※本についてはこちらをどうぞ

うれしいお知らせです。
ほぼ日刊イトイ新聞の奥野武範が担当した
数々のインタビューコンテンツが
1冊の本にまとまることになりました。
本は星海社さんから出るのですが、
インタビューアーを軸にした本になるなんて、
なかなかないことだと思います。
ここは、胸を張って「本が出ます!」と
言いたいところなんですが‥‥
ま、奥野本人は言いづらいんじゃないかと。
そこで、何人かの乗組員で、
著者と本を応援する文を書くことにしました。

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担当:永田泰大(ほぼ日)

奥野武範は冒険家である。

ほぼ日が身内ながら誇る編集者、
奥野武範のインタビューを集めた本が
星海社さんから出ることになった。

きっと本人は「ぼくの本が出ます!」と
大声で騒ぎ立てたりはしないだろうから、
読みものを担当している仲間どうしで
それぞれに応援しようということになった。
ひとり目は私、永田です。

奥野武範は社歴の古い乗組員からは
「おっくん」と呼ばれていて、
ぼくも記憶に残る限り彼を
「奥野くん」などと呼んだことは
ただの一度もないのだが、
彼が著者として最初の本を出すにあたって
精一杯のエールを表現するこの文章で
「おっくんはね」「おっくんがね」などと書いていると、
学校であったたのしい出来事を
ランドセルを背負ったままお母さんに報告する
やすひろくん、みたいになっちゃうので、
ここでは「奥野」とビシッと呼び捨てすることにする。
いいか奥野、わかったか奥野。

率直に言って奥野武範の仕事は、
社内社外を問わず、とても尊敬されている。
「奥野さんの仕事は、いいですね」と
ふだんあんまり人の仕事を手放しでは褒めない
厳しめの人たちがしみじみ言うのを何度も聞いてきた。
同業の仕事を担当する身としては、
少々どころか大いに嫉妬するほどである。

そして、こういうことばもよく耳にする。
とくに、新人の編集者や、
もの書きを目指す若い人たちが、
しばしばこんなふうに言うのだ。

「奥野さんみたいな仕事をしたいんです!」

それを聞くたびにぼくは、
ああ、わかるよ、それは理想だよね、
というふうに優しくうなずいて見せるのだけれど、
こころの中ではじつは「マジかお前」と思っている。

きっと、無邪気に憧れを口にする彼らは、
おっくんの、いや、奥野の仕事を、
実直で誠実な職人のようにとらえているのだと思う。

たしかに、奥野武範の仕事は
長い道を一歩一歩進んでいくような職人っぽさがある。
それは彼が手掛けた数々のインタビューに触れれば、
きっと誰しもが感じるだろう。

奥野はさまざまな対象にアプローチする。
ときに現代を代表する画家を訪ね、
ときに世界的なカメラマンにインタビューするかと思えば、
一般の人という以外ない市井の人とか、
失礼ながらまったく無名な誰やねん、
という対象にも取材する。
で、それぞれに、きちんと
読み応えのあるコンテンツに仕上げる。
どこかしら、なにかしらを得て、
いつも読み手をしっかり満足させる。
「担当は『ほぼ日』奥野です」という一文があれば、
ほぼ、間違いなく、読んでよかったと思わせる。

それを私もやってみたいと憧れるのはわかる。
私も興味のままに、取材を申し込み、話をして、
それを記事にまとめて読んでもらいたい、
というふうに感じるのは、わからないでもない。

しかし、述べたようにぼくは、
こころの底では違うことを思っている。

いいかい、お若いみなさん。

あれは、恐ろしい仕事だぞ。
真面目に淡々と進めれば結果が出るような、
地道な姿勢に保証されるようなものではないぞ。
さらに踏み込んで言うならば、
みんな、なんならあれを、ちょっと自分でも
できそうなこととしてとらえてないか?

とんでもない。

もう一度、言おう。あれは、恐ろしい仕事だぞ。
地道で実直どころか、冒険だぞ。
真面目で淡々とどころか、危険で野蛮だぞ。
正直にいえば、
あんなことはぼくにはとてもできない。

インタビューそのものの恐ろしさは、
たしかにどんな現場にもある。
対象となる人と一対一で向き合い、
その人の底にある稀有なものを
つかみ取ってくることは、
誰にとっても難しく、同時にやりがいのあることだ。
だから、インタビューってたいへんなんだよ、
ということをぼくは言いたいわけではない。

ぼくが恐ろしいと思うのは、
おっくんの、いや、奥野の、
「おもしろそうな人がいるので話を聞いてきます」
というその身軽な出立においてである。

彼は、著名な人を対象とした
インタビューらしいインタビューもするけれども、
しばしば、あまり取材されない人に取材する。
自転車の修理をしてるおじいさんとか、
ふつうの仲のよいご夫婦とか、
ソテツの種に水をやってる漫画好きの子とか、
それはもう、無差別に、縛りもルールもなく、
「おもしろそうだ」と思った人にアプローチする。

その姿勢は、たしかに憧れる。
なんだか、自分の好きなことを大切にして、
興味のままに自由に振る舞っているように思える。
しかし、違うのだ、現実的に考えてほしい。

その取材は、取材先に取材を申し込まなければいけない。
カメラマンを手配しなければいけない。
地方である場合はチケットを手配しなければいけない。
場合によっては宿を取らなくてはいけない。
掲載ページを整えなければいけない。
インタビューの文字起こしを依頼しなければいけない。

つまり、お金と時間がしっかりかかるものなのだ。
だからこそ、ふつうはそこに結果を見積もる。
「この人に取材すれば
こういうことを言ってくれるだろう」とか、
「あの人が出ればあの人が出てるというだけで
ページはなんとかなるから」とか、
極端にいえば「この人の名前があれば成立する」とか、
そういうふうに自分なりに最低限の結果を確信したうえで、
じゃあ、この人の時間を割いてもらって、
このくらいのお金をかけて進めます、ということになる。

つまり、奥野武範が、興味のある人に取材に行くとき、
彼はひとつひとつに責任を背負っているのである。
「就職活動に疑問を感じて
糸井さんに面接してほしいと言ってきた青年」に
インタビューするときも。
「自分の道を示してくれた大学の恩師」に会いに行くときも。
「トイレのことを考えている会社」を訪れるときも。

どうですか、恐ろしさがわかってきましたか。
たとえば、あなたがそういう立場にあるとして、
「私がおもしろいと思った人」に
気軽に取材を申し込めますか。
しかも、取材が成り立ったら成り立ったで、
今度はそこに現場での難しさがたっぷりあるんですよ?

奥野武範は、そういう
「ちょっと話を聞いてきます」を、
つねに何本も同時進行させている。
あきれた冒険家である。

彼はしばしば言う。
「どんな人も、話をすればかならずおもしろい」と。
そりゃぁ、そうかもしれない。
実際、彼はそれをかならず成立させている。
でも、だからといって、
確信できない取材を企画する責任や
現場に飛び込む怖さがなくなるかというと
そんな簡単なことではないだろうとぼくは思う。

事実としていえば、
さまざまな人に取材した結果の記事は、
まちまちである。
突然、深いところに潜っていくような
ドラマチックな展開になることもあるし、
大きな驚きや発見とは無縁な淡々としたやり取りで、
だからこそ読後感がよいものもある。
多くの人を集めるインタビューもあれば、
少ない人がいいものを読んだと
うれしく感じるようなものもある。

しかし、奥野武範は、一定である。
どのような対象にも、行ってきますと出ていって、
そういうものをひとつひとつしっかりと形にする。
恐ろしいやつだなあ、とぼくは思う。

変な人だなあ、おもしろい人だなあ、と感じる人は、
ぼくのまわりにはけっこういるけれど、
恐ろしいなあ、と思う人はあんまりいない。
応援する気持ちと尊敬の念を込めて、
奥野武範は恐ろしい人です、とぼくは言う。

さて、そのようなおっくんの冒険が凝縮された本が出る。
いってみればこの本は、おっくんの恐ろしさが
ついに一個のかたまりに凝縮されたものなのだが、
不思議と本にまとまるとその恐ろしさは消えて、
まっすぐで気持ちのよい素敵なものに仕上がっている。

ひと足さきにページを繰りながら、
ぼくは書いた人の恐ろしさを忘れ、
ああ、いいなあ、というふうにうれしく思う。

思えば、世の中にある名作と呼ばれるもののほとんどは、
こんなふうに個人の恐ろしさに下支えされつつも、
最終的に誰かの手に届くときには、
やさしくてうれしいものとして
ふわりと昇華するのかもしれない。

ぜひ手にとってください、この本を。

(ほぼ日 永田泰大)

(次の乗組員につづきます。)

2020-04-10-FRI

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  • <本について>

    『インタビューというより、おしゃべり。
    担当は「ほぼ日」奥野です。』
    奥野武範

    星海社
    ISBN: 4065199425
    2020年4月26日発売
    ※更新時27日と記していましたが、ただしくは26日です。
    訂正してお詫びいたします。(2020年4月22日追記)
    1,980円(税込)

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