『片恋』
 さだまさし

 
2010年(平成22年)
 アルバム『予感』収録

 好きだと認めることを、
 私は私に許していなかった。
(ほうせんか)
こんなに恋しくても届かない心がある
こんなに悲しくても言えない言葉がある

彼女は笑顔がチャーミングな、
とてもとても美しい人でした。
はっきりものを言う人で、
職場の誰もが彼女の意見を聞きたがり
気さくで優しい彼女をみんな大好きでした。
こんな、完璧な人って、ホントにいるんだなぁと
遠くから眺めていたのを覚えています。
挨拶から、次第に話をするようになり、
仕事帰りに食事、そのうち
休日にも映画やショッピングと、
なんの接点もないと思われた彼女と、
私は友達になりました。

新しく出来た若くて美しい友達に
最初、興味津々でした。
近づきすぎないオトナな距離を保ちつつも、
心の中では中学生の頃に戻ったみたいに、
「○○センパイの使ってるシャンプーのメーカー
 わかっちゃったーー(>v<)!!!」
みたいなのりで???
知り合っていく過程にわくわくしていたかもしれません。

お互いにその職場を離れてからも、
旅行に行ったり、彼女の恋愛相談に乗ったり、
彼女の方も、私が、夫婦喧嘩をしたと言えば、
話を聞いてくれたり、
体調を崩したと言えば、
よさそうなものを持って来てくれたりと、
気がつけば、どの友達より
一緒に過す時間が多くなっていました。


「こんなに恋しくても届かない心がある
 こんなに苦しくても言えない言葉がある」

出逢って4年が過ぎたころ
カラオケで彼女が歌ったこの歌を初めて聴いた時、
私は泣いてしまいました。
初恋を思い出したのでもなく、
叶わなかった片思いがよみがえったわけでもなく、
今目の前にいる彼女をこんなにも好きだということに
気付かされてしまった。

10も年下の同性を好きだと認めることを、
それまで、私は私に許していなかった。
その思いに気付こうとしなかった。
彼女の前で、
手に負えない様々な感情を味わっていたのに。

それから2年がたち、
今も楽しくて温かい友達関係が続いています。
もうすぐ結婚して、海外に移住する彼女を
私にはどうすることもできませんが、
出逢えたことに感謝しつつ、
これからもずっと彼女のことを
好きでいるのだと思います。

「ひたむきにひたすらにあなたを思う夢がある」

もっともっと年をとってからこの歌を聴くとき
どんな思いがするのだろう。
少し楽しみです。
(ほうせんか)

ふと耳に入った歌(の歌詞)が
じぶんのほんとうの気持ちを気づかせてしまう。
そういうこと、ありますよね。
何度も聴いていたはずの歌なのに、
あるとき突然、ひとつのフレーズが
「さくっ」と、ピンポイントで突き刺さる。
あまりのことに息を飲み、言葉を失い、
事態を整理するのにしばらく
時間がかかっちゃうくらいの衝撃を受ける。
ぼくは恋に落ちたと浮かれているところに、
崖から突き落とされるような歌を聴き、
「それ」を体験したことがありますが、
いま、冷静になってみると、
おそろしいくらいにその歌は正しかった。
そもそも、自分ではわかっていたことだから、
突き刺さっちゃったのかなと思います。

たいていひとりでなんとなく聴いているときに
「それ」は起こるんですが、
(ほうせんか)さんの場合、
まさしくその片恋の相手が唄うカラオケで!
というシチュエーション。
目の前に、その人。
そして、その歌が、その人の口から。
「してはならぬ恋」として
ずっと封印しつづけてきた思いが、
突如、堰を切ってあふれちゃった。
そりゃ、泣いちゃいますよね‥‥。

でも、でも!
「今も楽しくて温かい友達関係」。
すてきじゃないですかー!!!
きっと彼女にとっても(ほうせんか)さんは
うんと特別な人なんだと思いますけど、
たとえ恋情が一方通行でも
思いつづけるのは素敵だと思う。
一生続くであろうそんな思いを、
いま、確信できるっていうのは
ほんとうにすごいことですよ。

ところで「さだまさし 片恋」
ということばから、
勝手に古い歌なのかなと思ったら、
意外なことに平成22年の作品でした。

ああ‥‥ああ‥‥いいですねぇ‥‥。
読んでいてここちよい、とても好きな投稿です。
ありがとうございます。

ぜんたいに、彼女のことを見つめる視線が、
やさしくて、おだやかで、まろやかで。
たいせつなものを、
たいせつにたいせつに表現してくださっている感じが、
なんだかじんわりと胸を打ちます。

でも、おだやかでもねー、
その中心には、
あふれるような情感がどっしりとあるんですよ。
そのあたりがやっぱり、
おとなの文章だなぁと思うのです。
その傾向はここに寄せられる投稿ぜんたいに
感じられることなのですが。

今も友情関係が続いているというのは、
ほんとうによかったです、うらやましいくらい。
誰かのことを「好き」と思い続けるって、
もう、ぜったいに自由ですもんね。
なんにも悪いことはない。
(ほうせんか)さん、
その友情をいつまでもたいせつに!

ほんとうに。
このページに寄せられる投稿は
いろんな思いを味わったのちに
思慮深く判断された
おとなの文章が多いと私も思います。
書きなぐったように、テンポよく
勢いで送ってくださったような場合でも、
どこか、ご自身をちがうカメラから見ていて
おもしろくツッコんでいたりする。
いい友だちにみたいに思えてしまいます。
(勝手にすみません)

たとえ昔から知っていた歌であっても
自分のこころもちによって
響き方が変わってきますね。
どうしてあの一行を、あの作詞家は、
さだまさしさんは、
ひそませることができたんだろう。
どんな経験をしてきたのだろう!
ねぇ? 歌をつくる人たちというのはすごいなぁ。

いい関係を手にしたら、
そして、これからの長い時間そのものに
よろこびを託したら、ええ、
やっぱり将来の自分に期待しちゃいます。
会えたことに感謝してずっと好きでいられたら、
そのときに、この歌はまた、
いい響きを持っているにちがいありません。

この「恋歌くちずさみ委員会」の
すごくいいところに、
ふだんは味わえるはずのない
「ほかの人の恋」を、
まるまるぜんぶというわけではないけれども
ほんのちょっと「当人のように」感じられる、
ということがあると思います。

たとえば、
今回のこの投稿に描かれたシチュエーションを
ふだんは、想像もしないだろうと思います。
同性を、というだけでなく、
自分が結婚していて、彼女と長く友人関係にあって。

どうだろうと思うんだけれど、
やっぱり、きちんとはわからない。
どういう気持ちだろう、ということが
ほんとうには想像できない。

ただ、こういう恋もあるんだ、という
なにか、思いがけない風景を見たときの
驚きとうれしさと途方もなさが
ないまぜになったような思いと、
その根底にある「切なさ」というのは
ぜんぶを超えてどの恋にも共通するんだなという
ちょっとした安心のようなものが
じんわりと読後の胸に広がりました。

どの恋も、どの投稿も、
ありがとうございます。
お時間があれば、ぜひ、あなたも。

 

2012-09-05-WED

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