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キミも、あなたも、とびだせどうぶつの森

nagata
2013/02/01 14:04

それでは、またー!

永田です。

各自の挨拶も終わったようですので
これにて、中締めとさせていただきます。
これまでご覧いただき、
ありがとうございました!

また、読者ページのほうにも
たくさんのご投稿をいただき、
どうもありがとうございました。

ひょっとしたら、誰かがひょいっと
更新することもあるかもしれませんが、
とりあえず、ここでいったんおしまいです。
また、つぎの『どうぶつの森』で
お会いできますように。

それでは、またー!
nagata
2013/01/31 19:30

最後の大冒険

ありがとうございました、と言って
しみじみと終わらせるのもいいけれど、
なんか、最後に、ひとつ、
おもしろみのあることができないかなと考えた。
で、思い浮かんだことがあったんです。

ご存じの方はご存じですが、
わたくしという人間はたいへんに
オーソドックスを好む性質であります。
オーソドックスな人間が
ベーシックなシャツを着て
シンプルなズボンと
コンサバティブな靴をはき
スタンダードなヒット曲をくちずさみながら
陽の当たる王道を行く、
そういった人間でございます。

ですから、洋服屋さんの2階に
まったく行く気がなかったのです。
そう、わざわざ髪型を変えるだなんて
これっぽっちも思わない。

思えば、新作のたびにプレイしている
『どうぶつの森』でも、
ぼくのスタイルというのは
十年一日のごとく変化がございません。
明るめの壁紙と敷物の部屋に
いかにも現実世界でありそうな
家具や家電や楽器を置いて満足する
まったくもって危なげのないスタイル。

最後に、髪型くらい、変えてみてはどうか。
たかだかそれくらいでなにをうだうだ言うか、と
憤るむきもございましょうが、
なにしろぼくはポテトチップスは
うすしお以外をまず選ばない男なのです。
カップヌードルは本家カップヌードルを8割、
シーフードヌードルを2割、という男なのです。
そ、そんなぼくが、
ヘアのスタイルをチェンジするだなんて!

思えば、実生活でも、一度も髪を染めたことがありません。
パーマネント的なものも15年くらいはかけてない。

しかし! やってみようじゃないか!
世界を変えてみようじゃないか!
まずは、鏡の中の男からチェンジをはじめてみよう!
I'm Starting With The Man In The Mirror !
I'm Asking Him To Change His Ways ! ポーーーッ!

ああ、うるさいよ、髪型ひとつ変えるくらいでさ。
ともかく、やってみました。
ちょこちょこと質問に答えて、おかまをかぶって‥‥
ハイ! どうなることやら! チェンジ!!

ぼわわわーーん。

‥‥‥‥こ、こうなりましたか。

おーー、まぁ、しかし、
こういうのもいいんじゃないか。
落ち着かないっちゃ落ち着かないけど、
うん、まぁ、ふつうっちゃふつう?

せっかくだから、
新しい髪型に合わせて着替えたりして。
うん、新鮮。けっこうたのしい。
そうそう、だって、そういうことでも
遊べるのがゲームのよいところだものね。

と、いうわけで、最後に個人的な大冒険に
チャレンジしたところで、
ぼくの『とびだせ どうぶつの森』のレポートを
いったん中締めにしようかと思います。
まだまだ遊ぶと思いますが、ひとまずここで。

読んでくださったみなさま、
どうもありがとうございました。

最後に一個、ちょいテクですが、
キャラクターのアップを撮影するときって
みんな服を着替えたりして
「待機ポーズ」にしますよね。
あれ、着替えるときのタイミングを狙うと、
こんなふうに笑顔で撮れますよ。
慣れたら、けっこう簡単です。

それでは!
nagata
2013/01/29 22:33

お宅拝見(味な家編)

はいはい、
久々のお宅拝見コーナーです。

日々、通勤中にすれ違うことで
住宅展示場に新たに加わる住宅を
適当に紹介していくこのコーナー。

今日は、ちょっと変わったテーマで
お送りしようと思います。

題して、「味な家」。

セットになった家具をそろえたり、
「○○風な家」にしてみたり、
あるコンセプトのもと、
見事に統一されている家をみると
おお、これはと感心するものですが、
その一方でぼくは、
「なんか、手に入ったものを
 並べてたらこうなっちゃいました」
みたいな家もけっこう好きなんです。

しかも、ただ無秩序に
レイアウトされてる感じじゃなくて、
こう、「妙な味」が出てきちゃった感じの家。
わかりづらいですけど、わかります?

今日はそういう「味な家」を
集めてみました。
なんとも、あいまいな話ですいません。

個人的には、これらの家を眺めていると、
じわじわと味わい深くなってくるのですが、
「え? なにが? どこが?」
っていう反応も、あってふつうだと思います。
なんともあいまいな話ですいません。
nagata
2013/01/24 19:21

部屋は着々と‥‥。

自分の家が自分好みに着々と整っていきます。
かつてニンテンドウ64の『どうぶつの森』で
はじめて自分の部屋を自分好みに整えて以降、
何度、新しいソフトでプレイを重ねても、
同じような部屋になってしまっていたのですが、
今回の『とびだせ どうぶつの森』では、
まったく新しい趣向の部屋ができました。

それが、地下につくった「娯楽部屋」です。
中央には全自動麻雀卓が鎮座、
それを囲む4脚の椅子は
ラグジュアリーなプレジデント用のしつらえ。

音響はあえて、十代のころの憧れ、
真っ赤なダブルデッキで、
流れるのはきっと珠玉の恋歌たち。

壁際に置いたアップライト筐体は、
もちろん背中合わせに配置。
この筐体、個人的な設定では、
他メーカーで失礼しますがセガのアストロ筐体。
ソフトはもちろん『バーチャファイター』。
テクスチャも鮮やかな『2』もいいですが、
ここはプリミティブなポリゴンの美しさを重んじて
1作目の基盤を組み込んでおきたいところです。

あ、すいません、意味不明な話が続きましたね。

ところで、プレイが進むと、
変化していくのは自分の部屋ばかりではありません。

ぼくのお気に入りの住民、オオカミのブンジロウ。
彼に贈り物をしたり、ぼくの出品した家具を
彼におすすめしてたりしたら、
ブンジロウの部屋があきらかに
おかしな方向に変化してしまいました。
電話ボックスもポップコーンマシンも
ストライプのテーブルも魚も
みんな俺の責任‥‥なんか申し訳ない‥‥。
nagata
2013/01/18 17:16

ぽっかり空いた日

ゲームから強制された目的はないのに、
自分なりの目的や目標が
いつの間にか浮かび上がってきて、
それが終わるとつぎにやりたいことが見つかって、
いそがしくものんびりと
そこへ向かっていくというのが
ぼくにとっての『どうぶつの森』での流れです。

けれども、ときどき、
あ、いま、目指してることがないな、
という瞬間も訪れるんですよね。
こないだまでの目標はいちおう達成して、
じゃ、どうしようかな、
いらない家具とか売っちゃおうかな、
とりあえず化石掘って鑑定するかな、
みたいな、そういうとき。

で、その、「いまやることないな」が
べつにヤじゃないっていうか、
十分それでももつというか。
ずっとそれじゃいやかもしれないけど、
とりあえず今日はやること決めません、みたいな、
「お休みプレイ」をたのしむ、みたいな、
そういう感じが成立するのが
このゲームのおもしろいところかなぁと思います。
ここのところ、そういう数日を、たのしんでいます。

今日は、シショーに差し入れに行ったり、
タケノコ掘ってみたり、
公共事業のベンチの寄付を終わらせたり、
雑草抜いたり、挨拶したりしました。
ウェンディさんが落とし穴に落ちて
じたばたしているところに遭遇したりもしました。

なんでもない日、おめでとう。
nagata
2013/01/15 06:14

ひとりの遊びと
つながる遊び。

おいおいいまごろそんなこと言うなよ、
という感じがしないでもないのですが、
ぼくにとって、ほかの遊び手と
つながってゲームを遊ぶことは、
それ全体が少々「やっかいなこと」なのです。

だから、おいおいと突っ込まれつつ言えば、
『とびだせ どうぶつの森』も、
ほんとには、ひとりでやってたい、
という気持ちがあります。
って、おいおい。いや、ほんと、すいません。

もちろん、みんなと遊ぶことは楽しい。
近所のカフェにランチに行ったとき、
とみちゃんの提案で4人で南の島に行ったときの
「ほんとに旅行に来たみたいだ!」という興奮は
これまでのこのゲームにおける明らかなハイライトだし、
10歳のあーちん先生といっしょに
崖に並んで無意味に魚を見せ合ったときの
「友だちと成り行きで遊ぶ痛快さ」は
くだらなくて、かけがえのないものでした。

けれども。
実もフタもない言い方をすれば、
それは、ゲームじゃなくてもかまわないのだと思う。
ほかのなにかの遊びでも、
いや、遊びじゃなくて会ってただ話すだけでも、
楽しいメンバーと楽しいタイミングで接点を持てば
それは夜通しゲラゲラ笑っちゃうくらいに楽しい。

昔から、ほそぼそとではあるけれど、
それなりに長くゲームを遊んできて、
「ゲームはひとりで遊んでいるときに
 もっともゲームとしておもしろい」
というふうにぼくは思っている。
それは、以前、ちらっと書いたことのある、
ぼくの思うゲームの原則のようなものだ。

スポーツゲームや格闘ゲームやボードゲームで
誰かと遊ぶことのなかには、
缶蹴りやドッジボールや麻雀と同じ種類の
楽しさを見いだすことができる。
けれども、よくできたゲームのなかに
ひとりでふわふわと潜っていくような楽しさは
ほかの遊びとはあまり共通しない。

いうまでもないけど、
どちらの遊びのほうが優れているとか、
おもしろいとか、そういうことではない。
ただ、「ゲームらしさ」ということでいえば、
ぼくは夜中に南の島で珍しい甲虫を捕獲しつつ
海上にサメのヒレを見つけたときの
ピリッとする感覚のほうを挙げる。

一方、誰かの村に遊びに行ったり、
遊びに来た誰かが通りそうなところに
落とし穴を仕込むというようなことは、
ちょっとした頭の切り替えが必要だ。
「そういう遊び」として臨まなければならない。
すごく正直にいえば、
ひとりで自分のルーティンに
気持ちよく沈んでいくことと比べれば、
それは多少なりとも負荷がかかる。

だから、ほっとくと、ぼくはひとりで遊んでしまう。
誰かが「遊びに行くぜ」と声をあげれば
よしきたとベッドから飛び起きたりもするけれど、
ほっとくと、ひとりでだらだらと遊んでしまう。
水が低いほうへ流れるように、
ぼくは「ラクに遊ぶ」ほうを選んでしまう。

いま、世に数多あるゲームや遊びは、
「つながる」ことを価値として上位に置く。
みんながみんなつながることを喜ぶでしょ、
という前提のうえに組み上げられている。
その潮流にぼくはしばしば違和感を感じる。

書いたように、つながることがイヤなのではない。
むしろ、つながることはとても楽しい。
ただ、それは種類の異なるおもしろさだと
ぼくは思っている。
だから、わがままな遊び手として
好みを言わせてもらうなら、
つながりたいときにつながりたいぶんだけつながりたい。
そこのイニシアチブは自分で持っていたい。
ゲームにも、ほかのプレイヤーにも持たれたくない。

それは、ぼくの好みであるけれど、
ほかの人も同様に「つながること」に対して
好みがさまざまにあるのだと思う。
その多様性に対して、
みんながつながることをうれしがるだろうという前提は
なんというか、とても乱暴に思える。
もっと言っちゃえば、それはつくり手の都合だろう。

『とびだせ どうぶつの森』は、
ひとりを尊重してくれるゲームだと思う。
フレンドコードを交換した相手とでないと
つながることができないというような
通信上の仕組みばかりでなく、
コンセプトとしても、システムとしても、
ひとりでなにをしてもいいということが
ほんとうの意味で肯定されているゲームだと思う。

そして、ゲームのその姿勢に信頼がおけるからこそ、
つながることがより豊かな要素として組み込まれる。
その、気の遠くなるような気遣いと、
幾重にもはかられたであろうバランスを、
遊べば遊ぶほど、ぼくは希有に思う。

おしまいに添えるけれど、
糸井重里の、しげちゃんとしての遊びは、
「ひとりの遊び」と「つながる遊び」を
愉快にかき混ぜて曖昧にするもので、
ぼくにとってとても新鮮だった。

だって、しげちゃんは、
誰かがそこを訪れることを前提にひとりで遊んでいる。
そしてそれは糸井重里のみが成し得ることではなく、
このゲームにあらかじめ含まれた要素だ。
いまや、たくさんの人たちが
家具の配置やオリジナルデザインを駆使して
「つながる」を前提にした「ひとり」という
「しげちゃん的遊び」を楽しんでいることが
それを証明している。
そして、気づけば自分にも同じ動機が明らかにある。

そういえば、かつて糸井重里は、こう書いていた。

「『ひとりぼっちだなぁ』という感覚は、
 きりきりっと寒い冬の夜の、
 北極星の光のようなものじゃないのかなぁ。
 そのほのかな光が見つけられてないと、
 じぶんがどこにいるのかわからなくなっちゃう。
 『ひとり』が、まずはすべてのはじまりです。」

そして、
「Only is not Lonely.
 ひとりであるということは、孤独を意味しない。」
とも。
nagata
2013/01/11 18:32

【おしらせ】
たのしみは尽きないけれど

永田です。

たくさんのみなさんに
楽しんでいただいている
「みんなで とびだせ どうぶつの森」ですが、
いつまででもたのしめるからこそ、
いちおうの区切りはつけなければいけません。

というわけで、1月31日です。

その後も、ぽつぽつ更新したりは
するかもしれませんけれど、
いったん、1月末日を持ちまして、
この「みんなで とびだせ どうぶつの森」の
中締めとさせていただきます。
読者投稿のほうも、あわせて。

ゲームのほうは、まだまだイベントが続きますし
DS版をりかさんが7年もやっていたように
ずーーーっと遊べるものですが、
いったん、この場所は1月末までにします、
というお知らせでした。

だからといって、
なにをするということでもないんですが。
nagata
2013/01/10 01:20

久々に、お宅拝見。

家と会社を行き来するだけで
じゃんじゃんすれ違えてすいません。

住宅展示場に行って
気ままにドアをくぐれば、
待ち受けるのはさまざまな個性。

いろんな人がいるんだなぁ‥‥。
いまだに、しみじみとそう感じますよ。

このゲームは映画や小説ではなく、
おしゃべりや雑談に似る。
定型はなく、なんとなくゆらぎ、
そこでその人でしか成せなかったであろうことが
いつの間にかひとつの結果としてまとまる。
たまたまだけど、必然。
成るべくして成るけど、偶然。

のぞいてみましょう、さまざまなお宅。
いやぁ、ほんと、いろいろで、
おもしろいですねー。
nagata
2013/01/09 02:06

気持ちのいいくり返し。

先日、南の島で効率よくベルを貯める、
「永田式貯蓄法」を書いたところ、
たくさんの方から反響をいただきました。
どうもありがとうございます。

役立ちました、役立ててます、という声、
自分がやってることと同じでした、という共感、
木を切ったりするとさらに効率がいいですよ、
距離を測る目印に花を植えると効果的です、
といったアドバイスなど、
ほんとうにさまざまな反応がありました。

ゲームには、
「気持ちのいいルーティン」というものが存在します。
いえ、存在するというか、
「いいゲームには気持ちのいいルーティンがある」
といったほうがいいかもしれません。

ゲームをプレイする人が
ある一定の動作を機械的にくり返していると、
それを目撃した人から、しばしば、
「それ、たのしいの?」などと言われたりします。
はっきりさせておきましょう。

たのしんです、そのくり返し。

ただし、その気持ちのいいくり返しは、
どんなゲームにもあるというものじゃありません。
というか、それがあるかないかということが、
そのままゲームの質なのかもしれない。
そんなお話を書いてみます。

気持ちのいいくり返し、
気持ちのいいルーティンは、人によって違います。
お風呂の湯加減のように、人によって微妙に違います。

ですから、そこに正解はありません。
「効率のよさ」や「最短時間」を軸にするなら
はっきりとした答えが出ると思います。
けれども、「気持ちのいいくり返し」を命題にした場合、
答えは人それぞれです。

もっともしっくりくるのは、
その人ができるだいたいのことを試したうえで、
体感と実感をもってそこにたどり着くことです。
ぜんぶは無理でも、「こうかな?」「どうかな?」と、
ある程度のことを自分なりに試したあとで、
ああ、ここがラクだな、ここが気持ちいいな、
と定められることです。

で、さっき言った
「いいゲームには気持ちのいいルーティンがある」
っていうのは、つまりそういうことで、
「その人なりの気持ちのいいルーティン」が
定められるためには、
ゲームがよくできていないとむずかしいのです。

そもそもでいうと、なにかの目的に向かって
プレイヤーがモチベーションを保てなければ
いっさいのことははじまらないでしょう。
先の南の島の貯蓄法のことでいえば、
「ベルが貯まるとうれしいぞ」
「あれもできちゃうしこれもできちゃうぞ」
「あれをやるためにはベルがこれだけ必要だなあ」という
うれしさ、よろこび、動機が
ゲームのなかに生まれてはじめて
プレイヤーは「気持ちのいいくり返し」への
スタートラインに立てるのです。

あ、また長くなる予感がしてきました。すいません。
ちょっといろんな説明をかいつまんで急ぎましょう。

まず、「こうなるとうれしい」という目的があること。
そしてそこへ、「いくつもの道」があること。
「いくつもの道」をいくつか
「試すこと自体がたのしい」こと。
「いくつもの道」があらかじめ用意されているのではなく、
「自分が自然と見つけた道」だと感じられること。
そのまるごとのセットがゲームのあちこちに
大小いくつもあること。

そういうことがゲームのなかに
きちんと成り立っているからこそ
プレイヤーは「気持ちのいいくり返し」を
得ることができるのだとぼくは思います。

そして、そのような過程を経て得た
「気持ちのいいくり返し」をくり返すのは、
ほんとうに気持ちがいいのですよ。
──それ、たのしいの?
うん、たのしいんですよ。

だって、それをくり返すことの目的が
うれしいこととして確立しているのだし、
このルーティンは自分にフィットしていて
ラクにストレスなくくり返せるのです。
いわば、ゴールも道中もたのしいのです。
ですから、時間を費やすという罪悪感さえなければ、
うっとりとぼんやりと、いつまででも、
それをくり返すことができるのです。

『どうぶつの森』というシリーズが、
さまざまなゲームをやらなくなった人や、
そもそもゲームというものをほとんどやらない人にも
好まれて遊ばれている大きな理由のひとつは、
そういう「気持ちのいいくり返し」が
(数の多さではなく本質的な意味として)
遊ぶ人の数だけ当たり前に存在しているから。
そんなふうに言えるかもしれないと思って
これを書きはじめたのでした。

だって、「自由にしていい」じゃ遊びにならないし、
「最高の目的と最良の解答がある」なら、
たのしさやうれしさが
ゲームの腕前に比例してしまうもの。

長く書き散らかしてしまいました。
こういうことをひとりのんびり考えたりすることも
ぼくにとっての「気持ちのいいくり返し」のひとつ。
nagata
2013/01/06 09:04

ないのかなぁ。

いや、教えなくていいですよ。
ほんとのことを知ってても
「そりゃ永田さん、こうですよ」って
教えてくれなくていいですからね。

だってぼくは
「あれはどうなんだろうなぁ‥‥」
「いったいなんなんだろうなぁ‥‥」って
ぼんやり疑問に思いながら
ゲームをすすめていくのが好きなんです。
「こういうことかもなぁ‥‥」って
曖昧に予想しながら、なにかのはずみで
その予想が当たったり外れたりするを
驚いたりうれしがったりするのが好きなんです。

だから、先に真実を知った内外のみなさん、
ぼくが「なんなんだろ」とつぶやいても
教えてくれなくていいですからね。

それじゃ、言ってみようかな。
‥‥こほん。

ジーパンって出てこないのかなぁ?
デニムジャケットはあるのに、
ジーンズは出てこないのかなぁ。

あと、オーロラの出現条件も知らないし、
いろんな人の部屋に飾ってある
黒いマネキンみたいなものも
なんだかよくわかってないんですが、
教えてくれなくていいですからね、ほんと。
いや、ダチョウ倶楽部さんの
「押すなよ」的なことじゃなく、
ほんとに。
参加している乗組員たち。
  • スガノ
    up
  • やえ
    up
  • シブヤ
    up
  • ベイ
    up
  • 田中
    up
  • しほ
    up
  • キノシタ
    up
  • サユミ
    up
  • すずき
    up
  • わかた
    up
  • りか
    up
  • 西田
    up
  • おっくん
    up
  • オカムラ
    up
  • シェフ
    up
  • とやま
    up
  • さわやなぎ
    up
  • イサワ
    up
  • おおたか
    up
  • 永田
    up
  • ゆーないと
    up
  • モギ
    up
  • トミタ
    up
  • イトイ
    up