こうして「みんなの家」というコンセプトが決まり、
建築家として初めての仕事がスタートしました。
ただ、皆さんにお話するにしても、
この建物をひと言でどう呼べばいいのか、
ちょっと困ります。
これまでも「自宅兼道場」「みんなの家」
「多面体の建築」と、いろいろな言い方をしてきました。
なにしろこれだけ公共性の高い建築ですから、
ちゃんとした名前があったほうがいい、と
ずっと思っていました。
建築家が名前を付けた建物は
これまでにもたくさんの例があります。
たとえば建築家、東孝光氏が
東京オリンピックのころ都内に建てた風情ある自邸は
「塔の家」と呼ばれて、
今もなお多くのひとに愛されています。
そのほかにも伊東豊雄氏の自邸「シルバーハット」、
またぼくの師である石山修武氏の処女作
「幻庵」という具合に、
名前が付くだけで、
人工物である建築とひととの距離がぐっと縮まり、
自然と愛着が湧いてきます。

ひと家族が暮らすだけの家であれば、
施主の名字をとるのが定番になっていますから、
「内田邸」とすればよいですし、
ローマ字の頭文字をとることもあります。
じっさいぼくも設計の図面には
「内田邸/道場」とか「U邸」などと書いていました。
しかし、それではどこかそっけないですよね。
この建築が目指すのは
個人住宅よりも広がりをもったもののはず。
ぼくはもっと自由な発想からの名前がほしかったのです。
建築家が建物を命名することが多いのですが、
今回は親がわが子を名付けるように、
施主が名前を与えるのが自然だと思って、
内田さんに相談してみました。

「いつまでも『内田邸/道場』というのも困りますし、
この建物に名前があるとよいのですが、
何かいいアイディアはありませんか?」
「そうだね。漢字3文字で、古風なのがいいよね。
 何か考えとくよ」

はたしてどんな名前が挙がってくるのか、
楽しみにして3週間が経ちました。
その日は、武庫之荘にあるイタリアン・レストランで
設計の打ち合わせでした。
いつもどおり図面や模型を見ながらの相談を終えて、
ルッコラのサラダを食べている最中に
突然その時がきました。

「あっ、そうだ、名前を決めたよ。『がいふうかん』。
 『凱風館』って書くんだけど、
 『凱風』は昔の中国の言葉で、
 南から吹く初夏のそよ風のことでね。
 凱風に吹かれると
 草花のつぼみが開いて花が咲くって言われているの。
 硬い茨(いばら)の若芽を育む、
 かたくなな心を開く、という意味があるんだ」

そう聞きながら、ぼくは葛飾北斎が描いた
『凱風快晴』の赤富士を思い浮かべていました。
なんて素敵な名前だろう。
響きもいいし、
なによりその名前がもつ物語がしっくりきました。
「つぼみを開花させる凱風」とは、
この建築における活動の本質を
見事に表しているではありませんか。
「学びの場」としての建築というコンセプトが
しっかり伝わるネーミングだったので、
すぐに親近感が湧きました。

合気道を通して子供から大人まで身体の使い方を学び、
能を通して伝統芸能や昔の人の身なりを学び、
また私塾を通して生きていくための思想を学ぶ。
ここに集う人たちみんなが相互に関わりあっていく
「学びの場」にふさわしい名前です。

この命名の瞬間を記念すべく、
僕はモレスキンの手帳を出し、
内田さんに「凱風館」と書いてもらいました。

▲命名に伴い、凱風館のロゴを作成


初夏になると、
敷地には瀬戸内海から六甲山に向かって
凱風が吹きます。
心を落ち着かせてくれる清々しい風です。
文豪の谷崎潤一郎が神戸東灘区に
「鎖瀾閣(さらんかく)」を築いたように、
内田さんは「凱風館」を建てて、
地域の人たちをはじめ多くの方々に
どのような凱風を吹かせてくれるのでしょうか。

▲空から敷地を見ると南に瀬戸内海、北には六甲山

▲凱風館の屋根の上から見た六甲山の風景

さて、ぶじ名前も決まったことですし、
ここで改めて凱風館の中をご案内しましょう。

凱風館には南側に玄関がふたつあります。
向かって左手が自宅用の玄関で、
エレベーターで直接2階にあがれるようになっています。
右手の玄関は道場用で、
シャワー室やトイレの備わった男女別の更衣室を経て、
75畳の道場につながります。
この道場の畳をめくると
檜でできた能の敷き舞台が現れ、
壁の中からは屏風状の老松が出てきます。
道場用の玄関の右手には階段があり、
階段下は書生部屋として計画されています。
明るい日の入る階段をのぼって2階に上がると、
まず書斎があり、
多くの本が来客たちを迎えることになります。
書斎から階段を5つ上がると大きな空間が広がります。
大人数で宴会をしたり
月に1回の麻雀大会をしたりする、
お客さんのためのスペースです。
ここには冷蔵庫やキッチンもあり、
おおぜいで料理もできます。
このサロンとしての客間には、
下から天井までを貫く六角形の大黒柱が
どっしり構えています。
左手の箱階段をのぼると細長いロフトがあり、
壁にはニッチスペースが開いています。

この大空間の裏(西側)には収納と、
エレベーター前から続く廊下があり、
その廊下を突き当たると
能のお稽古ができる和室になります。
3方ガラスのガーデン・テラスを右手にしながら
和室の脇の廊下を進むと、
その向こうに広がるのがプライベートな住居ゾーンです。
杉の丸太の棟木がのった寝室やキッチン・ダイニング、
檜のお風呂、家事室などがあります。

▲凱風館 1階/2階平面図

▲凱風館 立面図/断面図

これで凱風館がどんな作りの建物なのか、
部屋の構成と位置関係は
おおよそお分かりいただけたでしょうか。
この建物がどんな材料で、
どんな人たちによって建てられていくのか、
それぞれの小さな物語を、
写真やスケッチと合わせて、
このあとさらに詳しくお伝えしていこうと思います。

次回につづきます。

2011-09-02-FRI
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