続・大村憲司を知ってるかい?
大村真司が聞く、父親のすがた。

高橋幸宏
×大村真司
その2
憲司がいないからね、
憲司が必要な曲は、
もう、作らないんだ。

真司 YMOとかのツアーをしてるときの、
ステージ降りたときのオヤジって
どんなでした?
いちばん俺は興味あるところなんです。
やっぱり舞台の前とか、
ナイーブなこと、してましたか?
高橋 いや、いつも淡々としてたな。
マイペースで。
真司 へぇ。楽しんでたんだね。
高橋 もうSoul Train()まで
一緒に出てるしね。

*Soul Train:
 アメリカNBCのTV番組。
 1980年、YMOは日本人初の出演となった。
 演奏した曲は"Tighten Up!"と
 "Computer Game"。


日本でTV出演した時のYMO。
左から、坂本龍一さん、憲司さん、幸宏さん、
松武秀樹さん、細野晴臣さん。
右端の女性は橋本一子さん。


リハーサル中の憲司さん。手前の足は教授。
真司 ワールドツアーって、うちの母さんも
いっしょに行ってたんですよね。
どっかで踊りに行っちゃったとかで、
ウチのオヤジに後でもう、
こっぴどく怒られたっていう。
母さん酔っぱらったときに
俺、聞き出してるんだ。
高橋 そうそうそう。
どこだっけな? ドイツだよ。
ハンブルグか、どっかで、夜、
「セイコがいない!」って大騒ぎして(笑)。
真司 みんなで探しに行ったの?
高橋 僕が彼女をたしなめたの。
憲司に心配かけちゃダメだよ、
って(笑)。
真司 あはははは。

セイコさんと一緒の写真は、
憲司さんの顔が、とても、やさしい。
高橋 加藤和彦氏の三部作()には、
僕、全部関わってるんだけど、
海外録音、かならず憲司も同行してたものね。
「パパ・ヘミングウェイ」では、
バハマに一緒に行って。
同じように参加してた教授と
小原(小原礼さん)は別荘を借りて、
僕と憲司がホテル住まい。
その次が、ベルリンで。
なんか楽しかったなあ。

*加藤和彦氏のアルバム
 79年バハマ録音
 「パパ・ヘミングウエイ」
 80年ベルリン録音
 「うたかたのオペラ」
 81年パリ録音
 「ベル・エキセントリック」のこと。


加藤和彦さんのバハマ録音でのスナップ。右は教授。


バハマ録音の打ち上げで。右は“ズズ”こと、故・安井かずみさん。


↑↓どちらもベルリンで。左から加藤和彦さん、幸宏さん、
憲司さん、細野晴臣さん、矢野顕子さん。

真司 いいっすねー。
高橋 うん、面白かったよ。
ベルリン行ったときに、
「FACE」っていう雑誌の取材があってね、
ロンドンで今も続いている当時からすごい
ファッショナブルな
ポップカルチャーマガジンなんだけど。
その撮影に憲司にも来てもらったんだ。
そのときのカメラマンが
シーラ・ロックっていう女性で。
それが縁で「春がいっぱい」のジャケット
を撮ってもらったという。

左がシーラ・ロック。
真司 このジャケットのオヤジですね!
すごいファッションですね。
高橋 それ、スタイリストも「FACE」を
やってた女の子で。
いわゆるモッズとかルードボーイ系の
古着で、上から下まで全部揃えてね。



真司 へぇー。そうなんだ。
俺の世代からすると、
当時の先端のファッションかと
思ってた。
高橋 このパンツの丈と、
白いソックスが絶対重要なの。
黒のスーツでも白いソックスを
履くっていうのがかっこいいわけ。
そういえばワールドツアーのときに
憲司が着てたスーツは、
「音楽殺人」で僕が着てたスーツと
同じものを作ったんだよ。
憲司がまた似合うんだ。
真司 へぇー。
それは、幸宏さんのデザイン?
高橋 そうです、「Bricks」。
真司 あの頃のオヤジ、すごくシックで
かっこ良かった。
なんか晩年はラフだったから。
俺のジャケット着てったりしてさ。
高橋 晩年は昔に戻ってたよね。
80年頃は、オシャレも徹底してたんだ。
買い物もよく一緒に行ったりしてたしね。
80年、81年、
ニューウェーブがいちばん
盛り上がってたとき、
ほんとに憲司と、いちばん楽しく
過ごした時期だった。
いっつも一緒だったし、
ウチへご飯も、
しょっちゅう食べに来てたし。
真司 ニューウェーブって、
なんか楽しそうっすね。
ポップな感じで。
高橋 うん、何でもありだもん。
下手なことがかっこいい時代だったから。
その意味では、憲司も苦労したと思うよ(笑)。
うまく弾きすぎると、
違うんだよねって言われるから(笑)。
でもね、上手いからこそ
できることって、いっぱいある。
当時、矢野アッコ(顕子)ちゃんが
言ってたようにね。
下手なものって、彼女は認めないのね。
上手い人がそれをやるなら認めるけど。
真司 下手なやつが
かっこ良くやってもダメ‥‥。
高橋 それはただの下手なんだよね。

真司 当時のなんかのラジオに出てる録音を
聞いたんですけど、
それもすごい楽しそうだった。
── 真司君は、今わりとお父さんの、
そういう録音したものとかを聞いてるんだ。
真司 うん、なんか、
見つかったら聞いたりとかします。
幸宏さんはYMO以後も、
オヤジといっしょにやってたんですよね。
高橋 そうだな、なんだかんだで、
何回か違うときもあったけど、
僕のソロのツアーでは、ほとんど
ギター弾いてもらってる。
真司 うんうんうん。
高橋 ほとんどのツアーに来てもらって。
でも、ローディーやスタッフにとっては
怖い存在だったみたいだね。
誰も憲司のギターには
触れられなかったんだよ。
真司 ピリピリしてたんだ。
高橋 リハーサルの空き時間や楽屋の中でも、
ずっとひとりでただ黙々と
ギターの調整していてね。
真司 家でもずっとやってた。
こうやって(刀を見るように)
ネック見てるオヤジしか、
イメージないですもん。
家にいるオヤジのイメージって。
高橋 でも、ああいうのがあって、
憲司のギターの音、太いんだと思う。
あの太さは異常だ(笑)。
3人ぐらいでギターのソロをやると、
もう他の人のギターの音が、細い、細い。
真司 そう、一発で決まるよね。
誰かが弾いた後に、
ウィンてやったらもう拍手が来る‥‥
すごいっ! って終わらせちゃうの。
今、いろんな録音を聴いても思う。
なんでそんなに違うのかな?
息子としては、
もうちょっとバカにしたいのに、
できないからね、やっぱり。うーん。
高橋 もちろん憲司っていうと、
クラプトンの影が必ず感じられるのね。
随所に出てくるんだけど、
あとになってくると、
それがほとんど影を潜めてて。
でも、昔のYMOのビデオを見ると、
憲司のソロのところで
いきなりクラプトンの
フレーズが出てくるんだよね(笑)。
それがまた面白くて。
真司 YMOの頃の音が、
いちばんロックだったんじゃないのかな。
高橋 強力でした。
真司 めちゃめちゃヘビー。

80年のYMOワールドツアー、パリ公演。ル・パラスにて。


ロンドン、ハマー・スミス公演。
高橋 憲司の「春がいっぱい」はもちろん
最高だと思う。でも、僕の作品群、
「Neuromantic」の「Glass」や
「音楽殺人」の「The Core of Eden」での
大村憲司の仕事っていうのもまた、
すごいと思う。
真司 俺も聞いてみよう、家帰って。
高橋 あとね、今でも思い出深いのは、
憲司が亡くなる2年ぐらい前かな?
「A Sigh of Ghost」っていう
アルバムを出したんだけど、
そのギターソロ、すごいいいんですよ、
ロックっぽくて。なんか荒々しくて。
その曲、僕はユーレイっていう、
いつの間にか死んじゃったんだけど僕、
っていう歌なのね。
歌詞、聞いたら
泣いちゃうかもしんない。
そのギターソロ、すごいよ。


真司 へぇ‥‥。
高橋 あんまり弾いてないんだけど、
やっぱりああいう太いギター、
ロビン・トロワーみたいな
ギターが欲しいなと思うと、
憲司しかいなかった。
だから、今はもう、憲司がいなくなって、
弾く人が、いないんですよ。
── 今、どうなさってるんですか?
高橋 そういう曲、作らないです。
まあ、今、細野さんとやっているのは、
違う傾向の音楽ですからね。
そっちを必要とする曲は
あんまりないんだけど、
もし作ったら、
どうしようかなと悩むところですね。
真司 そっか。
高橋 憲司とはね、面白いこと、
いっぱいあったな。
一緒にパリのシャトーホテルに
泊まったときに、
夜中、オバケが怖くて
寝れなかったこととかね(笑)。
田舎の、お城を改造したホテルの
おんなじ部屋に細野さんと3人で泊まって。
あまりに怖くて
次の日からホテルに引っ越したとかね。
真司 え、やっぱ何かあったんですか?
高橋 僕がね、鎖付けてね、
夜中歩き回ってたのね(笑)。
おどかそうと思って。
そしたらほんとに怖くなっちゃって。
真司 俺も、イギリスに行ったときに、
誰もいないはずの階下で
ずーっとカチャカチャって、
メシ食うような音がしてて怖かった。
高橋 はっはっは。それ怖いな。
先月、久しぶりにロンドン行ったら、
ほんとに憲司といたころを思い出した。
細野さんとの、小ちゃなツアーだったけど、
なんか、やっぱり外国で演奏すると
思い出すね、あの頃のこと。
真司 オヤジも、やっぱ、
思い深い時期だったと思う。
ツアーで、いちばん印象に残ってる
時期とか、公演とか、あります?
高橋 あるね。いっぱいある。
真司 いっぱいあります?
高橋 うん。
YMOのコンサートはさ、
とにかく機械がよく止まるんだよ。
真司 当時のコンピューター、
デカイんですよね。
ビックリしたもん、俺、あれ見て。
高橋 そう。さらに、熱に弱くてさ。
あのコンピューター自体がね。
MC−8。
真司 そういうときって、
もう完全に止まっちゃうんですか?
高橋 シーケンサー止まっちゃうの。
当時はそれでも手弾き系の曲が
多かったから大丈夫なんだけど、
大丈夫じゃない曲もあって(笑)。
真司 機械ものっていっても、
今よりぜんぜん
生っぽいってことですよね。
機械がもうちょっと
生き物っぽいっていうか。
今はほんとに、
打ち込みは打ち込みだもの。

高橋 あと、思い出すのは、
憲司とよく飲んだことだな。
だいたい、レコーディングでもツアーでも、
終わったら夜は一緒に酒を飲む。
真司 楽しそうだな、それも。
── どういうお話を、
よくされていたんですか?
高橋 下らないことです(笑)。
ほんっとに下らないこと。
真司 音楽のことは?
高橋 音楽のことはもちろん話すよ。
ウチにご飯を食べに来たときなんかも、
新しいレコード聴いたりなんかして。
このソロは、このギターは、って、
いろいろやってたけど。
ジャパンのスティーブ・ジャンセンも、
憲司と仲良かったですよ。
あとね、憲司はね、語学の天才でね。
「インド人の英語」とかができるの。
最高に笑えるんだ。
真司 それ得意技だ!
高橋 憲司はもう完璧なの。
インド人の英語で
インドの料理番組をマネしたりして。
もうバッチリなんですよ、それ。
── そういう姿は、真司君、知ってるの?
真司 有名な話なんですけど、
じつは見たことないんですよ。
イギリス人の英語はこうだ、
とか、そういうのはある。
高橋 訛り系とかね。
真司 そうそう。訛り系、プロかも。
あと、俺が印象的な瞬間は、
近藤房之助さんのライブのとき、
楽屋に行ったら、ベースとドラムの
黒人の兄弟を、
オヤジが大笑いさせてたんですよ!
── ギャグで?(笑)
真司 そうそう。そういう現場見ると、
ああ、こいつすげぇ! って。
やっぱユーモアもあるんだろうって。
高橋 いやー、めちゃくちゃ面白かったよ。

近藤房之助さんのツアーで。左端が憲司さん。
真司 そういうの見て、
トータルな意味で
すごいミュージシャンなんだな、
って思ったんです。
やっぱ家にいても面白かったし。
機嫌が悪いときは最悪だけど。
高橋 機嫌が悪いときっていうのがね、
当時はなかったの。
真司 えーっ!?
しょっちゅうだったよ。
家帰ってきて、例えば俺が
練習してるところへ入ってきて、
そうじゃねぇんだよって、
嬉しそうにやってくれるときもあれば、
うるせぇんだよ、このやろう!
ガチャーン、みたいなときもあって。
なんだ? この人は、みたいな。
高橋 それは理不尽だね(笑)。
真司 だけど、オヤジは
これが社会勉強なんだよ、
って言ってたみたい。
そのオヤジが、
機嫌悪くない時期があったの!
すごいことだなぁ‥‥。
高橋 なかったね、80年、81年頃は。
真司 へぇー。
高橋 なんか、いっつも楽しくしてた記憶がある。
憲司の中では、
何かあったのかも知れないけど、
出さなかった、僕たちの前では。
真司 幸宏さんといるのが
楽しかったっていうの、あると思う。
高橋 僕も楽しかったしね。
真司 衝突する要素がなかったんじゃないですか?
それ、すごいことですよ。
オヤジと衝突しないで1年2年
過ごせる人っていうのは。すごいと思う。
扱いにくいとかっていうのは、
ぜんぜんなかったですか?
高橋 全然無いといったらうそになるけど……。
あるときからわかったんだね。
どうやれば憲司は機嫌が悪くなるかとか。
多分向こうも僕に対して
同じように思ってたんじゃないかな。
気遣ってくれてたと思うし。
僕も、いつも機嫌良いわけじゃないんで。
真司 オヤジは、自分のことを
わかってくれようとしたり、
気を遣ってくれる人に対しては、
自分もちゃんとするタイプだから。
高橋 そうだね。だから、
知りあってから憲司が亡くなるまで、
ケンカしたこと、1度もないですね。
真司 へぇー。素晴しい!
高橋 真剣な話をして、っていうときは、
あったかもしんないけど、
でも、べつに、それは
ケンカとかじゃなかったしね。

六本木のソニースタジオでのスナップ。
真司 俺ももうちょっとね、
今ごろ生きていれば、
まだ、話せたかな?
最後のほうとかは、
一緒に酒飲みながら、
とかいう日もあったんです。
MTV見ながら大笑いしたり。
高橋 憲司のギターとか弾かしてくれたの?
あんまり触らせてくれなかった?
真司 めちゃめちゃ機嫌がいいときは、
たまーに弾かしてくれた。
高橋 たまになんだ。
真司 ほんとたまに。
高橋 あとはダメなんだ、触っちゃ。
真司 というか、触れない。
高橋 そういうもんなんだ。
真司 だけど俺も、隠れて部屋に
持ってったりとか、してたけどね。
意外とそういうのとかも、
気づいてるんだろうけど。
オヤジのギター、
やっぱりオーラがあるから、
物自体がどうこうじゃなくて、
オヤジが大事に扱ってるっていうオーラが。
俺も持ってきて弾こうとするんだけど、
ちょっとこう、コツッとか当ると、
わっ! やべぇ! とか。
置く位置とかまで、
キッチリしてましたからね。
クローゼットに入れて、除湿機かけて、
きちんと揃ってるんですよ。
ピンキーとか、ブラッキーとか、
ブロンディとか、名前がついててね。
その並べ方を間違えたりしたら、
たぶんヤバかったなぁ。
高橋 いい話だなあ。
ああ、そうだ、思い出した。
80年の国内ツアーかな?
凱旋してたんだから81年かな?
仙台で、憲司、
耳の具合が悪くなっちゃって、
倒れたんですよ。
ツアーの初日ぐらいだったんだけど、
その後、もうめっちゃくちゃ僕、
落ち込んでね。
よっぽど憲司のこと好きだったのかなぁ、
と思うけど。
酔っぱらってね、その日、
ホテルの部屋で吐きまくった(笑)。
今は申し訳ないと思うけど、
そのまま朝、出て来ちゃった(笑)。
もうどうしようもないんだもん。
真司 オヤジもグルグルして、
幸宏さんもグルグルして。
高橋 もうグルグル。僕は酒で。
真司 でもね、ほんと、その時も
治ったから良かった。
高橋 治ったときも、すごい喜んだ記憶がある。
どっか途中から、また復帰したんだよね。
なんかね、すごい運が良かったの。
その時に運ばれた病院の医者が、
その病気のすっごい権威で。
真司 そんとき、運、強かったんだね。
幸宏さんありがとう。
今日はけっこう、
俺の知らないオヤジの話が聞けました。
怒ったことがない、
ケンカしたことがなっていうのは、
すごいな。
高橋 ないなー。憲司とは、ほんとにない。
真司 誰に聞いても、絶対、なんか
1コぐらいは怒らしたことや、
怒られたとか、あるもん。
高橋 憲司との思い出は
いっぱいあるんだけど、
あとはみんな細かいことだよ。
でも、言えることは、
ほんと楽しかった、あの頃。
真司 オヤジの気持ちを踏まえて、
「春がいっぱい」聞き直します。
ありがとうございました。

↑「春がいっぱい」の頃、軽井沢でのスナップ。




*次回は大貫妙子さん登場です。
 来週月曜日に更新します。お楽しみに!

このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「大村憲司」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2003-08-01-FRI

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