光嶋裕介 鈴木茂 シェフ やえ

もくじ
その1 なぜ買わずに来ちゃったんだろ。 その2 フィンランドはうらやましいだろうか? その3 家づくりのリテラシー。
その4 都市で賃貸で暮らすということについて。 その5 風邪を引かない家。 その6 秘密基地に住む。
その7 消え去る思い出。 その8 共同体としての家。 その9 パブリックとプライベートの境界線。

その9 パブリックとプライベートの境界線。
ほんとうのプライベートな時間って、
もしかしたら部屋にいるときでもないんじゃないか、
仕事場から家に帰るまでの
例えば歩いてる時間とか電車に乗ってる時間とかが、
実は一番プライベートな時間かもなって思うんです。
あっ、そうかも知れない。
僕はベルリンに行った瞬間にほんとに孤独だったんですよ。
だれも知らないし、
耳から入って来るドイツ語も分かんないし。
俺ここで何してるんだろうと思った瞬間は、
当然最初のころはあったんですよ。
でも、徐々にいろんな知り合いができて、
よくケバブを買う店ができてね、顔見知りになったり。
そうやって、街に根付いていくわけじゃないですか。
で、東京って、あまりに広くてあまりに密度が高いから、
むしろあんまり‥‥。
僕、隣に住んでる人知らないし。
外にいる瞬間のほうが
プライベートだったりするっていうか、
なんか渋谷のざわついたところで、
知り合いは誰もいないわけじゃないですか。
なかなか会わないですよね、東京って街では、
不思議なことに。
僕、自転車で動く範囲がそれなりに大きいので、
そんなにおんなじところ何度も行ったり、
誰かに目撃されたりっていうのがないから、
むしろ外にいるときが、人はいっぱいいても、
プライベートな瞬間を感じるというか。
なるほど、なるほど。外のほうが、おうち化してる、と。
凱風館での内田先生もきっと同じで、
ちょっとフラフラっと
外に買い物に行っている瞬間のほうが
実はひとりだと思うんですよ。
糸井も言ってました、
逆転してるって。家と外が。
昔はおうちでしか音楽が聞けなかったけど、
ウォークマンをつけて外に出るようになって、
いまはiPodみたいなものがあって、
そういうふうな逆転がこの先も起きてくるって。
外で電話してるもんね。
むかしは電話は外でしなかった。
携帯電話ができたときも
会話を人に聞かれるのに妙な抵抗があった。
そうですよ。いまや歩きながら電話してる。
そのすごくプライベートな話を
いろんな人に聞こえてるようにしてるのに。
だんだん「聞かれること」を
気にしない人が増えてきましたよね。
僕はまだダメだけど。
ぼくも、光嶋さん的に、
外に出てるときがひとりの時間だったんですけど、
それこそ引っ越して変わったんですよ。
商店街がすぐそばにある
住宅地に引っ越したんですよ。
そしたら酒屋のおじさんと仲良くなり、
八百屋のおばちゃんと仲良くなり、
その延長で伊勢丹のデパ地下の人たちとも
仲良くなったり(笑)。
いま、そういうほうが楽しいなってちょっと‥‥。
それって、共同体なんですよ。
不思議な共同体。
そうなんだー。
そっか、作りたくなっちゃったのかも。
そうやってコミットしていく関係を。
そう。で、ちょっと買いに行くと誰かに会って、
こんにちはーとかやってるんです。
「おう、ちょっと太ったんじゃないのー」みたいな、
そういういろんなちょっとした話が楽しいでしょう。
そうです!
なじみのレストランに行くというのも
そういう行為に近いですね。
みんな、批評めいたことを好き勝手書くけれど、
そうじゃないつきあい方があるはずなんですよ。
前にレストランで「出てくるのが遅い!」って
激怒している人を見たんだけれど、
その人以外は、「この店は出てくるのが遅いけど、
とってもおいしいから、その待つ時間もふくめて
楽しみましょう」ということが
わかってる人たちだったんです。
だからテーブルにもう全然サービスが来てくれなくても。
「おーい、ちょっとさっきのワインどうなってる!」
って、理屈からしたら、怒ってもいいくらいなんだけど。
怒ってもしょうがないじゃない。
「いいよ、いいよ、いいよ。俺がやっとくよ」
ってワインクーラーから注いだほうが、
楽しい時間が過ごせる。
ああいうことも共同体っぽかったです。
いい店ってそうだと思いますよ。
そういうムードがある。
僕はそこの一員なんでしょうね。
だから平気なんですけど、
一緒に行った人はその仲間じゃないと、
イライラし始めちゃうこともある。
自分だって逆の立場になりえるし。
そう。それ、それそれ、それそれ。
「これ、ちょっとおかしくない?」とか言い出して。
凱風館でもおんなじことが言えるんですよ。
僕はこの共同体のメンバーですよ。
150人の合気道のメンバーでもあるし、
20人のマージャン連盟でもあるし。
ある意味ハードコアなメンバーです。
で、内田先生が言うのは、
「開くことは結構ラクだ」と。
誰でも来ていいよ、って言うのはラク。
けれども閉じるのが難しいんですよ。
閉じた瞬間に、「あ、俺排除された」みたいな、
すごくいやな毒が届くと。
そこで内田先生が言ってたのは、
意図的に閉じるのは難しいけれど、
150人ぐらいの母体になると、
その共同体があるオーラを発する、と。
俺らは俺。これが俺らの共同体だぜ、みたいな。
みんなで、タッグ組んでる感じが。
そうすると、それと異なる151人目が来ると、
「あれ、なんか、呼ばれてねぇな、俺」
みたいに、気まずくなる。
ある防御ラインみたいなのが自然と形成されると。
それが共同体の力なんだと。
自然にできる、と。
宮崎駿さんだったと思うんですけど、
絵がべらぼうに上手くても
異常に遅刻するとか、社会的に不適格な人間を
はずすみたいなことを、初期はしてたみたいなんですね。
それを、いま、逆にしたんですよね。
そう、排除してもしょうがないっていうことが分かったと。
50人の中には絶対ひとりかふたりはね、遅刻する奴もいる。
けれど社会的にダメでも、絵が異常に上手いとか、
なんかいろいろあるはずだと。
排除することよりもそれを受け入れたなかで、
その共同体を作ったほうがいいんだって。
健全な共同体っていうのはやっぱりデコボコしてるもの。
バラバラになってることはすごくいいことだと思うし。
家づくりの話にもどりますけれど、
「普遍解」はないはずなんです。
サステイナブルで環境的なっていう、
普遍的なところがあっても、
結局やえさん、武井さん、鈴木さんって、
全部個別解ですよ。
建築家は、その個別解のなかでも、
ある普遍性があるのではないか、
というふうに考え続けるしかない。
凱風館は完全に特殊解ですよ。
内田樹っていう人間が作ったひとつの特殊解。
でも、僕はそのなかにある普遍性はあると思うし、
それは僕は共同体の作り方であったり、
建築とその共同体の関係性にこそ
ある普遍性があるんじゃないかと睨んでるんですけど、
確信は持てないし、それがどう次の仕事とか、
これからの価値観、時代性において、
成り立つのかはちょっとまだ、明確には言語化できない。
それを探っていくためには、やっぱこういう対話をね、
重ねていくしかないんです。
そういう普遍性はあると信じたいんですよね。
変化していき続ける個別解のなかに。
結論は出ないままでしたが、
とても面白い対話でした。
いつか‥‥自邸を建てるようなことになったら
光嶋さんに相談します。
ぜひよろしく!
ありがとうございました。
ありがとうございました。
炭火が熾せるキッチンにしてくださいね。
うわあ、いきなり難しいことを(笑)!
(おわります)
2013-02-18-MON
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