── ニューヨーク赴任時代に
書き始められたというのは、
さぞやお忙しかったと思うんですけれど。
松原 それが書き始めたら面白くて。
出勤前の2時間を使って。
休日は朝から夕方まで書きつづけました。
── 物語が動いちゃったんですね。
松原 そうですね。もちろん、朝早起きして
ウーンって考えても1行も書けない日もあるんですよ。
それでも机に座ってずーっと見てると
夜が明けてきて、ニューヨークの街が見えて。
そんな時間を、今でも鮮烈に覚えてます。
で、書ける時はぐーっと書けたりして。
小説を書く前は仕事のメールを読まないようにして、
というのも、いったん気持ちが仕事に行っちゃったら
小説に戻れない。
「いいんだよ、緊急のことは電話があるはずだ」と、
そんなことニュースやってる人間が言っていいのか
どうかわからないけれど(笑)、
8時半まで小説を書いて、そこで初めてメールを見て、
「あ、まずい、今日急がなきゃ!」みたいな、
そんな生活だったんです。
── 『ここを出ろ、そして生きろ』を書くのに
どのくらいかかったんですか。
松原 この半分ぐらいを書くのに、
2か月半ぐらいだったと思います。
でも、書き直しに3か月以上かかってるから、
頭の中で転がしてる時間を除いても
全体で半年ぐらいかかってますね。
帰国した時に中篇が2本、
書きかけの長篇が1本、
あと短篇が4本残りました。
この小説はそのなかから中編の1本を
ふくらませたものです。
── ほかにも何本かあるんですね。
松原 はい。もう1本の中篇は、
ニューヨークを舞台にした
男の子と女の子の友情の話です。
もう1本の長篇は書きかけで、
もっとベタベタしたもの書いてみようかなと思って、
日本を舞台にした、
僕の大学時代のちょっと自伝的な思いも入れた話です。
それはテーマがはっきりあって、
量的にはかなり書いてるんですが、
それでも僕の中では半分で。
ところが、ある日突然、
ある1行を書いたところで
もう書けなくなっちゃったんですよ。
いっぱいばらまき過ぎて、
これからどう回収して物語を閉じていいか
わかんなくなっちゃって、
それでウーンと言ってるうちに赴任が終わって
帰ることになって(笑)、
忙しくて放りっぱなしにしてるんです。
── そんななかから、この小説が
世に出ることになった。
松原 そうなんです。
不思議なものでね、日本に戻ってきて、
眠ってる原稿があるということすら、
ずっと自分の中で眠っていました。
それがツイッターである日突然、
10年ぶりに新潮社の編集者の方と
再会したところから、動き出しました。
その方は石井昴(たかし)さんとおっしゃるんですが、
(編註:石井さんは寺山修司、開高健、山口瞳、
 田村隆一、色川武大などを担当したベテラン編集者で、
 今は新潮社の常務取締役)
「お久しぶりです」「メシでも食うかね」と。
そこに、直木賞作家の白石一文さんが
「僕も一緒にご飯食べる」って手を挙げて、
3人でご飯食べて何やかんや話してるうちに、
「松原さん、昔ノンフィクションの本を
 出したことあるけど、最近書いてないの?」
「実はニューヨーク時代に書いて
 眠ってるものがあって、
 恥ずかしいんですけど小説なんです」
「え、本当かよ。読ませろよ」みたいになって、
読んでいただいたんです。そしたら、
「これがいいんじゃないの?
 完成度はもう1本のほうが高いけど、
 こっちのほうが可能性がある。
 しかも、1本目として
 ジャーナリストが出すとしたらいい」
と言ってくださった。
白石さんも読んでくださった上に感想をくれて
これはものになるからぜひ書き続けるといい、と
強く勧めてくださったんですね。
それと白石さんは
「セックスがよく書けている。
 セックスをきちんと描けるかは
 作家の才能の重要な指標になるんだけど
 松原さんにはそれがある」と
 自分でも想定外な誉められ方をされて(笑)。
── おお! そのときは
このストーリーは完成していたんですか。
松原 これの半分よりちょっと少ないぐらいだったんです。
こまかなエピソードがなくて、
もうちょっとプロットぽい状態でした。
あるいは、エルサレムの風景とかだけ、
やたら詳しく描写がしてある、
ちょっとノンフィクション系の、
中途半端な代物だったと思うんです。
そこにどう肉付けするかを考え、
じゃあ、このシーンを足そうかなというのを作って、
書いては書き直しというのを繰り返しました。
担当編集者の郡司裕子さんの
女性ならではの鋭い指摘にも大いに助けられました。
そうして書き終えたのがこれだったんです。
── それが小説のデビュー作になった。
松原 そうなんです。
本当に幸運で、ある種テレビという
今流に言うとオールドメディアにいる人間が
ツイッターというもので広がって、
単行本が1冊出ることになった。
だから、これはツイッターから生まれた
小説だって気がしているんです。
オールドメディアに勤めながら、
「ほぼ日」がほぼ始まって少し経った頃に、
ネットというある種の冒険の場で
コラムを書かせていただいた。
今度はツイッターがきっかけで
小説を出してもらえた。
僕、本当にある種の運命づけられたものを、
どこかで感じてるんです。
── ツイッター、活用なさってますよね。
フェイスブックも。
松原 僕、いまだに使い方がよくわかんないんですけど、
ツイッターは、自分の中では、
いろんな毒気にもさらされるし、
いっぱい批判もされたりするけれど、
一方で、こうやって新しい人に出会える場所でもある。
そして、フェイスブックは、これまでの仲間たちを
再確認する場という気がします。
ツイッターは先を見て、
フェイスブックは過去を向いてるような‥‥。

ツイッターって、これからもちゃんと
こういう出会いの場になると
いいなあと思ってるんです。
いろんな人がリツイートもしてくれたりして、
感想もたくさんいただいた。
昔だったらありえないことですよね。
個人でもこうやってメッセージを送って、
知らない人に伝えることもできる。
個人個人、ひとりひとりが
自分の思いを出せる場所があるっていうのは、
素晴らしいなと思います。

今、オールドメディア対新しいソーシャルメディア、
とかいわれているんですが、
僕にとってはもう全然相対するものでも
何でもないという気がしています。
(つづきます)
2012-02-09-THU
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