明るくて、負けずぎらい。  クルム伊達公子さんの、 ふつうは無理な道のり。

第3回 1番になれない悔しさ。

糸井 小学校のときから、
しっかりしたコーチに教わってたんですか。
伊達 クラブには入ってました。
糸井 中学校は?
伊達 中学はいわゆる名門テニスクラブと言われるところで
レッスンを受けてましたけど、
そこは、ほんとうに強いクラブだったので、
わたしは劣等生だったんですよ。
糸井 伊達さんが劣等生(笑)。
そういう話は、いちいちおもしろいですね。
伊達 いや、ほんとなんです。
コートが3面あったんですけど、
ちょっと山を削ってつくったクラブだったので、
上に2面、下に1面だったんですね。
で、トップの選手は、上のコートで練習する。
糸井 文字通り上にいるんだ。
伊達 はい、上にいるんです。
で、わたしは下の組だったんですよ。
たまーに上に呼んでもらえて、
で、また下に降ろされて、
っていうポジションだったんです。
糸井 じゃあ、そのときのコーチにしてみれば、
伊達公子っていう子は、
そのくらいの平凡な選手として見てた。
伊達 はい、そうだと思います。
糸井 いまも会いますか、その方には。
伊達 もうそのときの先生は
もう亡くなられたんですけど、
でも、奥さんはまだお元気で、
ときどきお会いします。
糸井 ああ、そうですか。
どういうふうに見えるんでしょうね。
伊達 でも、私は中学生のとき、
ほとんど結果がなかったんですけど、
唯一、その先生からだけ、
「中学を卒業したらプロになりなさい」
って言ってもらったんですよね。
糸井 1番の子じゃないのに。
伊達 はい。
糸井 興味あるなぁ、そういうの。
伊達 当時にしては早い考え方だと思うんですけど、
その先生は、高校、大学と行ってからだと
世界でテニスをやるには遅すぎる、と。
糸井 へぇー。
伊達 だから、中学を卒業したら
もう高校行かないで、プロになりなさいと。
糸井 すごいですね。
伊達 すごいですよね。
でも、さすがに結果も出てないですし、
将来を期待されてた選手でもないですから、
そんなことを言われること自体、はじめてで。
糸井 ああ、そうですよね。
伊達 自分の中に、そんな、
高校に行かないでテニスだけするなんて、
考えてもみなかったし、
親も当然、高校に行くと思ってましたし。
で、私がちょっとその気になって、
「高校はやめてテニスの学校に行きたい」
って言ったら、
「そんなこと考えてるぐらいだったら、
 いますぐテニスやめなさい!」って。
糸井 (笑)
伊達 けっきょくは高校に行って、
学校でテニスを3年間やったんですけど。
糸井 でも、中学のときのその先生は、
結果的には慧眼というか。
伊達 そうですね。
その先生は「世界のテニス」っていうのを
すごく意識してらっしゃる方だったんです。
実際、いまは、そういうふうに
若くして世界に出る選手が多いですし。
糸井 ああー、そうか。錦織選手とか。
伊達 そうですね、錦織くんも、
たしか小学校の途中くらいから
単身でアメリカに渡っているので。
糸井 うーん、そうかぁ。
あの、その先生に、どうして
「プロになりなさい」って言ったか
訊いたことはないんですか。
伊達 うーん、まぁ、いちおう、あとになって、
「可能性があったと思った」と
おっしゃってたんですけど、
どうなんでしょうねぇ。
糸井 どうなんでしょうね(笑)。
伊達 ほんとに、中学時代は、
上のコートにはほとんど
呼んでもらえない選手でしたからね。
なんなんでしょうね。
糸井 なんなんでしょうねぇ(笑)。
でも、ひとついえるのは、伊達さんが、
5分でも時間があればテニスをやる人で
それがうれしくてしょうがなかった
っていうことですよ。
そういう選手はね、指導者から見たら、
きっと輝いて見えたんじゃないかな。
伊達 うーん、どうなんでしょうね。
糸井 だって、そのときすごく強くても
テニスをそんなに好きじゃない子がいたとしたら、
それよりは、ボールを打つのが
うれしくてしょうがないっていう子のほうに
可能性を感じるような気がするんですよ。
伊達 うーん、そうかもしれないですね。
やっぱり、テクニックとか、身体能力とか、
持って生まれたセンスっていうのも、
絶対あると思います。
ただ、「情熱」っていうものだけは、
教えることができないですからね。
糸井 ああ、教えられないですねぇ。
伊達 うん。
糸井 伊達さんには、
その「情熱」は、あったんですね。
伊達 はい、それは、あったみたいです(笑)。
糸井 おもしろい(笑)。


(つづきます)

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2012-06-14-THU