ほぼ日刊イトイ新聞 探検昆虫学者、コスタリカをゆく 西田賢司さんが語る、大好きな「虫」のこと 写真提供:西田賢司
3 虫へ至る道のり
「長~いリーゼントがキマっている!」(西田さん)
これが、かの有名なヘラクレスオオカブトだ。
西田賢司『ミラクル昆虫ワールド コスタリカ』より。
──
西田さんは、ずっと虫が好きなまま、
ここまで来たんですか?
西田
うん、自然が好き、生き物が好きで。

ちいさいころは
まわりに田んぼとか畑があったので、
モンシロチョウだとか
アゲハチョウだとか‥‥
まあ、どこにでもいる虫ですけどね。
──
昆虫博士、みたいな?
西田
いえ、そんな感じではなかったです。

やたら知識が豊富な小学生とかなら、
もっと他にいたと思います。
──
中学卒業後に渡米されたそうですが、
では、虫の研究の道は、そこから。
西田
いや、アメリカの高校へ行ったのは、
たまたまというか‥‥。

集団がひとつの方向に向いたら、
ぼくは逆を向きたくなっちゃう性格で。
みんなが一斉に受験勉強はじめたので、
まったく勉強しなくなりました(笑)。
──
まったく、ですか(笑)。
西田
それで、成績ガタ落ち。

こんなんじゃ、
どこの高校にも入れてもらえないから、
だったら
アメリカに留学する選択肢もあるって、
母親が教えてくれたんです。
──
へえ、すごいお母さん。
中学生の我が子に、留学を勧めるとは。
西田
うん。で、もう、その場で決めました。
悩むことを一切せず、すぐに!

受験勉強をしたくないという一心と、
思春期特有の、
親から離れたい感覚がありました。
──
つまり、留学するにあたって
「虫」という要因は、なかったんですか。
西田
ないです。ないない。

実際、留学した北米って
生物的多様性という点では乏しいですし。
虫の研究をしたい人が
それほど行くようなところでは
ないと思います。
──
そうなんですか。
西田
日本みたいに
そのへんでコオロギが鳴いていたり、
バッタが跳んでたり、
蝉が合唱しているわけでもなく。
──
あ、ちなみにお聞きしますと、
日本って、虫の数が、多いんですか?
西田
多いですよ。

自然環境も豊富だし、島国なので
固有種も多い。
日本もコスタリカと同じく生物多様性の
ホットスポットです。
──
熱帯のコスタリカと同じって、
日本の環境って、すごかったんですね!
西田
ともあれ、中学卒業の時点では、
日本からの脱出が、大きな目的でした。

ノースキャロライナ州で
4カ月くらい英語の勉強をしてから、
アーカンソー州へ移り
田舎町の高校に入りました。寮生活です。
──
じゃあ、そこでは、虫は‥‥。
西田
そのへんにいたら見るぐらいで、別に。
──
そのへんにいたら見る‥‥って(笑)、
一般人と、あまり変わりませんね。
西田
うん、いたってふつうの高校でしたし。
で、そこでも、ふつうに勉強せず。
──
異国で、青春のモラトリアムをタップリと。
西田
当初はまわりが言ってることも、
正直よくわからなかったもんで。英語ですから。
──
えーと、そういった状況に置かれると、
人は何をするんでしょう。
西田
寝てました。基本。成長期でしたから。
──
寝る子は育つ、を地で行ったと(笑)。
でも、そんな感じだと、進級は?
西田
いちばん下の成績で、ギリギリ通過。

でも、高3で単位取得が危うくなって、
このままでは卒業ができないと言われ、
そこから、ちょっと気合を入れました。
──
おお、一念発起で。
西田
で、無事に3年で卒業できたんですけど
当然よくない成績だったので
行きたい大学を選んだりすることはできずに、
系列の大学へ入学したんです。
──
で、そこで「虫」に出会った。
西田
いや。
──
まだ、出会わない?
西田
大学も高校と同じ敷地内に建ってましたし、
入学しても、
またダラダラした生活がはじまりました。
──
いつ出てくるんだろう、虫‥‥。
西田
総合大学なので最初の2年は
一般教養の授業ばかりだったのですが、
ほとんど勉強しませんでした。
で、3年生で
専攻を決めないといけなくなったとき、
ものすごく悩んだんです。

ぼくは、何をしたいんだろう、
栄養士になろうか、数学やろうか‥‥。
──
ええ。
西田
選択肢のなかに「生物学」がありました。

その専攻を選択する人のほとんどが
医者を目指すんですが、
ぼくには、まったくその考えはなく、
生きものが好きな自分が、
よみがえったような。
──
だんだん虫に近づいてきましたね!(笑)
西田
人体の解剖学や動物学、植物学、
遺伝子学‥‥とか、いろいろ学んで、
無事に卒業もできたんです。
──
じゃあ、そのなかに「昆虫学」が。
西田
ありませんでした。
──
え! まだないんですか!
大学、卒業しちゃったじゃないですか。
西田
動物学のはじっこのほうに
ちょっと昆虫の話が入っていたくらい。

本当は昆虫学もあったらしいんです。
でも、ちょうど先生が病気で
授業を受けられなかったんですよね。
──
ことごとくすれ違いますね、虫と。
西田
でも、生物学をやっていると、
大学卒業のころには、
「ああ、ぼくは、昆虫をやりたいんだな」
ということに気づいたんです。

やっぱりぼくは、生きもののなかでも、
ダントツで昆虫が好きだった。
だから、昆虫のことを
本格的に研究したくなったんですね。
──
本格的というのはつまり、大学院で?
西田
そう、虫のことを学べる大学院がないか、
世界中を探しました。

当時は、インターネットが
広まっていませんでしたから、
問い合わせから何から
手紙やハガキでやりとりして、探して。
──
なるほど。
西田
大学卒業後にいったん帰国していたので、
資料を日本に送ってくれと。

そのなかにコスタリカ大学もあって、
第一希望でした。
でも、入学試験も受けたのに、通知がなく‥‥。
音沙汰なしというか返事が来なくて。
──
どうしてですか?
西田
話によると、教員たちのストライキで、
大学が半年ほど閉鎖していたようです。
──
大学自体が機能していなかった。
西田
で、1年くらい経ったころに‥‥。
──
えええ、そんなに待ってたんですか!
西田
母親がポツリと一言、
「コスタリカに行ってきたらどう?」と。

「大学に乗り込んで来い!」
と言わんばかりに。
──
ここぞというタイミングで
いつも、お母さんのいい一言が出ますね。
西田
で、すぐ行ったんです、コスタリカに。
学長に挨拶して、
昆虫の授業の先生にも挨拶して。

聴講生というかたちで昆虫の授業を
受けさせてほしいと、お願いしたんです。
──
はい。
西田
それで、どうにかこうにか昆虫の授業を
受けられることになって、
それなりに、まあ‥‥いい成績を残せたので、
学長は、
入試の結果はスペイン語力が足りなかったが
これなら大丈夫そうだと、
入学がオッケーになったんです。
──
ようやく「虫」にたどりつきました。
西田
それが25、26歳くらいのころ‥‥かな。
<つづきます>
長い尻尾に見えるものは、
脱皮した自分の抜け殻をつなげたもの。
まるでトーテムポール?  ジンガサハムシの一種の幼虫。
西田賢司『ミラクル昆虫ワールド コスタリカ』より。
2016-04-29-FRI