サカキシンイチロウさん、
美篶堂(みすずどう)で
思い出の手帳を製本する。
第2回 美篶堂さんにうかがいました。



▲美篶堂さんの工房。

長野県伊那市美篶(みすず)。
製本業をいとなむ「美篶堂」が社屋をかまえる地です。


▲会長の上島松男さん。生粋の製本職人さん。

こちらが今回、
「サカキさんの分厚い『ほぼ日手帳』を
 スーツの生地で製本したい」
というお願いをこころよく引き受けてくださった、
美篶堂会長の、上島松男(かみじままつお)さんです。

上島さんは、昭和14年、東京・下町の生まれ。
5歳のとき戦災で両親の故郷であるここ美篶に移り、
中学までを過ごします。
卒業した15歳の春、
実姉の伝手をたどって、神田錦町の製本工場である
老舗の製本会社に就職、
三代目の親方のもとで修業を積みました。


▲工房の2Fに、ちいさな資料室がある。


▲上島さんが製本を手がけた本が、ところせましと並んでいる。

当時は、戦前どころか、
明治時代からの職人さんもいたなか、
とても厳しく鍛えられたという上島さん。
オートメーション化が進む前の時代、
単行本には一般的な「並装本」と別に
美術的価値の高い「特製本」があり、
その「特製本」をつくるためには、
製本職人の特殊技能が必要。
製本にはいろいろな工程がありますが、
ひとつの工程を習得するのに2年、
5つの工程で10年。
厳しい先輩のもと、
上島さんの技術は磨かれていき、
やがて「上島さんでなければ」と、
ブックデザイナーさんから直接、
仕事の指名が来るまでになっていきました。


▲ちかごろはなかなか見られない、特装版。箱のエッジが曲線になっている!

独立し「美篶堂」を立ち上げたのは1983年。
勤続30年を経てのことでしたが、
最初は、当時工場長をしていた江戸川の工場を、
そのまま引き継ぐかたちでスタート。
その後、江戸川の工場をたたみ、
ここ故郷の美篶にうつって、
本づくりをつづけているのです。




▲この2冊のデザインは、現在、KIGIで活躍している渡邉良重さん。
 一枚ずつずらしてくり貫かれたページが重なって空間をうみだす。
 いずれもひじょうに手が込んでいる、オブジェと言ってもいい作品。
 このような技術は、上島さん、そして美篶堂さんならではのもの!


▲「これは、私の趣味の本」と見せてくださったのは、
 長年通って買い集めた文楽の公演パンフレットや、
 愛読してきた「サライ」を上島さんがまとめて一冊に製本したもの。
 仕事ではなく、たのしみとしてつくったそうです。
 上島さんは、仕事も趣味も、製本なのかも?


▲グラフィックデザイナーの杉浦康平さんがデザインした、
 アメリカの写真家ロバート・フランクのべた焼きのプリント作品集
 『The Americans, 81 Contact Sheets』



「ほぼ日手帳」を本にする。

私たちは、上島さんに、
サカキさんの「ほぼ日手帳」のことを伝えました。

この1冊が、「ほぼ日手帳」のあたらしい使い方を
教えてくれた、ぼくらにとっても
大きな意味のあるものであること、
サカキさん本人も、
とても大事にして、ずっと棚に置いてくれていること。
そしていまも(たぶんこれからも)
ときどき、読み返すこと。
だから、長くもつように、
ちゃんと表紙をつけておきたいのだけれど、
サカキさんの希望は、
「思い出の手帳を、思い出のスーツで包む」こと。
けれども自分たちでは
スーツの生地を貼ることや、
この厚みをどうすればいいのかなど、
手に負えそうにないこと。

だから、上島さんに、
ぜひ力を貸していただきたいのです、
とお願いをしたのでした。




▲サカキさんの2005年の手帳を見てもらう。


▲そして、スーツも。

「なるほど! わかりました。お任せください。
 まったく問題なくできますよ。
 これ、もとがスーツだって
 わかったほうが、きっと、面白いですよね。
 この内ポケットのあたりとか、
 あるいはボタンのところとかもいい。
 ネームの部分もよさそうだ。
 そうそう、いまの話をきいて、
 ちょっと思いだしたことがあるんです」

上島さんは、
こんなエピソードを教えてくださいました。

「鎌倉に、27代続いたという
 神主さんがいらっしゃったんです。
 そうとうな古い年月ですよね。
 そして鎌倉ですから、
 そうとうなかただったと思いますが、
 そのかたが亡くなられたときに、
 お孫さんが相談に見えたんです。
 おじいちゃんの思い出を1冊の本にしたい、
 ついては、表紙を、着物でつくりたいと。
 着物というのは裏地に凝るといいますが、
 神主さんの着物というのも、表だけじゃなく、
 たとえば羽織でも裏地がとてもつくりがいいんですね。
 だから裏地も使って、ハードカバーにしました。
 60冊ぶんだったかな。
 そのときは、背は革にしたんですが、
 たいそう、よろこばれましたよ。
 それから、うちのおふくろ。
 100歳で亡くなったのですが、
 形見分けに、おふくろの着物を使って、
 ノートをつくったことがあります。

 けれど、スーツを解体して、
 手帳1冊だけというのは、
 ちょっともったいないね(笑)。
 せっかくだから、ノートもつくりましょうか。
 美篶堂は、ノート屋でもありますからね」

わあ、なんと、お揃いのノートまで!
これはサカキさん、よろこぶだろうなあ。

(つづきます!)

2014-10-16-THU
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