『蒼い時代』
 中島みゆき

 
1996年(平成8年)
アルバム『パラダイス・カフェ』収録曲

 母より一つ年上の彼。
 結婚となれば周りが
 許してくれるはずもない。
(アスタ)
蒼い時代のことなんか幻でした
約束は信じてなんかいませんでした
これで良かったのよね

今から8年前。
私は、とある社会人サークルで
25歳年上の男性と知り合いました。

最初の印象は、ものすごい早口で
言っていることが聞き取れないおじさん。

それが、サークルに参加したいがためだけに
なんとか一人で出てきていた慣れない東京で
「駅どっちですかー!」状態の私を、
駅まで送ってくれる優しいおじさんにかわり、
そのうち、お付き合いをするようになりました。

母より一つ年上の彼。

千葉と群馬という、微妙に離れた距離があったので、
逢っている時間よりも
移動時間の方が長い時もありました。

それでも、
お互いに時間をやりくりして、逢えると嬉しくて。

でも、
いつまで一緒にいられるのだろうと、
いつも互いにどこか寂しさを抱えて逢う日々。

恋人同士の今は二人の世界だから、大丈夫でも
結婚となれば周りが許してくれるはずもない。

いつか、この歌詞のようなことを言う日が
来るのかもしれないと自分に言い聞かせるように
この曲を口ずさむようになっていました。

今考えると、その寂しさもまた、
恋愛のスパイスだったのかな、と思います。

結局、ものすごく色々ありましたが、
6年前に結婚し、今年の2月に女の子が生まれ、
一児の父母となりました。

(アスタ)

『蒼い時代』は、
ずいぶん昔に燃えた許されなかった恋と、
別れるときにふたりがかわしたある約束
(具体的にはそれが何かは描かれません)を、
「なかったことにしてくれ」と
相手の親が謝りに来る、という、
なかなかヘビーな内容の歌です。
主人公の女性は、頭を下げる彼の親の前で
「約束なんて信じていなかった」
「そんな昔のことを覚えていたなんて」
と、わざと平気な顔をする。
ああ、わかれうたの女王の描く世界は
ほんとうにきびしい‥‥。

現在進行形の恋の行方を歌になぞらえるとき、
おそらく、たいていの人は、
明るい未来を託して聞くんだと思うんです。
でも(アスタ)さんは、
そうではなかったんですね。
親子ほどの年の差や、会えない寂しさや不安が
「だめかもしれない」という考えにかわっていく。
いざ、そのときが来ても
「やっぱりね」
「そういう運命だったのよ」
と自分を納得させることができるような、
そんな曲に思いを託す‥‥。
でも、ほんとうはあきらめているわけじゃ
ないと思うんですよ!
(じっさい、そうでしたものねー。)
そんな気持ちのうつろいが、
中島みゆきさんの恋歌とすごく合ってます。

よかったですね、(アスタ)さん。
結婚そしてお嬢さまの誕生、
おめでとうございます!

ああ、よかった。
そうか、よかった。

この「恋歌くちずさみ委員会」を
長く読んでらっしゃる方ならご存じでしょう。
当コンテンツの醍醐味のひとつ、
「こりゃあムリだろう」と思いながら
恋のエピソードを読んでいたら
最後の最後でそれがかなってしまう、
というカタルシスです。

しかも、そのハッピーエンドは
当人にとっては結果でしかないから
あっさり数行で描かれているのが
また、いいんですよね。

やっぱり、恋の思い出の本質というのは、
高いハードルを乗り越えることよりも
高いハードルを前にした瞬間の
途方もないような気持ちの中にあるような気がします。
だからこそ、その恋がかなったか、かなわないかは、
思い出においてはどちらでもいいというか、
どちらであっても等しく
思い出は成立するんですよね。

「結局、ものすごく色々ありましたが」
という乱暴な略し方そのものが、
ハッピーエンドの演出の一部として機能していて、
すごくいいなあ、と思いました。

ねえ!
ラスト3行のダイナミズムに、
またもやのけぞるような感動をおぼえましたよ。

「ものすごく色々ありましたが」っていうのは、
ほんとうに、もう、様々なことがあったのでしょう。
もちろんいいことばかりではなく‥‥。
そんな様々なエピソードの中から(アスタ)さんは、
出会って間もないころのお話を書いてくださいました。
いいですよねー、出会ったころの思い出。
うきうきで、わくわくで、でも心配もあって。
出会ったころのエピソードは、
その後のふたりの関係の
大きな支えになるのだと思います。

今年の2月に生まれたお子様にも、
もうすこし大きくなったら
ぜひそのお話を聞かせてあげてくださいね。
ちなみにぼくも自分の息子に妻との出会いの話をします。
よくします。
「ちょっとここに座りなさい」と言ってから、します。
むかしは興味深そうに聞いてくれましたが、
最近はみごとに聞き流されるようになりました。
息子は高校3年生。当然だと思います。
息子よ。
父はもう、自分の恋の話はしない。
今度はきみの番だ。
いい恋愛をして、その話を父に聞かせなさい。

‥‥なにを言っているのでしょうか、ぼくは。

私も小さい頃、父母がどう出会ったかを
聞くのが大好きでした(幼なじみだったんです)。
しかし、息子さんの「いい恋」を親が聞くのは
どうなのかしら‥‥山下さん。

私は、ラスト3行をお茶飲みながら読んでいて、
「うっ」となりました。
よかったですね、ほんとうに!

いやぁ、私は思うんですが、
恋していればいるほど
先のことについて用心するようになりますよ。
「いつまでつづくかなぁ」
なんて思ったり
「ま、そういうことってわかってたし」
と、妙にさっぱりしてしまいます。
許してもらえないと思っている場合は
なおさらでしょう。
「この歌詞のようなことを言うだろう」と
自分に言い聞かせるという涙ぐましい用心の裏に、
願いがこめられていることを
中島みゆきさんはわかっておられるはず!

私が投稿を読んで「うっ」となったのは
「今考えると、その寂しさもまた、
 恋愛のスパイスだったのかな」
という冷静なところが
「結局、ものすごく色々ありましたが」
につながったからです。

結局は寂しさがスパイスだったのよねー、
だから終わっちゃった、
というのじゃあ、ないんかいー!!

冷めたような気持ちを含んだ深みから
「色々ありましたが」なんだから
そりゃあもう、色々あったんでしょう。
その色々を歌にしている恋歌も
世にきっとたくさんあるんだろうなぁ。

みなさんの恋の話、
もっとお聞きしたいです。
委員一同、投稿をお待ちしております。
また次の土曜に、お会いしましょう。

 

2012-08-22-WED

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