「ミナ ペルホネン」(minä perhonen)は、 デザイナーの皆川明(みながわ・あきら)さん率いる 日本のファッションブランド。 オリジナルの図案を描くことにはじまり、 ファブリックをつくり、 そこから洋服を縫い上げていくという、 ていねいで、いつまでも着られる服づくりが、 とても高い評価を得ています。 (「ほぼ日」読者にもファンが多いんですよ。) そんな「ミナ ペルホネン」といっしょに、 「ほぼ日手帳2012」では、 4種類のコラボレーション・カバーをつくりました。  公の場に姿をあらわすことの少ない皆川さんですが、 2011年8月の「ほぼ日手帳2012」発表会では、 糸井重里との公開対談に出てくださり、 「ミナ ペルホネン」の歴史のこと、 皆川さんのクリエイティブへの姿勢、 4つのカバーのこと、 そして、皆川さんからの提案のこと、 たっぷり話してくださいました。 動画でも中継をしたこの対談を 「ほぼ日」編集バージョンで 3回に分けて、お届けします。
2011-11-01 その1 ミナさんは、西洋のおばぁさん?
2011-11-04 その2 「あ、できた!」という瞬間。
2011-11-07 その3 「smile」のこと。


その1 ミナさんは、西洋のおばぁさん?
糸井 皆川さん、きょうはありがとうございます。
前々から
「ミナ ペルホネンさんと組んでください」
ってご希望がずいぶんあったんですが、
実をいうと、僕は、皆川さんのことを
知らなかったんですよ。
「ミナ ペルホネン」っていう名前からして、
西洋のおばぁさんかなぁと思って(笑)。
皆川 あはは。
糸井 打ち合わせがだんだん進行していくにつれて、
「(ミナ ペルホネンには)実は
 皆川さんっていう方がいらっしゃるんだよ」
って聞いて。
「へぇーっ」って言ってたら、
「なんで知らないの?」って、奥さんだとか、
社員の女の子たちからずいぶん教えてもらいました。
皆川さんは、普段は、
あんまり(インタビューや、公の場に)
出られないようにしてたんですか?
皆川 あぁ、苦手は苦手ですけれども、
時々は出ておりました。
けれど、基本的には
(作品が)女性のものが多いので、
やはり男性の方には
あまり知っていただいてないですし、
「ミナ」という名前が
女性の名前のようですから、
女性のデザイナーと思われてる方が、
今もやっぱり多いと思っています。
糸井 そうですか、ちょっと安心した(笑)。
ちょっと訊いてみようかな。
(会場にむかって)
皆川さんのことを、ミナっていう
おばぁさんだと思ってた人?
恥を忍んで、僕の友達に
なってもらえますか(笑)?
いますかね? ‥‥いないか。
あぁ、よかった、
それはそれでよかったです。
去年僕らから「お願いします」って
(手帳カバーの)お話をさせていただいて‥‥。
あの時はどんな気持ちだったんですか?
2011年版のカバー、
「memories of rain(左)」と「sleeping rose(右)」。
皆川 その時は、僕は個人的に、
糸井さんとお会いしてみたいなっていう、
そういう興味がありました。
もちろんずっと前から存じ上げていましたが、
こういう機会にお会いして
話をさせていただけたら、
楽しいかなと思って。
結構そういう、ちょっと個人的な動機で。
糸井 そうですか!
すごくうれしいです。
会った回数そのものは
そんなにたくさんはないんだけど、
一気にディープなところで
つながった気がしますね。
皆川 そうですね、
先日の二階堂和美さんのライブも、
僕らも二階堂さんとお付き合いがあったりと、
意外と共通点がありました。
糸井 皆川さんがおやりになってきたことっていうのを、
僕らも後追いで興味を持って。
さっき、「おばぁさんじゃないか」
って言ってたんですけど、
実はものすごく、いい体格してるんですよ。
皆川 いえいえ(笑)。
糸井 このデザインとあのいい体格の関係は
どうなってるんだっていう。
で、実はですね、
魚河岸で働いていた時代が。
一同 へぇー!
糸井 やっぱり驚かれますね(笑)。
ご自分で言ってもらいましょうか。
皆川 ひとりでミナ ペルホネンを始めるにあたり、
掛け持ちというか、
朝からお昼までは
魚市場でマグロをさばいてまして、
午後からは1人でミシンで
洋服を縫っていました(笑)。
3年半くらいですかね、
ちょっと変わった、そんな時間がありました。
マグロですから、70、80キロはあるんですね、
それを毎日のように持って解体して、
最後はトラックで寿司屋さんに持ってって。
終わると、ゴム長靴とゴムのエプロンをほどいて、
お昼ご飯をとってから
ミシンをかけ始めるという。
一同 (ざわざわ)
糸井 すごいでしょう?
すごいんですよ。
その頃の話を僕はもうちょっと聞いたんですけど、
ご自分で洋服を車に乗せて、
東北のほうにもいらっしゃってるんですよね。
皆川 そうですね。日本全国、
ヨーロッパも回って。
糸井 行って見つけた所に飛び込むんですよね。
皆川 そうですね。
糸井 売れないよ、そんなの(笑)。
皆川 それは、間違い。
間違いでしたね。
一同 (笑)
糸井 でまぁ、今になっても
まだ筋肉は残ってるっていう、
そういうお話です。
皆川 毎年、まだ魚河岸で働けるかなっていうのは
ちょっと思ったりもしますけれども(笑)。
糸井 そこの状態を離れてから
何年ぐらい経つんですか?
皆川 まだ11年ぐらいです。
「ほぼ日」が始まった頃に、
僕も、魚河岸が終わり、
洋服を作るだけになった。
糸井 ゼロから始める人と
僕はたくさん会っていきたいな、
って思ってるんですけど、
まさしく皆川さんのやり方っていうのは、
ゼロから、
まったく根拠のないところから(笑)始められて。
で、今はこんなふうに
いろんな方とコラボレーションなさったり、
自分のお店やったりされてて。

無限に広がっていくうれしさを、
なんていうんだろうな、全能感というか、
皆川さんの世界が
どんどん広がっていくのを感じるんです。

(つづきます)

2011-11-02-WED


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