「昭和の絵師」と呼ばれたマンガ家の上村一夫さんは、
20代の若いコピーライターの糸井重里からすれば、
酒場に呼び出されては語り合う人生の先輩でした。
独特な劇画タッチの画風で描く妖艶な美女と、
詩情に富んだ文章で、情念と狂気を表現した上村さん。
代表作の「同棲時代」をはじめ、
ピーク時には月産400枚以上の原稿をこなす傍ら、
毎晩のように酒を飲み、朝帰りを繰り返していました。
45歳という、早すぎる死から30年。
上村さんの愛娘、汀さんに回顧展に招かれた糸井重里が、
汀さんとふたりで、上村さんについてお話をしました。
上村一夫さんプロフィール

上村一夫(かみむら・かずお)

1940年、神奈川県横須賀市生まれ。
1961年、武蔵野美術大学デザイン科4年生の時、
広告代理店の宣弘社で半年ほど
イラストレーターのアルバイトをする。
同社員の深田公之(のちの阿久悠)と親しくなる。
1967年、『月刊タウン』創刊号
「カワイコ小百合ちゃんの堕落」でデビュー。
翌年、阿久悠と再会し、『平凡パンチ』連載の
「パラダ」(原作・阿久悠)で本格的に劇画進出。
以後「同棲時代」、「修羅雪姫」(原作・小池一夫)、
「しなの川」(原作・岡崎英生)など
叙情的な名作を次々と発表。
特に「同棲時代」は”劇画史に一時代を画した”と
評されるヒット作品となった。
また、その流麗な筆画から”昭和の絵師”と称され、
月産400枚の原稿を手掛ける多忙さを極めた。
1985年11月、下咽頭腫瘍で入院。
翌1986年1月11日、逝去。享年45。
上村汀さんプロフィール

上村汀(かみむら・みぎわ)

上村一夫の娘として、上村一夫オフィスを主宰。
上村作品の管理や復刻活動、
そして公式サイトの運営を手がける。
子どもの頃には、
多忙を極めた父親とはすれ違いの生活を送り、
互いに何をしているのかまったく知らずに過ごす。
男女の性愛を描く父親に嫌悪感を抱いていたが、
父親が亡くなってから初めて、
代表作の「同棲時代」を読んで大粒の涙を流す。
主人公に自分を重ねて、父の才能と繊細さに脱帽。
自分の作品が残っていくかを気にかけていた父のために、
人任せにしていた復刻の仕事を始めることになる。
1 若い老人だったお父さん。
上村
糸井さん、今日はお越しいただいて
ありがとうございます。
糸井
こちらこそ、ありがとうございます。
今日は客層がバラエティに富んでいますね(笑)。
上村
たくさんの方にお越しいただきましたが、
会場の皆さんの中にも、
「上村一夫展でなぜ糸井さん?」とお思いの方が
いるかもしれないので、経緯からお話ししましょう。
上村一夫の没後30年という節目に
弥生美術館さんで回顧展を開催することになり、
ゲストの方をお招きしようとなりまして。
「誰にしようかな」と話していたところ、
糸井さんが「ほぼ日」で、父のことを
折にふれて思い出してくださっていたのが、
とても印象的だったんです。
糸井
上村さんの周りにはいつも、
世代の近い方がたくさんいらっしゃって、
ぼくは10歳ぐらい年下だったんですよね。
しかも上村さんは年寄りぶる人だったので、
なおさら年上のような存在でしたから。
「享年45」を数字で見ると、ほんとに驚くんです。
周りは、60歳ぐらいに見てたんじゃないかと‥‥。
上村
ふふ、わかります。
私もそんな感じで見てました。
糸井
あっ、娘さんでも!
上村
はい。なぜか35歳ぐらいから、
おじいさんみたいな背中だったんですよね。
周りの方も不思議がっていました。
なんであんなに老成してたんだろうって
いまだに疑問が残っています。
父は何を見てしまったんでしょうか。
糸井
そのあたりの説明を、
ご本人から話してもらったことがあります。
ぼくも似たようなことを思ってたんで、
上村さんに訊いてみたんですよね。
「上村さん、どうしてそんなに、
老人のさらに先みたいなお話をするんですか?」と。
そしたら「自分が老人の子どもだったからだ」って。
上村
ああ、なるほど。たしかに上村一夫は、
お父さんが64歳のときに生まれた子なんですよ。
お母さんは後妻さんだったんですけど、
夫婦で40歳ぐらい年が離れていました。
先妻さんの娘が、お母さんと同じぐらいの年という、
すごくわかりにくい家系だったんです。
糸井
うん。そういう環境にいて、
おじいさんにかわいがられて育ったのが、
とても大きいんじゃないかと説明されてましたね。
上村
ああ、そうでしたか。
父は1976年に「関東平野」という
マンガを描いているんですが、
35歳ぐらいで過去を振り返って、
ほぼ自伝のようなものを描いちゃったんです。
疎開先の千葉の風景も父が見ていた風景ですし、
そのマンガに出てくるおじいちゃんが、
たぶん、父のお父さんなんだと思います。
「関東平野」は、父のお母さんが
亡くなった年に描いたマンガなんですよ。
だから、お母さんに捧ぐ気持ちもあったのかなと。
今読んでもグッとくるんです。
「関東平野」 ©上村一夫
糸井
ちょうど「関東平野」の頃は、
上村さんのピークからピークへと
綱渡りをしているような時期でした。
ひとつの作品が終わるごとに、
「次はどうするんだ?」と読者が思っていたら
「今度はこうきたか!」と思えるマンガがはじまって。
読者を裏切るのがすごく大好きで、上手でした。
上村
父はまさに、そういう性格ですよね。
糸井さんは父のマンガを読まれたんですか。
糸井
もちろんです。
上村さんと知り合う前から読んでました。
上村さんのマンガは、「同棲時代」でも何でも
オンタイムで読んでましたから。
いやあ、ぼくも同棲したくてしょうがなかったですよ。
「同棲時代」 ©上村一夫
上村
そうなんですか。
糸井
だって、そりゃあ、うれしいじゃないですか。
まったく女性っ気がない人生を送ってるのが
若い人ですから。
上村
そうなんですか。
糸井
70年代当時なんてみんな、
今よりも彼女とかいませんから。
同棲したら、貧乏かもしれないし、
相手が狂っちゃうかもしれないけど(笑)。
会場
(笑)
糸井
「女といる」っていうこと自体が、
麻雀でいえばすでに、「上がり手」なんですよ。
だから、貧乏とかそういうのはおまけで、
「それ以上何を望むんだ」みたいなことです。
「同棲時代」では一見、
暗いお話を描いているみたいだけど、
読者からすると、うらやましい話を描いている。
上村
そうですか。それは、非常にリアルな声ですね。
糸井
今の青春ドラマにはみんな恋人がいて、
恋人がいる子は、みんなイケメンじゃないですか。
上村
ええ、そうですね。
糸井
今は、それが当たり前に見えてるから、
そうじゃない子は、オタクに走ったりする。
当時は、その辺が混然一体としていて、
モテる、モテないにも、運の要素がありました。
そう考えると、女の子がいる状態で、
いっしょに銭湯にも行けて、
「貧乏は恐くない」とか言われても、
「当ったり前だよ。貧乏なんか、全然恐くないわ!
だって女がいるんだもん!」と言いたくなる。
上村
ずいぶん、純情ですよね。
糸井
純情ですね。そのあたりの要素がないと、
上村さんのマンガも成立しないんじゃないかな。
上村さんのマンガって、
アメリカのホームドラマみたいに、
普通の家庭で「女の子が不良化して」みたいな
シチュエーションってないですよね。
上村
そうですね。
糸井
今だったら、中産階級の子が、
普通の愛情をかけられてるのに、
「本当の愛じゃない!」とか言って
すねてみたりするけど。
上村
ありますよね。
糸井
上村さんのマンガに出てくる子たちなんて、
あらかじめ捨てられてますよね。
上村
それか、すごく上流すぎるところで
ゆがんだという話も、たまにありますね。
糸井
そうですね、どっちかですね。
この頃から、世の中がどんどん平準化していきました。
みんながのっぺり、おんなじような豊かさと、
おんなじような安全と、おんなじような野心で。
その平準化した時代の中に、荒井由実が出てきます。
「ソーダ水の中を貨物船が通る」し、
ただの高速道路が「中央フリーウェイ」なわけですよ。
彼女は彼女で日本画科の人ですから、
きっと、見立てをしていたんですよね。
中央フリーウェイを滑走路に見立てて絵を描いた。
上村
そうですね。
糸井
豊かさの世代交代があって、
音楽にも、おなじような世代交代があった。
みんながそこを行ったり来たりして、
星の絵の一筆書きみたいに動いてたんじゃないかな。
上村
そして、徐々に移動していった。
糸井
そう、山下洋輔さんがフリージャズをやっている。
ここで唐十郎さんが紅テントやってる。
まったく違うとこから久世光彦さんが出てくる。
横尾忠則さんは、唐さんの仕事をやっているけど、
ニューヨークでも認められた、とかね。
一点で育っていったものだけじゃ足りなくて、
つねに動き回っていました。
そういう70年代が、けっこう長かったんです。
上村
長かったんですか。その時代って。
糸井
長かったと思いますね。
絶対的な経済的基盤が上がらない限りは、
暮らしとか生活の文化って変わらないんで。
「同棲時代」で暮らしていた部屋には、
冷蔵庫もなかったと思うんですよね。
上村
あまりそういうの描きたくないと言ってますね。
糸井
でしょうね。
でも、たぶん、ある家にはあったんです。
あの男の子と女の子が
いっしょに暮らしているアパートでも
冷蔵庫のある家はあったと思うんだけど、
それをどかさなければ、あの話は成立しないし。
お風呂があったら「神田川」みたいに
「三畳一間の小さな下宿」から、
「小さな石鹸カタカタ」鳴らすわけにいかないから。
上村
いかないですね(笑)。
「同棲時代」 ©上村一夫
糸井
足りないがゆえに、
そこから喜劇やら悲劇やらが生み出されるんです。
冷蔵庫がなかったから、
コーラにも「ホームサイズ」というのがあって、
安く、たくさん飲むようにしました。
買いに行く往復もめんどくさくないように。
上村
そうですね。
糸井
今だったら、大きいボトルでコーラ飲むのって、
ちょっとかっこ悪いですよね。
かっこいいか、かっこ悪いかを
判断できるようになるまでには、
だいぶ長く時間かかります。
80年代を経過しないとダメでした。
ああ、時代の解説にきたんじゃないのに(笑)。
上村
でも、糸井さんが解説するのは新鮮でいいです(笑)。
(つづきます)
2016-4-11-MON