はじめての中沢新一。
アースダイバーから、芸術人類学へ。

とんでもなく大きい視野のイベントができました!
友人たちが関係者席に座りたがってタイヘンです。
タモリさんと、糸井重里の依頼で、
中央大学教授の中沢新一さんが、登場するんです。

30年間の研究を、徹底的に濃縮し、
糸井重里に邪魔されながら、
タモリさんに突っこまれながら、
旧石器時代から現在につながる人間たちを、
そして未来に向けての人間たちの希望を……
たぶん、目の前に、想像させてくれるはずです。

「対称性、という道具を持って世界を見るうちに、
 自分の思考の中でなにか決定的なことが起きた」

縄文地図を手に東京を歩く『アースダイバー』や
全5巻の大傑作『カイエ・ソバージュ』の内容を、
いい会場、きれいな座席、長丁場で、語りつくす!

イベントがどんなにおもしろくなるか、
想像できそうな、打ちあわせの会話を、
「ほぼ日」では、連載してゆきますね。

第14回 また、会いたいね
中沢 東京は、六〇〇〇年前は、
日本列島の文化の中心地ですから。
糸井 中沢くんの最近の研究は、
どんどん、
そういう話になってるじゃないですか。
六〇〇〇年前ぐらいの時期に
何も起きてなかったはずがないという。
中沢 そうそうそう。
糸井 吉本隆明さんに会ったとき、
そういうふうに言ってたよ。
中沢 うん。
『アースダイバー』は
吉本隆明さんにも捧げる本だもん。
吉本さんの『アフリカ的段階』を
前から実証したいと思ってたから。
糸井 吉本さんも、
中沢くんも、
おたがいに、
会わずに愛しているねぇ……。
中沢 (笑)ときどき会いしましたけどね。
まぁ、最近は、会わずに愛してます。

吉本さんが、
「うちのじいさんは佃の漁師で」
という話から、
アフリカ的段階というところまで
想像力でいきつくじゃないですか。
それをなんとか、
細かいところまで立証したかったんです。
糸井 吉本さんも中沢くんも、
ふたりとも、詩だよね。

吉本さんが
中沢くんについて言っていたことを
要約してみると……

「人間が木の実を食ったりとか、
 魚をどっかでしゃくってきて食ったり、
 山んなかで弓矢でケモノを追っかけて、
 捕って、それを食ってたりしてたのは
 動物とすこしも変わらない生活なんだ、
 とされる。それはおかしいじゃないか。

 人は何をしてたんだということなんです。
 ボヤーッとしてたわけじゃないでしょう。
 そのあいだに、何かやっていたはずです。
 食うものは、たしかに
 動物とそう変わらないものを
 食っていたろうけど、
 その間に何が起きていたのかを、
 言えなきゃ、おかしいじゃねえかと。

 中沢新一っていう人がいるでしょう?
 彼は、チベットに、
 一月に一回も行った時期があったらしい。
 ぼくは、それは、以前は、趣味でもって、
 好きだからいったりやったりしてるんだろうな、
 っていうふうに思っていたんだけど、
 これがなかなか、
 中沢新一の本をきちんと読んだら、
 そうじゃない。大まじめなんです。
 人間は地域ごとに違う言葉を
 しゃべるようになるまでの人たちが
 何を考えていたのか。
 どういう精神の内容を持っていたのか。
 中沢新一のやっているようなことは、
 これは、まさにそこに行き着くようなことで。
 ぼくは、彼の本を読みなおして、感心しました。

 精神を、ただ単にほじくりかえすだけなら、
 『こういうところに、
  こういう遺物があるから、
  こんなことを考えていたんだろうなぁ』
 と判断してしまって、
 それでおわりだけど、
 その遺物がある時の
 人間の心の中がどんなものか、
 どういうことを考えていたのかまでは、
 わかんないんですよ。
 その人たちが何を考えているのかは、
 同じことをやってみたりとか、
 それ以外に、わかる方法がないわけですね。

 中沢さんは、趣味じゃなくて、
 本気でやっているらしいんです。
 チベットで、
 たいへん能力のある人だと
 知られている人のところに弟子入りして、
 初歩のところから修行をするわけですね。
 ひとつできたら、次の段階はこれだ、と
 そういう人から、教わる。
 教わる中で、その人たちが
 何を考えているかを推察する。
 未開の時代からあった
 宗教の儀式みたいなのを
 続けている大家たちが、今もいるわけだから、
 そいつらに弟子入りして、弟子入りしながら、
 『何を考えていたんだろう、昔の人たちは』
 と、察知するっていいましょうかね。
 そういうことを、やってるんです。
 宗派の研究よりも以前のことにつっこむ。
 これは『それだよ!』って思うわけです。

 未開社会の人にいくら話を聞いても、
 宗教家から
 言葉でいくら解説を受けたとしても、
 そこに生きていた時の
 精神内容は依然としてわからない。
 それをわかるには、そこに生きていた人と
 おなじことをやるよりしょうがねえ」

というようなことなんだけど。
無意識、無文字の段階で
人類がつみかさねてきたものを
中沢くんが修行で知ろうとしている、
ということを、
吉本さんに教えてもらって、
「あぁ、中沢くんの書くものは、
 ただおもしろいだけじゃないんだ」
ということにぼくも気づいたんです。
タモリ たしかに、
「この裏木戸をあけたら、
 先にこんなにつながっているんだ」
みたいなおもしろさが、あるよなぁ。
中沢 また、吉本さんとしゃべりたいね。
糸井 すぐいこうか。
中沢 いきたいねえ。
糸井 すごくさえてるんだけど、
いわゆる
みんなが考えている
「知性の部分」は
病気になってるんです。
だけどぼくには
今まででいちばんおもしろい。
中沢 会いたいね。
糸井 じゃあ、日程決めて、連絡するよ。
たぶん会っといたほうがいいから。
放っておくといなくなっちゃう人、
たくさんいるから。
中沢 うん。
糸井 たぶん、
目とかよく見えないから
本を読んで考えることは少なくて、
自分で考えてきたことを
ことこと煮ているんだと思う。
だから、おもしろいんだ。


(このあと、
 中沢新一さんと糸井重里は、
 なつやすみ、伊豆の海辺の
 吉本隆明さんに会いにいき、
 大切な大切な話をしました。
 その時の話、もしかしたら、
 イベントにも関係するかもしれません。
 中沢さん、タモリさん、糸井重里の
 はじめの打ちあわせは、
 こうして終わりました。
 たのしんで読んでいただいて、
 どうもありがとうございます)

2005-10-07-FRI

(C)Hobo Nikkan Itoi Shinbun