クマちゃんからの便り

柔らかいカプセル


八畳間ほどの部屋で、
四枚だけ(つまり二坪分)敷いた古畳の上で、
帯同するパソコンを立ち上げ
ダッタン茶を煎じ、
愛用のアラビア社製の土瓶、
スケッチブックや本が乗っかり、
メシを喰ったり本を読んだり
メモしたりする卓袱台が、
オレが山で棲息するときの中心部である。

モスキー・ムラタが送ってくれたひと坪用の蚊帳は、
はじめほんの遊びのつもりで吊ってみて、
すぐに畳むはずだったのだが、
中心部の半分を占領して圧せば向こうに膨らみ
引っぱればこっちに自在な変形する、
この<柔らかいカプセル空間>の虜になっていた。
しかも、ひと坪という広さは
一個の生命体を囲うにはイイ大きさだ。



ガキの頃から狭い処に身体を押し込める習性が
すでにオレにはあって、
押入やゴミ箱の暗闇に人知れず潜んで、
隙間から差し込んでくる
外からの細いヒカリを眺めながら
眠ってしまったものだ。

そんな故郷を捨て、東京に紛れ込んだ六〇年代は、
親から遠く離れるための旅だったのだ。
七〇年代、アングラ華やかな新宿の花園神社境内で、
唐十郎率いる赤テントの状況劇場で
オレは舞台装置やB全判のポスターなど
美術を担当するようになっていた。
主宰の唐十郎氏は、
無名なささくれを持てあまし気味だった当時のオレを、
ゲージツ家として認知してくれた唯一の恩人である。
テント芝居と共に京都、大阪、九州などの
空き地に移動する南下興行にまで同行して、
ついにはレバノン・ヨルダン・シリアの砂漠にある
パレスチナ・キャンプでの公演にも
用心棒兼絵師として、荒々しい日々をおくっていた。

座員一同で張る興行先の空き地に忽然と現れる
赤いテントの茣蓙を敷きつめた桟敷で、
一服しながら開幕ベルを待つ夕暮れ前のひととき、
テントを透かすヒカリは充ちて
役者たちの貌をますます昂揚させていた。
客が多ければいくらでも膨らみ、
移動するときには小さく畳む自在な皮膜の空間は、
胎内にいたときを想わせるような
ゾクゾクさせる何かがあった。

この夏、奈良での<ヒカリ繭>の制作手順やら、
揺らぐ裸火の仕掛けやらを
頭蓋内でシミュレートしたり、
<華厳>本を読み、
眠くなれば持ち込んだ枕でうたた寝、
目覚めてばダッタン茶を飲む。

ひと坪の蚊帳のなかでたちまち一日は過ぎて、
一週間は過ぎていた。
摘んだ裾をパタパタさせ
<柔らかいカプセル>を出るとき、
小さく縮める身体に
『この所作は覚えがあるのだが…』。
蚊帳のなかに消し忘れたタバコの煙が揺らいでいた。
茶室の異空間に入るにじり口での格好にちかいのだ。

二、三〇年前まで日本の家庭には必ずあった
蚊帳というカプセルは、
家族がうち揃って慎ましく眠りにむかうための
美しい家具だったのだ。
蚊もいない朝から晩までこの異空間で
心地良く過ごしていた。
しかし、ゲージツ家はうっかりしてはイケナイ。
心地良すぎてこのまま
ズーッと居てしまいそうだったが、
蚊帳のジカンに飽きてもいた。
『新宿に出てみるか…』
久しぶりに独り声が出た。

アズサから桑原のカマル社に電話。
出た。

「立派なアングラ本が出来たというじゃないか」

「悪い悪い、まだ全部刷り上がってなくて
 送れてないけど」

催促の電話と勘違いしたらしい。

「そんなコトいいんだ、久しぶりに一杯やるかい」

新宿で呑む相手に選んだのだ。

「いいねぇ」

「もうすぐ新宿に着くから六時、NADJAだ」




七〇年代新宿アングラのジダイ、
彼は<現代詩手帳>の編集長を辞めて
<月下の一群>という雑誌をつくった。
唐氏たちの過激な文章を載せ
赤瀬川原平さんやオレや南伸坊も
そこで絵を描いていた。
もちろんゼニになるわけはなかった。

その彼が、六〇年七〇年代の
アングラのポスターを編集しパルコ出版から出した
<ジャパン・アバンギャルド>という大型の本に、
三十年前のアングラ・ジダイにオレが描いた
状況劇場のポスターが十二枚も納まっているらしい。

いつもは殺風景なNADJAが極彩色だった。
額装したポスターが処狭しと貼ってある正面に、
懐かしい<風の又三郎><青頭巾>
<蛇姫様>があるではないか。
無数の鉛筆の線を面にして
こんな繊細な絵を描いていた時期もあったのだ。

二十四年の寿命を終えたGARAの親元だった
イラストライターの南伸坊にも、
埋葬のコトを伝えるべく電話しておいた。
南もあの頃、漫画雑誌<ガロ>の編集長で
オレの劇画を載せたりしていたのだ。

ストイックな<柔らかいカプセル>から、
ショーチューやスコッチでアングラの
賑やかな空気になっていった。
それにしてもまだ黒々とあった頭髪は、
ハゲと見分けがつかないスキンヘッドに、
白髪頭に、薄らハゲ、
みごとに三十年のジカンが現れていた。




『ジャパン・アヴァンギャルド
 ──アングラ演劇傑作ポスター100──』

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2004-07-02-FRI
KUMA
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