2018-05-22

・「安物買いの銭失い」というけれど、いまは、いい安物ならけっこうたくさんある。それはそれで、ありがたい時代になったものだ。ちゃんとなにかが行き渡るということは、やっぱりいいことのひとつだと思うんだ。でも、「いい安物」をつくるのには、けっこう誰かに無理をさせているようなところはある。

それはそうと、コストということを思う。「暴力というのは、いちばん安いやり方なんでね」と、かつて吉本隆明さんが言っていた。たとえば親がこどもになにかさせようとするときに、しなかったら痛い目に合わせるぞだとか、自由を奪ってしまうような暴力を使うことは、最もコストをかけずに、目的を達成しようということだ。 拳銃を突きつけて、相手を従わせることも、爆弾をしかけて脅迫することも、安く手っ取り早く効果を得るための方法ではあるだろう。テロリストひとりが、もっとも安いやり方でテロを仕掛けるとき、それを防ごうとする側にはものすごいコストがかかるものだ。いまの時代に、「戦争」という形式の力のぶつかり合いは減っているかもしれないけれど、テロと、テロへの報復というかたちでの「戦争」は、ひどくなっているとも言えそうだ。「ことば」の世界もそれに似てきているように思う。

それなりに長いこと生きてきて、しみじみ思うのだが、それなりのコストを覚悟するところから、ほんとうに大事なことは始まる。もちろん、お金という意味のコストだけではない。人びとの手、こころの入れよう、時間、みんなコストだ。なにかのものごとを本気でやった人ならわかるだろうが、なにをするにも、必要な知恵と汗の分量は相当なものだ(そしてそれをだいなしにするのは容易い)。 まだ、インターネット全盛の時代なのだけれど、ここでのコストのかからないコミュニケーションは、「安物」なのではないかと、人は思いはじめている。ネットの向こうの「人間そのもの」を見ている。そして「人間そのもの」をつくるコストは高いよー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。「夢に手足を」。手であり足であるようなことへの敬意を。

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