『ジーザス!ジーザス!』
 JUDY AND MARY

 
1998年(平成10年)
 アルバム『POP LIFE』収録曲

 ただこの気持ちが
 ばれないように
 するしかありませんでした。
(南国の夏が好き。)
彼女をはじめて見たのは
そう 8月の暑い日

こんにちは。30代の女です。

「恋歌」なのかな?と思いましたが、
6/13の菅野さんの言葉
「男女に友情があるとすれば、それは、
 ・最初から同性としてつきあう
 ・行くところまで行った先、
  越えた先に友情が見えてくることがある
 このふたつのパターンがあるのだと
 聞いたことがございます」
 がずしーんと来ました。

私は、
「最初から同性として付き合ってしまった」
から、行くこともできなかった女です。
こういう経験してる方多そうですが、
書かせていただきました。

9年前、一人の男性と知り合いました。
二人とも専門職で、職場が変わっても、
一生付き合うことになる人です。

とても気が合う人で、年齢も同じ、
たがいに近くに住んでいたので、
よく食事をしたり、お茶をしたりしました。
彼に長年付き合っている
彼女がいることも知っていたし、
男女の仲になりたいなんて感情など
ありませんでした。

でも知り合って数ヶ月後の夏のある日、
近所を彼と彼女が歩いているのを見かけた私は、
彼に声をかけられず、逃げるように離れました。
現実を突きつけられて、
「この人のことが好きなんだな」と
気づいたのです。

気づかされたといったほうがいいかもしれません。
好きなのを気づきたくなかったのに、
気づかされてしまった。

それからの私は、
ただただこの気持ちがばれないように
するしかありませんでした。

そのきっかけがあって少しして、
久しぶりに聞き直したジュディマリの
この曲の歌詞がぐっときました。
シチュエーションがあまりにぴったりで。

当時も今も、男前な女として見られている私。
(自分ではそうでないと思っていても‥‥)
彼が私を選んでくれることなんてないし、
そもそも彼女を捨てることなんて
絶対にないと思ったから。
まして、この気持ちがばれたら、
もう職場でも一緒にはいられないと思ったから。

それからも、彼とは
友達としてだけど、
二人でたくさんの時間を過ごしました。
朝まで飲んだ日も、
二人で一緒に過ごした大晦日も、
付き合ってるんでしょと周りにいじられた日も、
一緒に行ったライブも、
笑っていたけど、楽しかったけど、
笑ってるそばで私が辛かったことは
絶対に彼は気づいてないと思うし、
絶対に気づいててほしくない。

やっぱり彼はそのとき見かけた彼女と結婚しました。

一方的な片思いだったけど、今でも大事な人です。

(南国の夏が好き。)

うわー、せつないなぁ。
投稿をありがとうございます!

JUDY AND MARYのこの歌詞も
ほんとうに身につまされます。

男女の友情ありやなしや。
あの6/13の更新のあと、
「ほぼ日」社内でも、いろんな乗組員と
喧々諤々したんですけどね、
「男性と友達になれる人は
 友達ばかりができ、恋人になりにくい」
「男性と友達になれない人は一生、
 男女の友情はあきらめよ」
という悲しい結論に行き着こうとしています。
(調査の結果、「ほぼ日」女子部は
 ぱっきりふた手に分かれました)

距離の取り方が違うんでしょうか。
受け入れる、断る、その態度の分岐に
モンダイがあるんでしょうか。
いろいろおしゃべりましたが、やはり
ジュディマリのYUKIさんのおっしゃるように
「オハナシハツヅク」であります。

せっつないなあ、
「好きと気づかれてはいけない」って。
気づかれたくて、でも気づかれたくなくて、
という意味の「気づかれない」じゃなく、
あってはならぬ、の意味ですもんね。

友情問題ですが、ぼくは、
愛情も友情も根本はいっしょなんだと思うんですよ。
どう呼ぶか、どう名付けたかの違いというか。
「結婚」という社会のルールを前提にすると
恋も「一対一」が人としてのルール。
となると、(南国の夏が好き。)さんの恋も
頑として「友情」に分類しないとならないんだなあ。
うーむ。
好きなものはしょうがないじゃないか。

ところでこういう「男前な女子の友人」に、
「妻」は焼きもちやくものなんだろうか。
どうなんだろう?

みんなに続けて言われるのもつらいかもしれませんが‥‥
せつないです。
これはせつない。
くちずさみ委員会名物、
ラスト3行での大逆転を期待しながら読み続けましたが
最後まで、せつなさはせつなさのままで‥‥。

男女間の友情問題。
ほんとうに、大テーマ。
語っても語っても、答えは出ないのかもしれない。
自分のことを考えてみれば、
親しい女性の友だちはたくさんいました。
ところがそれとほぼ同時に思い出すのは、
「友だちにしか思ってもらえないのか‥‥」
というせつない記憶だったりします。
うーーーん。
‥‥状況とか、立場とか、想いの違いとか、
様々な要素の微妙なちがいで、
男女間の友情は成り立ったり無理だったり、
「場合による」としか言えないのでしょうか。
うーーーん。

ところで、最後の一行。
「一方的な片思いだったけど、今でも大事な人です。」
ここにもせつなさはあるけれど、
(南国の夏が好き。)さんの、
なんていうんだろう‥‥やさしさも感じました。
この、ほんのすこしでも前を見つめる一行があるから、
ぼくらは正面から受けとめてお話ができるんですよね。
ありがとうございました。

わざわざ違う言い方をするようだけど、
つき合ってる男女だって、
10の時間のうち10全部を
恋人として過ごしてるわけじゃ
ないような気がするんですよね。

はじまりのハニー&ムーンな時期をのぞけば、
恋人や夫婦であっても、
10のうち7くらいは友情的なものじゃない?

勝手にもっと進めると、
つき合っている男女が疲弊して別れへと向かう場合、
その10の時間のうちの
恋人としての時間が枯れていくから
そうなるんじゃなくて、
友情としての時間の質が下がっていくから
関係が終わっていくんじゃないかなぁ。

なんていうかね、
あらゆるいい関係というのは
「友だち」と言いかえることができると思うんです。
って、話がずいぶんずれました。

そういうふうに考えているぼくは、
友だちの関係を守ることができているということで
この投稿をそこまで「切ない」とは
感じなかったんです。
そういうのもいいんじゃない? みたいな。

このあたりはまさに結論のない迷宮話。
つづきは、みなさんでどうぞー。

さて、あなたの恋愛観を育んだ恋の思い出、
恋の歌にのせて送ってください。
お待ちしています。

 

2012-08-25-SAT

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