「八ヶ岳倶楽部」編 今回の先生/柳生真吾さん
名前その55 フウチソウ
柳生真吾さんが運営する
『八ヶ岳倶楽部』でのみちくさが続いています。
高地の涼しい風が通り抜ける雑木林を歩きながら、
柳生さんがこの場所のことを話してくださいました。
吉本 さっきのコアジサイもミツバも、
ここにこれを植えようという感じで
計画的に植えられたものではないんですね。
柳生 そうなんです、みんな勝手に。
植物が生えている場所をつくるというと、
ふつうは何かを植えると思いますよね。
でもね、ぼくらの場合、森とか林のつくりかたは
「切る」と「刈る」なんです。
吉本 「切る」というのは、
木を切るということですか。
柳生 はい、
あと、草を「刈る」。
そうするとその場所に
届かなかった光が入ったりして環境が変わり、
ずっと出番を待ってた植物が出てくる。
吉本 ちがうものが出てくる。
柳生 ここでは笹を刈ったら、
いろいろなちがうものが出てきました。
吉本 笹畑だったんですか、ここは。
柳生 笹と松しかなかったんですよ。
ものすごく荒れてて。
吉本 そうだったんですか。
柳生 植物の世界は早い者勝ちなんです。
笹を刈ったあとに、何が出るか。
出てしまえば、笹を抑えてそれが育つんです。
吉本 なるほど。
柳生 だからまだ、あちこちに笹があるでしょ?
ほら、ここにも。
吉本 うん、あります、さっきから。
柳生 気がつくと、こうね(笹を抜く)、
条件反射のように抜いてるんですよ、ぼく。
子どもの頃からやらされてますから(笑)。
吉本 条件反射で(笑)。
柳生 このあたりも笹しかなかったのに、
きれいでしょう、草原になって。
吉本 このたくさん生えてる子は、何ですか?
柳生 これはね、フウチソウといいます。
ここではこれが出てきたわけですね。
吉本 フウチソウ。
‥‥カーブがきれい。
柳生 ね。カーブが。
風の流れみたいじゃないですか。
目に見えない風を知ることができるから、
フウチソウ(風知草)ですね。
吉本 風を知っているから‥‥。
いい名前をつけてもらいましたねぇ。
柳生 すごいセンスですよね。
ちなみにこれは、別名があります。
ウラハグサ。
吉本 ウラハ‥‥?
葉っぱの裏のこと?
柳生 この植物は、ふつうの植物では
ありえない形をしてるんです。
吉本 なにか特徴があるんですね。
柳生 (1本引き抜き)よく見てください。
どんな特徴だと思います?
吉本 あ‥‥わかりました。
表と裏が逆についてる。
柳生 そう。
葉っぱの裏が表になってるんです。
ふつうはこうなのに‥‥
柳生 反転して、こうなってる。
吉本 なんでこんなふうになってるんですか?
柳生 それが、理由がまったくわかんない。
吉本 わからない?
柳生 ふつう葉っぱっていうのは、
表にソーラーパネルがあって光合成をしています。
で、裏には何があるかっていうと、
呼吸をするための穴が開いてるんですよ。
雨に濡れて穴に水が入らないよう、裏側に。
吉本 はい。
柳生 ところがこれは表と裏を逆にしちゃって。
吉本 どうしてなんだろう?
柳生 謎なんですよ。
ごめんなさい、
問題を出しといて答えがわからない(笑)。
吉本 でも、あれじゃないかしら。
風になびきやすいから、
裏のほうが表になってる時間が長いんじゃない?
柳生 あー、なるほど、風になびいて。
寝癖みたいな感じで。
吉本 そう。
柳生 「吉本さん説」ですね。
いやぁ、おもしろいです。
いまはまだ正解がないので、
「吉本さん説」もエントリーしたいですね(笑)。
吉本 たぶんはずれてると思うけど(笑)。
風を知る草、フウチソウ。
ほんとうにいい名前ですね。
別名の「ウラハグサ」も、
ぜひいっしょに覚えましょう。

次の「みちくさ」は、土曜日に。
「八ヶ岳倶楽部でみちくさ」編は、
火・木・土の更新でお届けいたします。
 
吉本由美さんの「フウチソウ」
 

大切なメモや写真や切り抜きなどを貼り、
好きなとき、必要なとき、
いつでもすぐに眺められるよう、
仕事机の前の壁をピンナップボードにしている。

パソコンに関するさまざまな注意ごと、
正しい椅子の座り方、
間違いやすいローマ数字の正しい順番、
「大事なものは目に見えない」
「呼吸もひとつの音楽だから」
「すべての犬は天国へ行く」
「若者に負けじと使う“ワシ的に”」などの
誰が言ったか忘れたけれど耳に残る言葉の書き付け、
友だちのいたずら描き、
日本地図や、切手や、呆除(ぼけよけ)地蔵のお札、
最愛黒猫クッちゃん在りし日の顔写真、
そして1枚のポストカード、など。

ポストカードは裏面の、
茫々たる草原に仔馬が1頭ばたりと倒れ、
四肢を投げ出しぐっすり眠っている写真がいいのだ。
仔馬の寝顔は草の上に眠る幸福感に満ちている。
そしてちょっぴり、
茶色のたてがみや笑っているような口元が、
旭山動物園の園長板東さんに似てもいる。
仔馬の向こうで草を食んでいるのが母馬だろう。
左のほうにも2頭いる。
丸みを帯びた体型の彼らは日本在来の馬たちだ。
野生に近いかたちで放牧されているのだ。
草原のその先は
蒼くうねる大海原にずり落ちたかのように姿を消す。
在来馬が放されている場所は国内にいくつかあるけれど、
海の雰囲気、馬の雰囲気から、
そこは宮崎県日南海岸の都井岬ではないかしらん、
と、にらんでいる。

昔、都井岬に行ったのだ。
日本在来馬の放牧が名高いところで、
一部を観光客に開放していた。
馬たちに近づきすぎないよう気を付けながら、
急勾配の草の斜面を歩き回った。
海からの風があらゆる方向から吹きつけて、
草いきれと馬糞の匂いを巻きこみ
勢い良く舞い上がっていった。
草原はふかふかと柔らかく、
観光人に「寝転びたまえ」と囁いた。
誘いに乗って寝転んで“草の目線”になると、
草の動きがダイナミックに目に飛び込んできた。
海からの風にうながされ草むらは終始波打つ。
さわさわ、さわさわ、涼やかな音を立て、
いっせいに右を向き、いっせいに左を向くのが
まるでシンフォニーの指揮者と奏者のように見えた。

八ヶ岳で
フウチソウという素敵な名前を持つ草を知ったとき、
ポストカードの仔馬と岬のことが
頭の隅にぷかりと浮かんだのだ。
フウチソウは
山や渓谷の崖っぷちを根城としているそうだから
岬の交響楽団とは縁もゆかりもないのだが、
風のなすまま吹くままにカーブを描く姿に
多少通じるものがあって。
しかし八ヶ岳のフウチソウは岬の草よりだいぶ背が高い。
その分カーブの角度が深く、こんもり繁った感じがある。
そのこんもり感が“分け入りたい”気分を誘う。
その気分は動物たちも同じようで、
こういうところは蛇の通り道になる。
蛇が分け入りゆるゆる進むとき、
風もないのにこの草むらは右に左に揺れるのだろう。
想像するだけで魅力的! 

 
2010-09-09-THU
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