にはいっぱいあるようですけど、
わたしのなかにはそれがないんです。

……さっき
「不満をきくだけじゃなくて、
 いいたいことをいうんです」
といいましたよね。

わたしの「いいたいこと」って、
なんだと思われます?
優等生的には
「一緒のハッピーを考える道」
みたいなことはいえると思うけど。
もちろんそういうことに
つながるんですけど……やっぱり
みんな納得してはたらきたいんですよね。

ただ、会社がいろんなことを決めたときに、
ふつうの社員の人たちは
ほとんどのケースで
なぜそう決まったのかがわからないんです。
情報がないですから。


そのなかには
現場ではたらいている人の視点から見て
「社長がこういっていることは、
 すごくわかりやすくて納得がいく」
というケースもあるんですが、
「社長はあんなことをいっているけど、
 どうして?」というようなことが
いっぱいあるんですね。

面談で話をきいていると
「この判断の背景にある
 この理由が伝わっていないんだな」
「わたしがこういったことが曲解されて
 こんな不満を持っているんだな」
とわかるんですね。

そうしたら、自分はどうして
こういうことをいったのかとか、
なにがあって
こういうことを決めたのかということを、
もちろんなにもかも
しゃべれるとは限りませんが、
その背景を説明していくんです。

結局は
「こういう材料がそろっていたら、
 君ならどう考える?」
ということをきいているんです。
「ぼくでもそうしますね」
ということになったら、安心じゃないですか。
おなじ価値観が共有できていることがわかると、
おたがい、すごくしあわせになるんですよ。
子どもが
「こんなごはん食べられない!
 マズイからイヤだ!」
といっているときに、岩田さんは
ちゃぶだいをひっくりかえすのでもなく、
かなしむのでもなく
「なぜこのごはんなのかを説明しよう。
 おまえもわかってくれ」
と話しかけるとでもいいますか。
まさしくそうです。
一般的には、
ちゃぶだいをひっくりかえして、
男らしいリーダーシップを
取るという方法が
ないわけじゃないんでしょうけど……。
それは時間効率はいいんですけど、
共感は得られませんからね。

相手が誤解したり
共感できなかったりする要因は
なんなのかというのには、
いくつかのパターンがあると
わたしは思うんです。

そのいくつかの組みあわせで、
人は反目しあったり、
怒ったり、不幸になったり、
泣いたりしているわけです。

その要素は
だいたいがからまっていますから、
ひとつずつほぐして原因をつぶしていけば、
すっきりするわけです。

わたしが面談で
何分かけるかというのは、つまり
「相手がすっきりしたらやめている」
ということなんです。
つまり、できるまでやるということですか?
はい。

「できるまでやる」
と、それも決めたんです。


でも人がやっていますから、
すっきりしないで終わるときもあるんです。

すっきりしたと思ったのに、
微妙に出ていたアンハッピーのサインを
自分がつかみとれなかった
ということもあるんです。
いまの岩田さんは、
伝えることがじょうずで、
面談の話もじょうずだけど、
きっと社長になった当時の岩田さんは、
もっと伝えることがヘタだったはずですよね。
はい。
自分を伝えるとか、
相手への理解を伝えるとか、
そのときの表現力からするとすごく
むずかしいことをやってたのでしょうが、
逆にいうとそのヘタさが、
もしかしたら相手に
「まるめこまれたような気を持たせない」
という効果もあったんじゃないでしょうか。
「まるめこまれたような気が、
 たまにすることがあるんだよね」
という人がいなかったわけではありません。

だけど、おなじことをやって、
何十人もの人にひとりも
「まるめこまれたような気にさせない」
ということがありうるのかというと
それは無理だと思いますから、
それなりのレベルでは
できていたんじゃないですかね。
むしろ表現の技術が低いがゆえに、
情が出たのかもしれないと思うんです。

じょうずになるとか
学ぶとかいうことにはリスクがある、
とぼくは考えるんです。


もしおんなじHAL研究所の社員に
いま面談したとしたら、説得されるのが
はやくなってしまうんじゃないでしょうか。
「ほら、やっぱり
 岩田さんは『じょうず』だから」
といわれてしまうのは、きびしいですよね。

じつは広告の世界も
まったくそうなんですけど、
「イトイさんはうまいこというから」
といわれるのはきついんです。
それでどんどん
「はやく技術を止めないといけない」
という地点でぼくは
「ほぼ日」をやりはじめたわけじゃないですか。
なるほど。
いろんなところで「しばり」をかけて、
技術の勝負ではないと……。
「私心なく」ということを
あまりにもじょうずに伝えてしまったら、
それは私心そのものですからね。
ええ。「私心なく」は、
他のところでしか示せないんです。
みんながドラマであまりにも
「あなたを死ぬほど愛しています」
といっていて、愛の伝えかたは
どんどんインフレしていくなかで、
もしほんとうに死ぬほど愛している人が
目の前にいたとしたら
なんといえばいいんだろう、
という問題になるんですよ、たぶん。
表現のテクニックの問題ではないですよね。
声の出しかたを俳優に学んだってだめで、
結局のところ、その人は、単に
余計なことを考えず、ほんとのことを思って
そこの場に立つということしかないですよね。
みんなが信用してくれた
非常に大きな要因は、
わたしがその面談を
つづけてきたことだと思うんです。


生半可な覚悟ではつづけられないだけ
しんどいことだということは、
誰の目にもわかりますから。
岩田さんが
「明日から全員と面談なんで」
といいながら帰るとき、
いつもぼくは仲間と笑っていたんです。
「あの人は、
 どうしてああいう人なんだろうね」
「どうして
 ああいう人ができあがるんだろうね」
と、奇特な人というのが世の中にいるなぁ、
みたいに話していました。
そういっていないと、
自分も全員と面談しなければいけないような
気がしていたからです。
(笑)もうしわけないですね。
ぼくは面談から逃げていたんです。
きくのがこわかった。
でも今日、ちゃんとお話をして、
納得がいったらやろうとさえ思っています。

もちろん、つまり
岩田さんとおんなじことをやったら
だめなんだとは思うけど。
岩田さんは岩田さんの考えた方法を
ほんとに一生懸命考えて、たとえば
足りなかったらくりかえそうとかいうふうに
やってきたわけですから。

それはもうほとんど、
「ほぼ日」が、毎日出すことでしか
「あいつはいいかげんなやつだ」
と思われない方法はなかったという……。
ええ、それととてもよく似ていますよね。
ぼくはたぶん
ちゃらんぽらんだと思われやすい人間だったので、
誰がなんといおうと、
毎日だけはやめないということを、つづけました。

岩田さんは
そう思われやすい人間ではなかったけど、
切実に社員に会う必要があった、
ということですよね。

そうじゃないとあの時期にあの借金を抱えて
あの会社をまわしていくなんてことは
できなかったという……。


第12回おしまい。明日に、つづきます
2005-03-16-WED