『JOY』
 石井明美

1987年(昭和62年)

 彼のほほを、
 彼女の目の前で
 思いっきし
 ひっぱたきました。
 (タイムリーな選曲)

いてあげるわ
昔の女で いつでも

大学生の時に付き合いだした彼は、
私にとってほぼ初めての
「大人っぽい」恋愛の相手でした。

彼は特に男前でもなく、マメでもなく、
お金持ちでもないのに、何故かモテる奴で、
常に「彼女がいる」人でした。

レンアイ経験の少ない私が、
一番ひっかかってはいけないタイプ。
くっついたり、別れたり、
落ち着かない日々を過ごしていました。

それでも6年付き合って、やっと落ち着いたなぁ、
という時期がやってきて、「そろそろ結婚かな」と、
お互いそんな話もでていた時。
一人暮らしをしていた彼の家を
酔っ払って夜中に訪ねると、
そこには可愛らしい女の子がいました。
しかも、彼女はシャワーを浴びている途中!

彼は結局彼女を選び、
私は彼のほほを彼女の目の前で
思いっきしひっぱたいて、
合鍵を置き、おいてあった服だの小物だのを
引っかき集めて部屋を出ました。

それからあと、しばらくは
生きてるんだか死んでるんだかわからないほど
落ち込みました。

食べられない、眠れない。

彼にふられた哀しみもあるけど、
「自分が選ばれなかった」ことが、
悔しくて、自信がなくなってしまったのだと思います。

でも、人間は強い。
時間が経って、少しずつ元気を取り戻し、
友達と飲みに行って
がはがは笑える日々が戻ってきました。

そんな時、友達がカラオケでこの歌を歌ったのです。
別の女のところにいっちゃう彼氏を笑いながら許し、
疲れたらいつでも戻ってくればいい。
あたしのことを思い出してくれれば。
という内容で、
その時の私の気持ちを代弁しているような歌詞でした。

「これ、あたしやん」と、
笑いながら友達に言うと
「あかんで。そんなことゆーてたら」
と、怒られましたが。

「そんな都合のいい女になって、どーすんねん」
という自分も確かにいましたが、でも反面
「まぁ、こんな気持ちでおる
 あいだは、しゃあないよな。
 待つ気はなくても、忘れられるまでは
 想ってるしかないし。
 戻ってきたら、冷たくはでけへんよな」

と、達観する自分もいたのです。

今、隣でパンツ一丁で
テレビを見ながら大笑いしているダンナ
(しかもアホづら)を見ていると、
一体私はこいつのどこにそんなに惚れたのか、と、
不思議になります。

あれから長ーい時間を、結局一緒に過ごすことになり、
今では、人生を一緒に乗り越えてきた相棒、というか、
戦友のような間柄になっています。

でも、色んなことを乗り越えてこれたのは、
パンツ一丁のアホづらでも許せるのは、
あの時のバカみたいな
「この人が好きやねん」という想いが
あったからかもしれません。
(ま、オッサンになっても女好きは女好き。
 これからも安心はできませんがね)

(タイムリーな選曲)

ぱっしーん!
って、誰かの頬を
ひっぱたいたことはないけども‥‥
なんだか、(タイムリーな選曲)さんの
投稿を読んでいると、
スカーーーーッとしたものを感じます。
いま、横でパンツ一丁でいることをふくめて
気持ちいい。

たしかに女好きは心配ですね。
でも、ぱっしーん、で打破できるなら
まぁそれもいいんじゃないか、と思います。
「人生をいっしょに乗り越えてきた相棒」
だなんて、ねぇ。
いいなぁ。

ところで、わたしはときおり
「この人が好きやねん」の気持ちがなぜ、そこまで
ひとりの(あるいはふたりの)の人生をささえるのか、
不思議に思うことがあります。

ああ、いいなぁ‥‥これは、なんていうんでしょう‥‥
恋歌くちずさみ委員会における
「ハリウッド映画的な展開」とでも申しましょうか。
まさに王道とも言えるきれいなどんでんがえしで、
ハッピーな気持にしていただきました。

映画でいえばエピローグ、
パンツ一丁で安心と油断のかたまりになっている
ご主人の姿を観たかのような気持ちになっています。
やれやれ‥‥すばらしい!

「この人が好きやねん」の気持ちが
なぜそこまで人生をささえてくれるのか‥‥
うーーーん‥‥なぜでしょう?
それは確かに、あります。ふしぎ。
なぜだろう?
煎じ詰めていけば、ヒトはそのために生きているから?
‥‥ほんとに?
うーーーん‥‥。ふしぎ。

夜中に彼氏の部屋に行ったら、
かわいい女の子がシャワー浴びてて
彼氏の横っ面をパシーーーン!

‥‥そこだけ切り取ると、
ほんとにマンガかドラマみたいな話ですけど、
そういうことって、あっさりと
誰かの日常に起こっているんですねぇ。
そういうことにあらためて気づかされるというのが
「恋歌くちずさみ委員会」という
コンテンツの得がたい特徴。

そして、おもしろいなあとしみじみ思うのが
パンツ一丁のだんなが
自分のところに戻ってきたときのエピソードは
まったく語られていないということ。
このパターン、多いんですよね。
そこにもなにかしらのドラマが
きっとあったはずなのに。

主人公の女性と最後に結ばれる
王子様役の扱いはいつだってぞんざい。
思い出の恋歌は、おもに、
終わった恋のBGMとして流れる。

「この人が好きやねん」と
「一体私はこいつのどこにそんなに惚れたのか」
が、同時にもてるようになると、
そのふたりは強いですよね。
そう思う。
これから、そう簡単な別れは、来ないと思う。
「オッサンになっても女好きは女好き」でも、
きっと大丈夫だと思うなー。

むかし向田邦子さんのエッセイで、
彼女のテレビドラマで描く家族の茶の間には
オナラがしみついたようなぺっちゃんこの座布団が
あってほしいというようなことが書かれていたんですが、
家庭における「ぺっちゃんこの座布団」みたいなことって、
やっぱ強いんだと思うんですよ。
最初から売ってないからねー、ぺっちゃんこの座布団。
愛すべき「これでいいじゃん」感、
ていうかいっそ、「これが好きなんだけど」感、
そういうのって、いいなあと思うのです。
いつもふかふかのゴージャスな
羽毛クッションな暮らしは息が詰まっちゃうし
「もっと別の素敵なクッション」が来たら
追い出されちゃうかもしれないし。

さてさて三連休。仕事オフの人も、
関係なくがんばってる人も、
よい週末をおすごしください。
次の更新は水曜日!

2013-02-09-SAT

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