今日の「ほぼ日」ニュースまとめ
「ダーリンコラム」で糸井重里が提示した
“面接や試験のための傾向と対策”のつまらなさに、
読者のみなさんからこんな反響がありました。
それは、2月19日の「ダーリンコラム」でした。

<面接試験の傾向と対策とつまらなさ>と題し、
糸井重里が


「受験用の傾向と対策に必死になる受験生たちは、
 なにかものすごくムダなことに
 自分を賭けているのではないか。
 ムダなことがわるいというわけではないのだけれど、
 やればやるほど自分を苦しめるようなムダは、
 させたくないような気がするんだよなぁ。
 
 おじぎの角度について、本気で練習していたり、
 付け焼き刃で面接官に気に入られるような知識を
 詰め込んでいる学生に、
 『じゃぁ、どうすればいいって言うんですか?』と
 逆ギレされたら、どうしようもないんだけれど、
 それが「いいこととはかぎらないぜ」と、
 ちょっとだけでも耳に入れてあげたいなと思う。」
2007年2月19日「ダーリンコラム」より抜粋)



と書いた内容に、
とてもたくさんのメールをいただいたのです。
その勢いに、糸井は、翌日の「今日のダーリン」で
さらにこう書きました。


・昨日掲載された『ダーリンコラム』に、
 たくさんの感想メールをいただきました。
 読んでもらえてうれしいです。ありがとうございました。
 せっかく一所懸命になっている人たちに、
 冷や水をかけるようなことにならなきゃいいが、と、
 注意深く書いたつもりだったのですが、
 あんがい大丈夫だったようで、安心しました。
 学校の場合でも、会社の場合でも、
 とにかく、いろんな半端な情報が流れるんですよねぇ。
 履歴書に貼付する写真は、
 どこそこの写真館で撮影するのが「常識」だ、とか、
 なになにクラスの人の紹介状が、複数必要だとか、
 気味のわるいうわさ話が、流されることも多いんですね。
(2007年2月20日「今日のダーリン」より抜粋
 ※後半に続きを掲載しています。



わたしたちはここで、メールでいただいた
現実の就職活動のようすやそれぞれのお考えを、
読者のみなさんと共有したいと思います。

といっても、みんなで答えを出そうとか、
ここで新らしい「傾向と対策」を作ろうじゃないか、
という提案では、ありません。
それは、それぞれにお任せしますね。
「ほぼ日」は、ともあれ、
「考えていこう」と決めました。

まずはじめに、まさに今、
「傾向と対策」に翻弄されているというみなさんの
メールです。

=
僕は就職活動まっただなかの21歳です。
今回のダーリンコラムを読ませていただいて、
ただただ、悩むばかりです。
僕も糸井さんの意見と同じで、
面接のための正解みたいなのが嫌いで
そういった類の本も買いませんでした。
面接のときは、ある程度用意はしていきますが、
あとはそこで必死で考えることにしています。
そこで出てきたものが何だか正直な気持ちだと思うので。
糸井さんと考えが一緒だって思って
勝手に喜んでいるこんな僕ですが、
どうしても、上記したような意見を強く言えません。
どこかで安全というか、
確実な道を探っている自分がいます。
結局みんなと同じような就職活動を
しているに過ぎない自分に気づくと
かなり自己嫌悪に陥ります。
人よりスーツを着こなし、
上手く話せるかをいつのまにか競ってる。
そこで勝って(つもりで)喜んでいる自分もいるし。
でも、今はこれしか思いつかない。
「それは考えてないからだ」
「自分のこと分かってないからだ」
と言われたら、それまでですけど。
(Ue)


=
私は大学院一年生で、現在就職活動を行っている身です。
一ヶ月ほど前、まだ就職活動が本格的に始まる直前に
面接対策、エントリーシート対策の本を
読んだことがありました。
そこには今回のコラムに書かれていたように
おじぎの角度であったり、ノックの回数についての
記述がありました。
それを読んで、友達と「くだらねぇ、馬鹿みたい」と
笑ったのを覚えています。
もちろんそれ以外に、
自分を分かりやすくアピールするためには
どういった文章を履歴書に書けば良いか、
それが書けるようになる為には、
どういった準備をするべきかということについての
記述もあり、その部分は真摯に受け止め、実行しました。
そういった就職活動の本を読みながら、
自分なりに情報の取捨選択したつもりでした。
就職活動を始め、しばらくたち、面接を何度か経験し、
ちょっとした面接慣れ、就職活動慣れを
感じ始めています。
そうは言っても、不安になり
何も手につかなくなってしまうこともあります。
不安になると、想像力がなくなり、
自分なりの最悪の状況を、安易に想像してしまうんだなと
最近になって、身をもって気付きました。
私は「就職活動なんて結局はテクニックさ」と
乱暴に言い切れるほど就職活動をしていませんし、
そういったテクニックを是が非でも
身に着けたいと思うほど、
就職活動に打ち込んでもいないのかもしれません。
しかし、不安に駆られたときは、
そういうものにすがりたいと思うときもあります。
この就職活動を通して、何が具体的に
自分の中で変わるのか分かりません。
不安や期待をベースとした一喜一憂の人生経験として
片付けられるのか、あるいは、
人生観が変わってしまうこともあるのかもしれません。
ただ、恋愛や失恋のように
(これらと同列に並べることに若干の抵抗はありますが)
人生でそう何度もないことを今、
経験しているのだろうなという自覚はあります。
(村山)


=
私は、この3月に卒業する予定にもかかわらず、
進路が決まっていません。
一昨年の12月から始めた就職活動。
60社以上は受けました。
60社を超える辺りから数えるのはやめました。
60社も受けてるのに内定のない私。
「60社くらい、なんだ!!」と思えたら良かったのですが
「私は社会に必要とされていない‥‥」
そう思ってしまう方が強かったです。
「何年かは働いても、必ず学問の世界へ戻ろう」。
もともとそう思っていた私の企業に対しての志望動機は、
上辺だけの嘘っぱちも入っていました。
だからこそ“受からない”のではないか。
企業に落ちる度に弱くなってしまっていた私は、
この考えにしがみつきました。そして悩んで悩んで、
大学院の編入試験を受けることにしました。
私は、この受験勉強に、修士の時のような
「学べる喜びを感じ、学ぶことが楽しくて仕方ない」
というような状況を想像していました。
しかし、実際の毎日は、まず机の前に座り
本を広げるのも難しいような状態でした。
身体的にではありません。精神的にです。
やっとの思いで座り、テキストを読み始めるのですが、
読んでも読んでも頭に入ってきません。
情けなく苦しい毎日が続きました。
そして受けた編入試験。今まで生きてきた20数年の中で
一番書けなかった試験となりました。
「ああ。終わった‥‥」。あんなに悩んで受けた試験。
それが笑っちゃうくらい出来ないなんて。
笑い事ではすまされないのですが、正直笑うしかなく、
当日は笑い、次の日は泣き、
その次の日から感情の起伏が少なくなりました。
今もぼやぁ〜としています。
糸井さんは、私のような
「目的もなくぼやぁ〜としてしまっている人」を
賞賛するために書かれたのではないと思います。
ですが、「正社員で生きることだけが人生じゃない」
とも読み取れる文だけで、
今の私にとってはとても嬉しい文でした。
どうやったら”ぼやぁ〜”を越えられるかわかりませんが、
“ぼやぁ〜”を越えたところに何かを見つけ、
またぽつぽつ生きようと思います。
(野崎)


=
私も、現在面接(試験)を受けて
再就職を目指しているものです。
新卒とは違って、即戦力にならないと判断されたら
書類選考段階で即「不採用」。
中途採用者を育てるという無駄はしないのは、
当然なのでしょう。
写真は耳を出した状態で。書類は折らずに
クリアーファイルに入れて郵送する。
面接に行く時はリクルートスーツでは若すぎるから
地味なスーツで等々、交通費にも事欠く身には
「なんだかなぁ」と感じることもあります。
おじぎの角度に代表されるような
面接訓練をしたこともありますが、
「処世術だから」と納得させています。
やればやるほど、
「こうしなきゃ、気に入られないのかな」と
モヤモヤするばかりなので、
糸井さんのコラムを読んで涙が出ました。
これまで自分の負け惜しみなのかなと思っていたことが、
疑問に思っていたことが書いてあったから。
社会に出る、働く、という時に
もっと大切な事は他にあるんだと。
“ほんとうに大事なことは、学校も企業も、
 「いい人。いっしょにやっていきたい人」を
 採用したくてたまらないということです。”
(翌日の「今日のダーリン」に書かれていました。)
「いっしょにやりましょう」、といわれるまで、
まだまだ先は見えませんが、やらなきゃいけない。
生きていかなきゃなりませんから。
感想になってなくて、すみません。
(kikue)


=
ダーリンコラム、読んで悲しくなりました。
わたしはいま大学3年で、
それこそ着慣れないスーツを着て、
毎日毎日企業をまわって
筆記試験や面接を受けています。
今年は売り手市場、なんて言われているけれど、
エントリー100社なんてざら、不安と焦りでいっぱいで、
本当にみんな必死です。
『面接必勝法』『内定者はこう答えた100例』
そんなタイトルが並ぶ就職対策本。
くだらないですよね。
でも、どんなにくだらないと思っていても
手にとってしまうのが就活生の心理です。
日本の民間企業じゃ「新卒」命です。
それを逃したら途端に道が閉ざされてしまう。
だからみんな必死なんです。
わたしは明日もスーツを着て
面接官ウケのよさそうな志望理由を話します。
くだらなすぎる、んですよね。
そんなの自分でもわかっています。
でもそれで受かるなら、受かる可能性が大きくなるなら、
いくらだってプライドは捨てるつもりです。
(K)


=
昨日、私は某テレビ局の最終役員面接で
落選してしまいました。最終面接までに、
全7回の面接&筆記試験を突破していただけに
非常に残念きわまりないです。
まあ、そこまでいけたというだけでも僕はそれなりに
「就職活動の上手い奴」ということなんだと思います。
自分で言うのも何ですが(笑)。
ただ、それでも納得できないこともあります。
それは「それまでの面接と筆記試験では、
いったい人事部は僕の何を見てたのか」ということです。
何度も会社に足を運び、面接を受けることの精神的、
肉体的プレッシャーは並々ならぬものがあります。
また地方からわざわざ来た受験生に関して言えば、
金銭的な問題もあるでしょう。
それなのに最後の役員の「君はテレビ局向きじゃない」の
一言でバッサリと落とされる。
「向いてないなら、もっと早く落とせよ!」という言葉が
喉から出そうになりました
そんな「テレビ局に不向きな性格」の僕でも、
面接を数多く受けていると、その日の面接の
「出来・不出来」というのがわかるようになってきます。
ただ、その判断基準は「自分の熱意を伝えられたか」
といったようなものではありません。それは、
「いかに面接官に印象良く、
 自分を売り込むことができたか」、
「言葉を大事な所で噛まなかったか」
「緊張しなかったか」といった、
トレーニングで何とでもなるようなことばかりです。
要するに全ては「慣れ」です。
僕はそんな判断基準で「よし、今日は上手く出来た!」
と言う度に、心のどこかでは
「何かが間違ってるよなぁ〜」と思っています。
僕が思うに、熱意というものは、
そうそう簡単に表現できるものではないと思います。
むしろ、たかだか10分から15分の面接で自分の熱意を
十分に表現できる人のほうが珍しいと思います。
すいません。結局、愚痴になってしまいましたね。
負け犬の遠吠えと言われればそれまでですが、
「就職活動の上手い奴」も心の中では
疑問を感じているということだけでも
わかっていただければ幸いです。
(ユー)


「傾向や対策なんてくだらないってことは、
 わかっている。わかっているけど‥‥、」
という声が聞こえてくるようです。
苦しい、ですよね。

一方では、
「就職活動の傾向と対策」とのつきあい方に
自分なりの答えを出してみました、
という方々もいらっしゃいます。
また、自然と自分なりの方法ができた、という方も。


=
私は、受験や就職のための必勝法などは、
「もちろん、それがすべてではない。
 それはものごとの一面にすぎない」
ということをきちんと踏まえた上であれば、
ムダではなく、非常に勉強になることなのでは
と思っています。
受験や就職は、若者がはじめて経験する
「絶壁」なのではないかと思います。
これまでは、「自分が話したくない人」を避け、
「自分の話にすすんで耳を傾けてくれる人」とだけ
コミュニケーションしてもやっていけたけれど、
今回はじめて、自分がどんなに努力を払っても、
自分の言葉を受け入れてくれるかわからない人と
話すことになる。
その人にはどういう話し方をすれば伝わるかを、
一度自分というものを崩してまで考えなければいけない。
その貴重な経験が積める場なのでは、と思います。
とりあえず自分をカッコにいれて、
または脇において答えを考えるというのは、
社会で働いていく上で必要な技術だと思います。
もちろん、そればかりになってはいけないですが、
その技術が全然なくても、
社会で働いていくことは難しいのではないでしょうか。
(一文笛 34歳女性・東京)


=
私見ですが、みんな不安なんです、きっと。
いまの教育は、観念的なこと、社会常識といわれることは
家庭の範囲のことで、学校ではやらない、
と決めています。
道徳の授業や、ゆとり教育で始まった
「総合的な学習」の時間でやることは
あるかもしれませんが、
ほとんどないと言ってもいいんじゃないでしょうか。
でも、家庭の力、親の力っていうのは偏りがあったり
子どもの志向と異なることがあったりします。
その差が不安要素になって、さらにオトナたちの
「最近の若者は‥‥」との声におされて、
絶対的なマニュアルを求めるんです。
お辞儀や服装についての礼儀は
それでもいいと思うんです。
でも、付け焼刃の知識や気に入られる自己PR・志望動機は
おなじ学生から見てもなんだかなあ、なのです。
たとえば、自己PRのために海外ボランティアに行く、
なんて、順序が逆になっていて釈然としません。
そしてきっと追い討ちをかけるように
就職活動をビジネスチャンスだと捉えて、
学生の不安を購買意欲に結びつかせようとする
オトナがいます。
そこで、思うわけです。就職活動ってなんだっけ。と。
じゃあどうすればいいのか、と言われたら、
私は「社会人にいっぱい会う」ことをすすめています。
私自身もそうですが、自分自身の考え・好みも、
もやが晴れるようにわかってくるものです。
社会人の方の考え方も少しずつわかってきて、
お話は刺激的でやる気もわいて、とても楽しいです。
これで就職活動が成功するかはわかりませんが、
少なくとも後悔はしないと信じています。
(大学3年、現在就職活動中のKI)


=
ダーリンコラム、非常に興味深かったです。
と言うのも、私自身が学生時代、就職試験を
自分なりに分析・研究し、
対策マニュアルを作ってそれを使用し、
さらにそれを友人知人に配布して
就職試験への対策を啓蒙していたことがあるからです。
その対策マニュアル内にも書いてありますが、
就職試験対策はその内容自体に意味があるというよりも、
対策をするその労力を会社側に示すことに
意味があるんだと。つまり、
「大抵の若者はばか者だ。
 そして、今目の前にいるこの若者が、
 ばか者かそうでないか、
 それを本当の意味で判断することは難しい。
 しかし少なくともこの若者は、
 お辞儀の角度の練習や
 志望動機の推敲をしてくるくらいには
 我が社に入るための誠意が見せられるらしい」。
面接官はきっとこう考えるのではないかと、
予想したのです。
就職して2年経った現在でも、その考え方は
それほど的外れだったものだとは思っていません。
ただ一方で、そのようないわばマナーみたいなものは
社会に出てからでも十分に身に着けることが
できるものですし、マナーを守れる若者が、
必ずしも(その会社にとって)優秀な人間というわけでも
なければ、マナーを守れない人間が
必ずしも(その会社にとって)不要な人間、
というわけではない、とも思います。
マナーのような、後付けで身に着けさせることが
できる能力の欠如を理由に
他の可能性を考慮に入れずに
不採用の通知を受験生に出してしまうことは、
会社にとっても受験生にとっても
幸せなことではないのかも知れない、と。
(にしかわ)


=
まさにいま、就職活動のまっただ中にいる学生です。
私は、今回のコラムを読んで、
改めて“就職活動をしている人たち”について
目を開かれる思いで、
「ああ、本当にみんな、
 そういう風にがんばっているのね」と
素直に感心、納得してしまいました。
でも、なんだか私、よそものみたいだなあ。
これが、現時点での
“就職活動中の学生と私との距離感”です。
みんな、“おじぎの角度”にがんばっている、らしい。
ことは知っていました。
でも、私は、必死になるというより、
楽しんじゃってるみたい、というのが
現在の状況なのです。
例えば提出する書類を書く時、志望動機を考える時、
それは悩みます。
確かに、“どんな人間が受かるのか”を
考えることもあります。
それでも私は、それを考えるのにワクワクしてしまう。
そういえば、いままでこんなに自分のことを
振り返ったことってなかったなあ、
ということに気づいたのです。
で、その行為は実は決して興味のつきることのない
分野だったのだ、ということにも。
自分が何をしてきたのか、とか、
何に興味をもっているのか、を、
おおっぴらに人に伝えること、それがどうしたら
明解に伝わりやすくなるのかを考えることは、面白い。
とても、“受かりやすい文句を丸暗記する”暇なんか
ないなあ、と思うのです。
長い人生の通過点として、いままでの自分を
振り返ってみる期間。それを思う存分演出して、
いろんな人に伝えてみる期間。
そのなかで、人生のたくさんある曲がり角のうちの、
ほんの一個を選んで曲がってみる期間。
というように考えたらいけないかなあ、と思いつつ、
このごろの目まぐるしい日々を過ごしているのです。
(梅垣)


決して、「傾向と対策」が
つまらないだけのものではないよ、
というのはもっともだと思います。

また、「傾向と対策」は便利なツール(道具)である、
というイメージを、上記の4通から感じました。
道具として、ということはそれをあつかう対象、
つまり料理でいえば素材について考えている、
と言えるかも。

ところで、就職活動を逆から見る立場の方々は、
どう考えているのでしょう。
「ほぼ日」には、こういったメールが寄せられました。


=
コラムに書かれていたこと、僕も実感します。
僕は大学で教えているものですが、学生からよく
「つい、会社に批判的な態度をとったけど合格しました」
とか、「第3次志望っていったけど採用されました」
という話を聞きます。学生には、
「企業の人事がみてるのは、
 『こいつと仕事したいかどうか』だから、
 付け焼き刃のことやっても、全部見透かされてるよ。
 就職したかったら、ちゃんと自分を表現できるように
 考えた方がいい」
って伝えています。
こういうこというと、
「じゃあ、普段の自分を見せればいいんだな」
ってことで、何も準備しないで就職試験に臨む人が
本当に出てくるのがおもしろいところです。
せめて、ノックの仕方とか挨拶の仕方、
ことばの使い方は勉強してくれ。
社会については普段からちゃんと考えていてくれ。
そして、面接受ける企業に入りたい自分モードには
なっていてくれ、と伝えています。
私の教えている大学では、
ゼミに入って最初に教えることは、まず礼儀です。
次に、自分を表現する方法
(あるいは、表現の経験を積むこと)です。
そういうのが知らず知らずのうちに
マニュアルになってしまったのかもしれませんね。
(S)


=
学生を面接する立場の者として、
いえ、ひとりの人間として、
こういう『目にはみえないかんじんなこと』を
文章で表現してくれるオトナがいることに、
胸のところがむずむずするような
うれしい気持ちを味わいました。
戦略本を本気で武器にしようとしてる子は、
少し話すだけで浅さを感じてしまいます。
そういう子たちに、そうじゃないんだよ、
きみの大切にしてる
モノやコトを話して聞かせてほしいんだよ、
という思いをこれからも伝えていこうと、
心を新たにしました。
(A)


=
僕は高卒で、ちょっと無謀なカタチで
独立することになってしまって
今個人事業4年目の26歳です。
お客さんに、個人事業のコンサルの方がおりまして、
その方がプロデュースする、
学生と企業をマッチングする就職活動、
新卒採用のイベントをお手伝いしたんです。
学生は、どちらかというと、
ベンチャー思考の強い、有名大学の
ちょっと賢すぎるんじゃないか!!
というような学生達です。
企画や運営もその学生にやってもらって、
僕はそのサポートをしたりしながら、
大学生ってどんなんや? と、観察してたんです。
なんせ僕は、そんな学生やら、
就活やらの世界を全く知らない、
工業高校卒の下町のアホたれさんだからです。
優秀と言われる学生が自分の周りの人間とどう違うのか
僕はとても興味があって、見てみたかったんですね。
学生に対して出会う前に思っていたのが
糸井さんのダーリンコラムに書いてあるように
『なにかものすごくムダなことに
 自分を賭けているのではないか。』
ちょっとつまらんすぎないかい? と、
ほんとにそれで君が幸せになるの? と、
ノウハウや、準備や、段取りや、コツや、確率や、
利害や、打算や、ロジックや
なんかそっちだけの感覚で生きてるように見えたんです。
ただ、直に学生達を見て思ったのが、
少なくともそイベントの場にいた学生達は
キラキラしてたんですね。
理念や理想がつまらなくとも、
何かを得ようとして、一生懸命な姿は
いいもんかもなぁ〜と思ったんです。
それと、その子達の目の前にある生き方が偏っている、
選択肢のバリエーションが少ないのかしれないと。
なぜなら、僕は彼らと全く違う生き方をしてるんですが、
僕みたいな生き方をしている人が周りにいないし、
出会ったことがない。
でもそんな子達が、僕みたいな人間を
ちゃんと受け入れてくれるんですよ。
しかもキラキラした目で見てくれる。
そのときに、あれ〜?って思ったんですよね。
やっぱり人って、出会うかどうかやなぁ‥‥と。
(川上高史)


みなさん、ありがとうございました。

さて、はじめに紹介しました、
「翌日の『今日ダーリン』」は、こんなふうに続きます。


 でも、ほんとうに大事なことは、学校も企業も、
 「いい人。いっしょにやっていきたい人」を
 採用したくてたまらないということです。
 おじぎの角度が完成されていたから受かった、なんて、
 あるわけないじゃありませんか。
 あるとしたら、それはおじぎの角度に象徴されるような
 魅力があったということだと思いますよ。
 
 あれ書いてから思い出したのですが、
 ぼく自身は受験とか面接とかから逃げてきた人間だけど、
 よくよく考えたら「人事」のプロの知りあいがいたわ!
 こんど、この人にいろいろ訊いてみる企画を、
 やってみましょうか。
 たぶん、小賢しい手管がムダになるよ、ということが
 ちゃんと説明してもらえると思いますよー。
(2007年2月20日「今日のダーリン」より抜粋)



「ほぼ日」なりに考える「就職」や「人事」について、
次の登場をお楽しみに。

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2007-03-08-THU
 
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