『翼をください』
 赤い鳥

 
1971年(昭和46年)
 シングル「竹田の子守唄」のB面曲

 彼が描いてくれた
 歌集のイラストは
「ミロのヴィーナス」!!
 (ムーミンママ)
この大空に 翼を広げ
飛んで行きたいよ

中学3年生の1学期、初めての文化委員会に出席したら、
3年生のメンバー9人中、女子は私だけ。
しかも、1、2年の時に同じクラスだった
ヤンチャ系男子も2~3人いて
こっちを向いて何やら言ってます。
文化委員に立候補したのを軽く後悔しましたが、後の祭り。
案の定、男子たちはふざけてばかりで、
中3の最大イベントである修学旅行の
「歌集」を作らないといけないのに
「どうするん?!」って感じでした。

当然の流れで、唯一の女子である私が中心に
「歌集」を作ることに決まり委員会が終わりました。
委員会の後、教室の机を片付けるときも、
男子数名がいちびって私を机で囲って
教室から出られなくしようとしました。
その時、「やめろや!!」ってM君が言ってくれたのです。
これまた自然の流れで、
男子たちが「ひゅ~ひゅ~」とはやし立てましたが、
M君はマジで怒ってる感じでした。
小学校の頃から「ふんっ、男子なんてなによ!」
タイプの強い女子だった私は、M君の一言にびっくり。
男子たちの冷やかしも決まり悪かったし、
「そんなにかばってくれなくても大丈夫なんだけど・・・」
と、なんともこそばゆい気持ちでした。

数日後の昼休みに職員室横の空き部屋で、
生徒から募集した手書きの歌詞とイラストを印刷し、
半分に折る作業を委員会担当の女の先生と二人でしてました。
そこへM君がフラリとやって来て、
私の前に積まれた印刷済みのザラバン紙をサッと取り、
隣に座って紙を半分に折りはじめたのです。
今回ばかりは、流石の私もM君の優しさにやられました。
おまけに、彼が描いてきてくれたイラストが
「ミロのヴィーナス」!!
そのセンスに決定的にやられてしまったのでした。

先生とM君と三人で、
いろいろ話しながら楽しく作業しました。
私は、5時間目の授業中も机の下で
「歌集」作りの内職をしました。
そんな私の頑張りや、M君の優しさや、
担当の先生の協力のおかげで
修学旅行の「歌集」が出来上がりました。
当時、フォーク全盛期。
「なごり雪」「心の旅」「いちご白書をもう一度」などが、
歌集に入っていました。
その中に「翼をください」と
あの「ミロのヴィーナス」のページがありました。
凄く上手ではなかったけれど、
私は他のどのイラストよりも
彼の「ミロのヴィーナス」が素敵に見えました。

その後、M君とは廊下ですれ違った時に
「よっ」と挨拶したり、
委員会で話したりするくらいでした。
私も部活や勉強が忙しくて、
それ以上どうしたいわけではありませんでした。
中学3年生といえば15才。
あの頃の自分に会いたい気がします。
翼を広げて飛んでいけそうなくらいの若さの自分に会って、
「強がったり照れたリしないで、
 素直に好きって言えばいいんだよ。」
と言ってやりたいです。

(ムーミンママ)

ああ、いいですねぇ‥‥。
やっぱりぼくは、
中学生時代のお話がとくに好きなようです。

 中学3年生の1学期、初めての文化委員会に出席したら、

この書き出しだけで、
もう、胸がキュンとする準備をはじめているんですよ。
どんだけ中学時代の話が好きなのか。
周囲の知り合いをかたっぱしからつかまえて、
中学時代の話を聞いていきたいくらい好きです。

(ムーミンママ)さんの思い出は、
「ひゅ~ひゅ~とひやかす男子」とか
「ミロのビーナス」とか
つい笑ってしまうエピソードも好きですが、
全体にやさしさが漂っているのが、いいなぁと思います。
M君、かっこいい。
すごく勇気を出したんですよね。
えらかった! M君。
やさしい先生も助演女優賞!

自分の話で恐縮ですが、
ぼくは中学のとき卒業文集の編集長をやりました。
ガリ版で。わら半紙で。
押し入れの段ボール箱の中にあるそれは、
引っ越しの度に読み返すたからものです。

私もね、山下さんほどでないにせよ、
中学時代の話は好きです。
特に、中1中2の
友情とも恋ともいえない時期がいい。
係りとか委員とか掃除とかで
放課後いっしょになるんですよね。
男子の「ひゅ〜ひゅ〜」に
「そんなんじゃないんだってば!!」と
顔を赤らめながら下むいて
バケツとか、いっしょに持ったり
するんですもんねー。

しかし‥‥男子団体の「ひゅ〜ひゅ〜」。
当時はただただ
「なんやねんあいつら?!」と思っていましたが、
いまから考えると、
照れくさい、うらやましい、見逃せない、
という複雑なもやもやが
ミックスジュースのようになって
彼らにオートマチックに「ひゅ〜ひゅ〜」と
言わせてしまっていたのですね。
いたしかたない。

「よっ」という挨拶、
それ以上何をしたいわけじゃない、
というのもわかる。その時期ならではです。
そして、好きって伝えたらどうなったかなぁ、
と思い返すのも、いいなぁ〜。

同級生の中3男子になったような気分で
読んじゃいました。
たぶんぼくは、冷やかす側でもなく、
冷やかされる側でもなく、
「えっ! そうだったの!」と、
ふたりの関係に気付かず、
ただただぼんやりしている、
その他大勢だったと思うけれど。

「先生とM君と三人で」の、
先生は、きっと気づいていたでしょうねー。
そして、とってもうれしく
見守っていたんじゃないかなあ。
M君、どうしているでしょうね。
かっこいいオトナになっているかな。

ところで「赤い鳥」。
ヒットのときまだ5歳だったので
あとから存在を知りましたが、
後期には大村憲司さんも
参加していたグループなんですよね。
そして「翼をください」は
みんなで歌った記憶があります。
教科書に載っていたんじゃないかなあ。
A面の「竹田の子守唄」も
とってもいい楽曲です。

男子はなんで「ひゅーひゅー」言うんだろうなぁ。
まず、ちょっとした悔しさ、
うらやましさというのはあると思うんですよね。
ほんとうのことをいえば。
で、それを素直に認めるほどには、
自分客観システムがまだうまくできあがってないので、
その居心地の悪さをちょっとした攻撃の燃料にして、
「ひゅーひゅー」言うと。そういう感じ?

ま、なにしろ十代前半の恋というのは
「ひゅーひゅー」との戦いですよね。
好きな子といっしょに帰るという、
天にものぼるようなうれしい展開でさえ、
「ひゅーひゅー」言われるくらいなら
あきらめかねないというくらい、
「ひゅーひゅー」はシャクに触るものですから。
短いんですけどね、そういう時期は。

それにしてもこの投稿のしびれるところは
「ミロのヴィーナス」です!
いいなぁ、彼の描いたイラストが
「ミロのヴィーナス」!
読んでるぼくまでちょっとグッと来ましたよ、
彼のそのセンスに。

みなさまの恋の実話、
どうぞお気軽にお寄せください。
そして、言い忘れてましたけど、
ただの感想もどんどん送ってくださいね。
投稿だけじゃなく、
読んでこう思ったっていう
ふつうの感想も、とってもうれしいんですよー。

 

 

2012-09-29-SAT

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