日比谷の映画館。
「ゴジラ-1.0」を見て大感動して
涙をぬぐっていたら
エンドロールに知っている名前が。
数年前に話をしたことがある
VFX少年・三宅智之くんでした。
中学3年のときにつくった
ショートムービー「2045」の作者として
制作秘話を聞いたことがあったのです。
大学4年生になった三宅くんにメール送ると
ウルトラマンや仮面ライダーなどの
映像作品に関わっていることがわかり‥‥。
そこで、大学卒業間際の三宅くんに
会いに行ってみました。
担当はほぼ日のかごしまです。
(取材は2024年2月に行いました)

>三宅智之さんプロフィール

三宅智之(みやけ・ともゆき)

2000年東京都出身。
早稲田大学教育学部複合文化学科4年生。
小学校のときから独学で映像製作を始める。
「38912 DIGITAL」という屋号で
XやYouTubeで映像を公開している。
2024年春から
映像制作プロダクション「白組」で働く予定。
X
YouTube

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第2回 ルーツとなった2つの作品

──
はじめてもらった仕事はどんなものだったんですか?
三宅
西武園ゆうえんちのアトラクション
ゴジラ・ザ・ライド」の映像の中の建物のモデルを
つくることでした。
──
そのアトラクション、私、行きました。
昭和の街をゴジラが暴れまわって大迫力でしたね。
三宅
はい。初仕事が昭和の街の建物をつくるっていう仕事で。
自分の大好きな作品の一つである
山崎監督の『ALWAYS三丁目の夕日』と
同じような時代設定だったんですよ。
ただ、自分にとっては大きな仕事でしたね。
チームでのつくり方も、
どれぐらいつくり込むのかも、
まったくわからないまま始めたので、
白組の方にやり方を聞いたり、
迷惑をかけたりしながらどうにか完成しました。
すごく勉強になりましたね。

──
銀座みたいなにぎやかな街でしたね。
三宅
お仕事をもらった直後は当時の建物を調べなきゃと思って、
神保町を歩いて資料を探したり、
建築とかの本を図書館で集めたりしました。
その頃は看板建築っていう建築様式が流行っていたんです。
後ろ側は木造建築ですが、
建物の表面だけモルタルや銅板で
西洋風に飾るものです。
入口は石造りに見えるけど、じつは木造で長屋という。
こういう建物がまだ残っている場所があるので
探し歩いたり、
江戸東京たてもの園に行ったりもしました。
建物の入口の大きさを巻尺で測ったりとかして。
昭和の建物って入口の高さが180センチなんですよ。
そういうのを実際にメジャーで測ったりして、
「あ、全部180センチなんだ」みたいな発見があったり。
──
リアリティを追求しますね。
三宅
これ、当時のメモです。

写真 6027

──
絵が上手!
三宅
ありがとうございます。
当時は銅も建築素材に使われていて、
現存している銅の看板建築は
たいてい緑青というサビに覆われていて、
青緑色をしているんです。
でも建てたばかりのときは
何色だったんだろうっていう疑問が湧いて。
最初は茶色で経年変化で
だんだん色が変わっていったのかなと考えたり。
いろいろと調べて、
それをCGで描きおこしていました。

写真 6029

──
納期もあったんですか?
三宅
おおよその納期がありました。
その納期の中でできる限り
たくさんの建物をつくってと言われていましたが、
無理のないようにはしていただいていました。
──
それって、逆にプレッシャーになりますね?
三宅
めちゃくちゃプレッシャーでした。
それまで働いた経験はないし、
CGに関しても自分のためにつくっていたのが、
急に日本最高レベルの人たちにわたすモデルを
つくることになったので。
重圧はありましたね、すごく。
でも、白組の皆さんには丁寧に引っ張っていただいて、
アドバイスやフィードバックをいただいて、
ブラッシュアップしながらどうにかがんばって。
ただ体調を1回崩したのは覚えています。
自分で自分を追い込みすぎて。
──
しかも、大学に入りたての頃は生活の変化もありますよね。
三宅
いや、そうなんですよ。
でも、楽しかったです。
──
「ゴジラ・ザ・ライド」と『ゴジラ−1.0』は
時代設定が近いですね。
三宅
『ゴジラ-1.0』の和光の時計塔のモデルも、
この仕事でつくった経験が生きています。
──
『ゴジラ-1.0』の和光の時計塔は三宅くんがつくったの?
三宅
ベースのモデル制作を担当しました。
銀座の象徴的な建物ですね。
「ゴジラ・ザ・ライド」で
その架空の建物をつくった経験を経て、
『ゴジラ-1.0』では和光のモデルを
1棟まかせていただいたんです。
それでエンドロールにも名前を載せていただいて。
「ゴジラ・ザ・ライド」のあとに
いろいろな経験をして、
素材づくりのノウハウが少しずつ溜まっていたので、
その技術を『ゴジラ-1.0』で活かすことが
できたのはうれしかったです。
それに仕事を教えてもらった白組の方と
再度お仕事ができたのはありがたいことです。
──
「ゴジラ・ザ・ライド」と『ゴジラ−1.0』の間に、
『シン・ウルトラファイト』、『シン・仮面ライダー』にも
携わったんですよね。
どんな経緯で仕事をすることになったんですか?
三宅
Xの経由で、庵野秀明監督、樋口真嗣監督と
長い間一緒に仕事をされている上田倫人さんから
お声がけいただきました。
『シン・ウルトラファイト』の仕事があるんだけど
やりませんかと。
それからその『シン・ウルトラファイト』を見てくださった
庵野秀明監督から『シン・仮面ライダー』の仕事を
いただきました。

写真 4628 

──
どうして三宅くんに声がかかったんですか?
三宅
おそらくですが、DMをもらったのが
「特撮が好き」というポストをしていた直後だったので、
そのポストが目に止まったんだと思います。
特撮を好きな人は僕たちの世代では少ないので、
目立ったんでしょうね。
小6のときに、
庵野監督が館長を務める「特撮博物館」というイベントが
ありました。
そのことについての樋口監督のポストを
リポストする形で
「特撮博物館がよかった」とか
「特撮大好き」みたいなことを発信したんですよ。
山崎監督の『ALWAYS三丁目の夕日』と、
「特撮博物館」で公開していた
樋口監督と庵野監督の『巨神兵 東京に現わる』
の2つの作品が自分のルーツになっている
という内容だったと思います。
──
三宅くんは特撮が好きで、
「特撮博物館」には夏休みに毎日のように通ったって、
はじめて会ったときに
お父さんがおっしゃっていましたね。
三宅
はい。そうですね。何度も通いました。
いま僕が映像をつくっている原点は、
山崎監督、庵野監督、樋口監督にあるので、
その方たちとお会いできて
仕事できたのはありがたいことですね。
しかも、大学生のうちに。
──
ほんとに。憧れの方と大学生のうちにね。
三宅
『シン・ウルトラファイト』では
樋口監督が担当している1話分のVFXの制作を
僕がほぼ1人でやりました。
『シン・仮面ライダー』では
仮面ライダーの最初の登場シーンを担当しました。
崖の上に仮面ライダーがいるシーンで、
崖をCGでつくったんです。
庵野監督にもほめていただいて、貴重な経験になりました。
──
わぁー。それはうれしいですね。
それぞれの監督はどんな感じですか?
三宅
日本のVFXとか特撮のトップを走っている監督陣で、
僕にとってはレジェンドなので、
何を聞いてもおもしろいし勉強になります。
そしてそれぞれの方で映像のつくり方が全然違うんですよ。
それが面白いなって感じています。

(つづきます)

2024-04-11-THU

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