第5回 シンクロとバレーボール
永田 ほかに、刈屋さんが注目している種目があれば
教えてください。
刈屋 楽しみにしているのはシンクロですね。
中国の井村(雅代)監督が
どういうチームをつくってくるのか。

(※井村雅代監督:
 アテネ五輪まで27年間にわたり
 日本のシンクロチームを指導。
 退任後の2006年、依頼を受けて
 中国のヘッドコーチに就任。
 2007年メルボルン世界選手権で
 チーム、デュエットを4位に導いた)
永田 見守るファンとしては、
複雑な心境の人も多いようですね。
刈屋 わからないでもないですけど、
少なくとも「裏切り者」なんていう批判は
大きな間違いだと思いますね。
コーチが国境をまたいで指導にあたるというのは
採点競技の世界では常識ですからね。
永田 そうですね。
刈屋 それが勝つための近道でもあるんです。
たとえば、これは極端な例ですが、
同じようにいい絵が並んでいて、
それがゴッホの絵と
無名の画家の絵だったとしたら、
ゴッホの絵に人気が集まるんです。
永田 ええと、つまり、
よい指導者に率いられて
選手の実力がアップするだけでなく、
採点競技においては、
指導者のブランドも勝負に作用する要素だと。
刈屋 ルール上はそうなってませんが、
事実としてはその傾向はあると思います。
なぜそうなるかというと、
オリンピックというのは大きな大会ですから、
各大陸から審査員がやってくるんです。
ということは、一流の選手ばかりを
ずっと審査してきた人ばかりじゃない。
経験の少ない審査員も参加することになるんです。
というときに、その審査員にとっても
オリンピックというのは大きな舞台ですから、
自分のジャッジが試されることになる。
そこで、完全に自分だけの価値観で
「絶対にこっちが上だ」と自信をもって
つねに判断できる人は、そうはいないんです。
かならず、「大丈夫かな」という不安がある。
そうなったときに何を基準にするかというと、
やはり、それまでの実績なんですよ。
どの大会で、どんな点数を出したか。
そして、誰がそのチームを率いているのか。
永田 なるほど、なるほど。
そのときに「井村」という名前が効くんですね。
刈屋 そう。
今年の中国を率いているのは、
銀メダルをとり続けてきた「井村」だと。
いま、名前でメダルをとれるコーチを
世界で3人挙げるとしたら、
井村さんはそこに入るんですよ。
その井村さんが退任して
フリーだったわけですから、
中国がとりにくるのは当然です。
中国が来なければほかの国が来ていたでしょう。
それは、もう、まちがいがないことです。
オリンピックの採点競技というのは
そういう争いからはじまるものなんです。
永田 裏切ったとか、言ってる場合じゃないと。
刈屋 そんなこと言ってる時点で認識不足ですから
勝ち目がないとすらいえます。
いまのスペインだって日本のコーチが教えてます。
日本のコーチが海外で活躍することは、
日本という国全体の実績になりますから、
大きな意味では歓迎すべきことなんです。
永田 あーー、なるほど。
刈屋 ということを前提にして、
井村さんが「どうやって勝ちにきているか」を
観ていると、とても興味深いんです。
先日のオリンピック最終予選のとき、
井村さんは、北京オリンピックに向けて、
「勝てる」と踏んだデュエットだけを出してきた。
で、狙いどおり日本のペアよりも高い点を出して、
団体は出さなかったんです。
たぶん、井村さんは、
「団体は日本より点が低いかもしれない」
と読んだんじゃないかと思うんです。
だから、団体は出さずに、デュエットだけ出した。
結果的には、井村のつれてきたふたりが
日本のペアより上だったという事実だけが残った。
永田 その事実が、審査員の印象の中に残るんですね。
刈屋 そのとおりです。
そして、それこそが井村さんの狙ったことで、
伏線としてはもう、OKなんです。
永田 ああー、なるほど。
刈屋 北京オリンピックでのメダルに向けて、
井村さんは、布石を確実に打ってきた。
だから、もしかすると井村さんは、
デュエットの点が日本より出た時点で
もう日本をターゲットにするのはやめて、
スペインやロシアのほうを
向いているのかもしれない。
一方で、団体のほうは、間違いなく、
日本をターゲットにしてくる。
そういうあたりがねぇ、
もう、とっても楽しみなんですよねぇ(笑)。
永田 うーん、刈屋さんの話を聞いてると
うつりますね、「楽しみ!」っていう気持ちが。
刈屋 ははははは。
永田 せっかくですから、もっと教えてください。
刈屋 バレーボールはどうですか。
永田 いいですね。
北京には、男女とも出場しますし。
刈屋 それでは、バレーボールの楽しみ方というか、
私なりに発見したことをお伝えしましょう。
各国のバレーボールチームが、
ほんとうに、本気で、戦うのはオリンピックだけ。
それも、オリンピックの
決勝トーナメントだけです。
永田 え、じゃあ‥‥3試合だけですか?
準々決勝、準決勝、決勝だけ?
オリンピック以外は?
刈屋 もちろん、ワールドカップも世界選手権も
その年のベストのメンバーを組んで
必死になって戦うんですけど、
ほんとにその国が持っている
バレーボールの最高のレベルのチームをつくって
本気で戦うのは、オリンピックの
予選リーグを突破したあと、
決勝トーナメント入ってから。
もう、このバレーボールはすごいですよ。
永田 何がちがうんですか。
刈屋 もう、本気度がちがう。
私は以前、アトランタのときに
女子バレーボール決勝トーナメントの
キューバ対ブラジルを実況したことがあるんです。
この試合はね、すごかったんですよ。
永田 どうすごかったんです。
刈屋 あのときのキューバは個人技のチームで、
とくにルイスというすごい選手がいたんです。
この選手が、どんどんテンションを上げて、
ひとりですべてをやろうとするんですよ。
上がったら、私が打つ、と。
打つんだったら、私が止める、と。
それに対してブラジルはコンビネーションバレー。
当時はまだ男子バレーでしかできていなかった
さまざまなコンビネーションを持ち込んで、
ものすごく立体的なバレーを展開してたんです。
だから、コンビネーションをからめて、
どこからでも打ってくる。
それを、キューバのルイスがひとりで止める。
しかも、キューバとブラジルというのは、
地理的に近いというのもあるかもしれませんが、
ことばが、どうやら通じるんですね。
だから、だんだんヒートアップしてくると、
ネット越しに「ざまーみろ!」みたいなことを
あからさまに言い合うようになってきて。
永田 すごい(笑)。
刈屋 で、2セット目、3セット目と進んでいくと、
ついに、ポイントが決まったあと、
ネットから手を出して、
お互いに胸ぐらをつかみ合うように‥‥。
永田 ひー。女子なのに。
刈屋 女子なんですけどね。
で、当然、ピピピピーって笛が鳴ったりして。
けっきょく、フルセットになったんですが、
もう、4セット目、5セット目ってなると、
ほんとに打つたびにネットから手が出る。
永田 ひー。どっちが勝つんですか。
刈屋 最終的にはキューバが勝ったんです。
で、終わったあとに、
ネットを挟んで握手するじゃないですか。
永田 ああ、はいはい、最後はネット越しに
全選手が握手をして‥‥。
刈屋 そこで本格的な乱闘になっちゃった。
永田 うわぁ(笑)。
刈屋 もう、こんなになって、つかみ合い(笑)。
永田 最後はいい話になるのかなと思ったら(笑)。
刈屋 ははははは。
ふつうだったら、
礼にはじまり礼に終わるんでしょうけどね、
もう、そこでは、試合中のままの興奮で。
あれを見ると、バレーボールというのは、
完全にネットにはさんだ格闘技だなと。
永田 それはちょっと極端な例じゃないですか。
刈屋 でもね、そのくらいの本気があるのが、
オリンピックの決勝トーナメントですし、
それ以外では、あんなことは絶対にありません。
永田 ああ、なるほど。
刈屋 たとえば、思い出してください。
アテネオリンピックのとき、
女子バレーボールの日本チームは、
予選リーグをなんとか勝ち上がったものの、
決勝トーナメントに入ったとき
勝負にならなかったじゃないですか。
(準々決勝で中国に0−3のストレート負け)
つまり、あそこからが本番なんですよ。
永田 最後の、本気の3試合。
刈屋 あのストレート負けから4年間、
日本の女子バレーがなにをやってきたのかが
今回、問われると思います。
永田 レベル的には、いまはどうなんでしょう?
刈屋 バレーボールの最近の傾向は、
サーブ・アンド・ブロックなんですよ。
サーブ・アンド・ブロック力がない限り、
国際舞台では十分に戦えないといっていい。
ところが、日本の女子バレーは
そこがまだ弱いと言われてます。
だから、それを補うために
スピードで勝負しようとしている。
それがはたして通じるのかどうかというのが
今回のポイントでしょうね。
永田 なるほど。男子はどうでしょう?
刈屋 男子のほうは、なんだかんだ言われながらも、
地道にサーブ・アンド・ブロックを
鍛えてきたチームなんです。
だから、いまの全日本の植田ジャパンというのは、
サーブ・アンド・ブロックは国際級なんです。
だから、これもあくまで個人的な予想ですが、
メダルを取る可能性があるとしたら、男子です。
永田 おお。
刈屋 男子は、どのチームとあたっても、戦えるんです。
誤解を恐れず言えば、勝てるとは限らない。
勝てるとは限らないけれども、ゲームにはなる。
ゲームになるということは、もしかすると勝てる。
そういう意味でいうと、メダルをとるとしたら、
男子チームなんじゃないかなとぼくは思うんです。
永田 なるほど、なるほど。
サーブ・アンド・ブロックという点から考えると、
男女ともに、違った見方ができるんですね。
刈屋 そうなんです。
だから、もしかすると男子は
決勝トーナメントにいけないかもしれない。
でも、メダルをとるかもしれない。
女子の場合は確実に決勝トーナメントに
行く力はあるんだけれども、
はたしてサーブ・アンド・ブロックで劣る部分を
決勝トーナメントでも補えるのかどうか。
永田 男子チームに勢いがついたら、
おもしろいかもしれませんね。
刈屋 はい。また、これは個人的な話になりますが、
男子チームのエース、荻野選手は、
ぼくがNHKの初任地の福井にいたとき、
ちょうど福井高校に入ってきた選手で、
そのときに取材をしているんですよ。
永田 へぇーー。
刈屋 といっても、そのときは
荻野選手の取材に行ったんじゃなくて
福井高校の取材に行ったんです。
そしたら、当時そこの監督だった堀さんという方が
「今度入る荻野っていうのがいるんだけど、
 こいつバレーボールやったことがなくて、
 野球部なんだよ」と。
「野球部なんだけど、
 ものすごくいいもの持ってるから
 入部させることにしたんだ」って言って、
本人を呼んで、ぼくに紹介してくださったんです。
そのときには、もう、ただの坊主頭の少年で。
永田 (笑)
刈屋 もうそのときの印象がすごく強く残ってるんです。
そのとき、堀監督がぼくにこっそりと
「こいつは全日本のエースになる」
っておっしゃったんですよ。
永田 へぇーー、すごいですね。
刈屋 すごいでしょう?
「いや、それは大げさでしょ」って笑ってたら、
その荻野選手が全日本の中心になり、
いまや精神的支柱にまでなっている。
なんて言うんだろう、彼はひたむきなんですよね、
すべてにおいて、当時から。
で、堀さんはそれをすごく評価していて、
「こいつは、運動神経もいいし、人柄もいいし、
 とにかくひたむきになんでもやるから
 絶対にうまくなる」って言ってたのが、
いまだに印象に残ってて‥‥。
そういう意味では、荻野選手への思い入れを持って
男子バレーを応援しようかなと思ってます。
(続きます!)


2008-08-06-WED

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN