Hobo Nikkan Itoi Shinbun 社長に学べ! おとなの勉強は終わらない。vol.6  株式会社パソナ社長 南部靖之×糸井重里


第6回 もっとひどい人がいた。

会社を興してから
今年でちょうど30年になるんですよ。
そもそも座右の銘の
「迷ったらやる」というのは
親父が僕を山口県の萩に行かせてくれたことから
見つけた言葉なんです。
  そうか、30年前‥‥。
お父さんは、最初から
南部さんが会社を興されることに
賛成してた方なんですよね。
 
そうです。
でも、僕は最初、NPOでやろうと思ったの。
株式会社のことを知らなかったし、
どうしていいかわかんなかったから。
ただ、親父に
「『ボランティアで、チャリティの
 いいことをやります、だからお金ください』
 そんなことでは、お金もらってる範囲でしか、
 ものごとができないよ」
と言われたんです。
「もしほんとうに大きくやろうと思ったら、
 自分で稼いだお金でやれ」
と。株式会社作れってわけですよ。
僕もそこで、なるほどなと思いました。

僕はそのとき、大学の四回生でした。
11月頃だったかな。
就職活動をしてもなかなか決まりませんでした。
  それは焦りますね。  
でも、自分よりももっと惨めな人がいっぱいいた。
それは、女子大生たちです。
あの頃、女子大生の就職率は16パーセントでした。
10人に1.6人しか就職できないんです。
それも親父が大会社の役員の人だとか、
代議士にコネがあるとか、
そういうことでしか就職できない。
ところが、その女子大生はまだいいの。
もっとひどい人がいた。

誰かといったら、
会社の中で既に働いてる女性たちでした。
彼女たちは、男尊女卑の社会のなかで、
毎日仕事をしてた。
だって、一緒に会社に入っても、
男性は何もしなくたって年功序列で
係長、課長になっていくんだもん。
女性はどんなに優秀でも、
給料は上がらないし、
肩たたきでやめなくてはならない。
それでも、みんな
10人に1.6人の就職率を乗り越えて、
就職難を吹き飛ばして、
そういうところに就職しようとしているんです。

ところが、その人たちはまだよかったの。
もっとひどい人がいた。
  まだいたんですか。  
誰かといったら、それは、
会社を辞めた女性たちです。
今度は絶対絶命。
女性には出産や子育てがある、
ご主人の転勤がある。
まだ若くて能力がいっぱいあっても、
辞めた瞬間に100%社会に戻れない。
パート、アルバイトの賃金はムチャクチャ安い。
だから、離婚は絶対できないね(笑)。
もう大変。
離婚した瞬間に生活できなくなるんだもん、
女性たちは。
こりゃひどいというんで、
僕は人材の派遣をはじめることにしたんです。
  それが、30年前ですね。  
そう、30年前。
ところが、大学の先生や就職課は、
「何考えてんだ。就職が当たり前だ」と言う。
  「自分が学生なのに」ってことですよね(笑)、
まわりからしたら。
 
「まず一部上場の会社を狙って、
 それがダメなら二部上場。
 それもダメなら、誰もが知ってる
 有名な会社に入れ」
と言われました。そして
「入りたい会社が定まったら、
 そこに入った先輩がいるから
 電話をかけて業務の内容や
 残業が多いかを聞け」
と。残業が多いかどうかを確かめるとは、
つまり安定志向ですよね。
  そういう考えですね。  
僕の親父は逆だったんですよ。
30年前のある日、生活協同組合のチラシの裏に、
2つの言葉を書いて、僕にくれました。
それが僕の座右の銘になったんだけどね。
1つは、「土薄き石地かな」
土が少ない、石ばかりの地面のことです。
土から芽を出すのは簡単だけど、
石の間から芽を出すのは大変でしょう?
でも、一旦芽を出すと強いってわけ。

そして、もう1つは、
「艱難辛苦(かんなんしんく)
 汝を玉にす」

若いときは苦労を買ってでもせよ、ということ。
  そりゃ、農業の話と似てますね(笑)。  
ほんとうだ!
言われてみたらそのままの話だ。
ありゃー、怖いねえ。
えらいことやね、これ。
今まで気がつかなかった。
  厳しい環境で、石だらけの土地で
育った野菜がおいしいのとそっくり。
びっくりしました(笑)。
 
ゾクッとするね。寒気がするね(笑)。
僕は最初、大学側の言うことを聞いて、
就職活動をはじめたんですが、
12月も終わりの頃になると、
どんどん不安になっていきました。
親父から見れば、それがわかるわけ。

どうしようかと思っとったら親父がね、
「萩に行け」っちゅうわけ。
吉田松陰の松下村塾に行け、と。

1月、年明けてから萩に行って、
3日目に帰るときにやっと気がついたんだけど、
吉田松陰の座卓の後ろかどこかにあった掛け軸に、
こんなことが書いてあったんです。

「知識をつけることは
 行動することのはじまりであり、
 行動することはつけた知識を
 完成させることである。
 行なわなければ、知っているとは言えない。
 知っていても行なわなければ、
 知らないのと同じである。
 知って行なってこそ真知だ」

行動することは、
つけた知識を完成させることなんだ。
もう、「これだ!」と思いましたね。
しかし、僕は、こりゃ長いな思いまして(笑)
「迷ったらやる」と、
自分の言葉に置き換えました。

もし親父があのとき「萩に行け」と言わなければ、
僕はおそらく会社を興さなかったと思うんです。
ということは、この人材派遣産業は、
今より5年から10年遅れていたでしょう。
今はもう派遣業は
2兆8千億円、7千社です。
それが、この30年間で起こったことです。
  常識になったんですからねえ。  
今はもうだれもが知ってる言葉に
なっちゃいましたよね。
(明日につづきます!)
2006-09-12-TUE
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