2016年3月17日のニュース あの写真の、2年半後。田附勝「みえないところに私をしまう」はこの3連休で終了です。


こんにちは、「ほぼ日」の奥野です。

2年半ほど前、ここで紹介したのですが、
写真家の田附勝さん
2013年からあしかけ3年にわたって、
秋田県の上小阿仁村・八木沢集落という
住民20人弱の限界集落に
写真作品を、展示していました。

そのときの、どこか、
全体にまぼろしみたいな体験については、
以下のレポートを
読んでいただきたいのですが‥‥

田附勝「朽ちてゆく写真展」を見てきた。‥‥前編
田附勝「朽ちてゆく写真展」を見てきた。‥‥後編

端的に言って、そのときの「展示会場」は、
このようなものでありました。



はい、会場というより、
もともと農作業の道具などを保管していた、
本物の「掘っ立て小屋」です。

基本、ひとりしか入れません。

作家の作品を展示しているというのに、
係員の人も見当たらないし、
室内には空調なども効いてませんから、
夏は蒸し暑く、冬は凍えるでしょう。

ぼくが行ったのは秋だったので、
床板の隙間からは、コオロギくんたちが
顔を出したり引っ込めたりしていました。

秋田ですから、
冬になれば猛烈に雪が降る‥‥とか以前に、
雨が降ったら雨漏りするし、
風が吹いたら土ぼこりが吹き込むという、
そういう「展覧会場」でした。

そんなところへ、
木村伊兵衛賞受賞作家つまり田附さんの
写真作品が、
あしかけ3年も、展示されていたのです。



訪問したのは
開始から2ヶ月後だったと思いますが、
その時点ですでに、
作品は、徐々に朽ちはじめていました。

写真家・田附勝さんが
どんな考えで、
自分の作品をこのように展示したのか‥‥
については、上記のレポートに
みじかくコメントをいただいているので、
繰り返しませんが(ぜひお読み下さい)、
ともあれ
「時間とともに、
 会場もろとも朽ちていく写真作品」に、
理由はわからないけど、
妙に惹きつけられて、見に行ったのです。


▲八木沢集落を流れる川に架かる橋。

あれから2年以上、
写真は、あの小屋に展示され続けました。

その後、どんなふうに、朽ちたのか。

八木沢集落での展示が終了したあと、
そのうち何点かが
秋田公立美術大学のギャラリーに移されて
再び展示されていると聞き、
もういちど、見に行ってきました。

写真は、どんなふうに、朽ちたのか。
それを見たら、
いったい、どんな気持ちになるのか。


▲お越しのさいはこの建物を目指して下さい。

秋田新幹線で秋田駅に着き、
そこから秋田中央交通のバスに乗って
秋田公立美術大学のギャラリーが入っている
秋田ケーブルテレビの本社に到着。

朽ち果てそうなトタン屋根の小屋から、
鉄筋コンクリートづくりのテレビ局へ。
(だから何だというわけでもないんですが)



まず、さほど広くないギャラリーに入ると、
「あ、広い」と感じました。

身もフタもない感想ですが、
いちばんはじめに、そう思ったのです。

この空間は、一般的には、
広いと言えるほどの面積ではないと思います。

でも「広い」と感じたのは
あの八木沢集落の「掘っ立て小屋」会場が
たいへん狭かったからです。

あのときは、無数の写真
(多くは集落の人が写っている)に囲まれて、
見に来たこっちが
じぃっと見られているような感覚を覚えて、
妙にドキドキしたのですが、
今回は、落ち着いて見ることができました。



見るというより、
観察するみたいな感じで、作品を見ました。

表面は、じつにデコボコしていました。

こんなふうに、
写真のキワに近づいて凝視することなんて、
他の写真展では、ないことです。

思わず、臭いを嗅いでみたりもしましたが、
とくに臭いはしませんでした。

写真の色は落ち、画像はぼやけていますが、
その代わり、
別のなにかが付着したり、浮き出ていたり。



写真は、軒並み、盛大に朽ちていました。

あしかけ3年という月日は、
写真に、大きな影響を及ぼしていました。

2年半前とは比べものにならないくらい、
ものによっては、
ボロボロに朽ちている作品もありました。

そこに何が写っていたのか、
まったく判然としない作品もありました。



時間や雨水や土ぼこりが、
田附さんの写真を元に新たな芸術を創作した、
と言っては、
よくわかってもいないのに、
なんだか、かっこよく言い過ぎだと思います。

でも、明らかに、時間や雨水や土ぼこりが、
写真を、別のものにしていました。

写真が朽ちる、
そこに写っている絵が消えることに対して、
悲しいことだと感じていましたが、
実際に朽ちた写真を見たら
案外、そうでもないように思いました。

どっちかっていうと、肯定的に感じました。
あ、いい感じで朽ちてる‥‥というような。



額装してある作品もありました。
上小阿仁の杉を使って作った額だそうです。

集落で最後のマタギ、
今は鬼籍に入られた「良蔵さん」の写真も、
額に収められていました。

前会場での展示状態が良かったのでしょう、
巨大な良蔵さんの顔の写真は、
そんなには傷んでいないように見えました。

掘っ立て小屋で受けたのと同じだけの力を、
正面に立ったら、また受けました。

おじいさんが棺桶に入っているみたいだと、
そこにいた人が、言っていました。



何ごとも、永遠には、続かない。
物ごとには、いつか終りが来る。

当たり前といえば当たり前のその事実に、
どうしてソワソワしてしまうのか。

過去には決して戻れないことや、
人の記憶が徐々に薄れていくことなど、
「写真」が喚起する感情には、
切ないけど、
あたたかい場合があるのは、なぜか。

田附勝さんが見せてくれた、
この一連のお仕事のことを思うたびに、
そういう疑問が浮かんできます。

納得のいく答えは浮かんできませんが、
それについて
ゴニョゴニョ考えるのは、おもしろいです。

田附さんご自身がどう思っているのか、
次にお会いしたときに、
ちょっと聞いてみたいなーと思います。

さて、展覧会は
今週末の3連休まで(3月21日まで)、
秋田県の
秋田ケーブルテレビ本社内にある
秋田公立美術大学のギャラリーで
開催されています。

お近くのかた、ぜひ。

遠くのかたも、
よろしければ見に行ってみてください。

終了前日の20日(日)には
秋田公立美術大学講師の石倉敏明さんと
田附さんのトークがあるようです。
最新作の『魚人』はじめ、
田附さんの作品集も販売予定だそうです。

詳しくは
以下の展覧会HPをご確認ください。

田附勝
「みえないところに私をしまう 2013-2015」

会場:秋田公立美術大学ギャラリー BIYONG POINT
住所:秋田県秋田市八橋南一丁目1-3
   秋田ケーブルテレビ(CNA)内
会期:開催中(3月21日まで)
HP:秋田公立美術大学 展覧会HP

 

2016-03-17-THU