ほぼ日の塾
■「ほぼ日の塾」第4期生の声。 ──終了後のアンケートより抜粋──

「ほぼ日の塾」は、はじめの説明にあるように、
ライティングのテクニックやスキルを
体系的に教えてもらうような場では、ありません。

しかし、その授業のあり方というのは、
人に楽しんでもらい、
「いい時間」を過ごしてもらうためには、
テクニックやスキルよりもさらに大切なものがあるんだ、
という前提に立てば、至極まっとうで当然のことだったと、
およそ3か月の実践編をやりきった今、思います。

「ほぼ日の塾」の課題を通じて、
仕事の場でよく言われる
「70点は確実に返してくれるけど、
 200点が取れるといいね」
という言葉を改めて実感しました。

そして、その自分に向き合うということが
どれくらいできたかによって、
人々にいい時間を提供できたかが
決まるのだなぁ、とも思いました。

わたしは今までそこから逃げていたのかもしれません。
そのことについて
客観的に気づかせていただいただけでも
参加した意義があったと感じることができました。

もうひとつ、参加してよかったと思えたことは、
現在28歳のわたしが18歳のころに
インターネットをしていて感じた、
インターネットでしか知らないひとに出会い、
新しいカルチャーに足を踏み入れていったことの
ドキドキを、再び感じられたことです。

自分の知らない世界を知ったり発見したりすることで、
自分が少しずつ変化していくよろこびを、
まだまだ味わえたことの嬉しさは、
本当に貴重で得難い嬉しい経験でした。

そういう、新しい何かに飛び込んでみることの
大切さを思い出させていただけたことも
嬉しいことでした。

塾を終えた今、
書くことへの向き合い方が変容していることに
仕事で原稿を執筆する際に気づきました。
今まで、なんて上澄みだけを
掬った文章を作っていたのかと
愕然とすると共に、
ずっとそれを続けていたらと思うのかと恐くなります。

「感じたことを解像度の高いまま出す」表現が、
いかに苦しいか。

これでいいんだな、本当にこう感じているんだな
という問いかけをするもう一人の自分が
今は横で見ていてくれます。

それを少しでもできたと感じられる
瞬間の喜びが増えていくことが
文章力がついてくることになるのだと思っています。

書くものが本当におもしろいのかどうか。
読者を「連れていく」「体験させる」ことが
どれだけ難しいか。
それぞれの課題に取り組んだ後に
そこまで至ってない自分の力量に
やるせなさを感じると共に、
偶然性やアンテナに引っかかったものに
飛び込んでいこうと意欲がわいていきています。

わたしは東京でフリーライターを始めて5年目ですが、
だんだん仕事が安定してきて、だけど
もっとやりたい気持ちがあって、
そして皆さんがどうしてるのか知りたくて、
塾に申し込みました。

今、塾に通う前の自分を思い返すと
「もっとやりたい」と言いつつも
「自分はこのくらい」と
思っていた節があったなと思います。

それが課題に取り組むことで
エッセイや友人への取材など
今までやりようのなかった「挑戦」ができました。

これは「発表の場がある」からできたことで
そうでなければ
一生書くことはなかった内容だと思います。
そして書いてみたらすごく楽しかった。
大発見です。

ただ話を聞いたり読んだりするのではなく
“自分の身体を使って、苦労して、
コンテンツをつくってみる”という体験によって
実感できたことは素晴らしく、
さらに永田さんのメールや授業で、
自分の足りないところやよいところを学び、
仕事への取り組み方が
全く違うものになったと感じています。

「まだいろいろできるのでは」
という気持ちになりましたし
「やってみたい」と思うようになりましたし、
単純に気を付けることも増えました。

それはわたしにとってすごく嬉しいことで、
見える世界が開けた感じがあります。

年齢層は大学生からアラフォーまで、
また編集やクリエイティブ関係以外の仕事をしている方も
たくさんいて、大きな刺激になりました。

課題提出後の授業は毎回、
「楽しいけど、胃が痛い」という感じで、
塾生の皆さんの質問と答えのやりとりは、
毎回「うんうん、そうそう、わかる」と共感しながらも、
痛い、痛いと思いながら聞いていました。

編集の仕事を辞めて、ちょうど
無職になったタイミングで受講しましたが、
変な話、かえって訳がわからなくなったというのが
正直な今の気持ちです。

コンテンツを作ること、
文章を書くこと、お金を稼ぐこと。
ああ、どうしたらいいんだろう。

課題はどうしても
自分と向き合わざるを得ないものでしたので、
あらためて得意不得意や、
表現のくせ、構成の甘さなどを振り返りつつ、
自分が「好きなもの」との
今後の付き合い方も考え込んでしまいました。

ですが、有意義な混乱と思って
しばらくはもやもやと、
おおいに悩もうと思います。

ちなみに
友人や編集関係の同僚や後輩には
「すごくしんどいけど、
色んな人もいるし、勉強になるよ」と
すでに10人くらいには
「ほぼ日の塾」を勧めています。

「打席に立ち続けることが大切」
という言葉を心の中に置きながら
これからもやっていきたいと思います。

伝えたいことや書き遺しておきたいことを
嘘偽りなく、背伸び、卑下なく書くことの難しさ。
その結果、誰かに伝わり繋がることの嬉しさ。
交互に感じながら過ごした日々となりました。

もともと、文章で人と繋がりたい
という気持ちで参加した「ほぼ日の塾」でしたが、
そうは言いながら
自分の見え方ばかりを気にする
自分に気づかされ続けました。

それは書きながら気づけるときもあれば
塾でのフィードバックで気づくときもあれば
ほかの参加者や読者のかたのレスポンスから
気づかされることもありました。

今も完全には抜けていないし、今後も完全に
自意識が消えるときが来るかは分かりませんが
少なくとも書きながら気づける範囲は
とても拡がったと思っています。

「ほぼ日の塾」に参加したことで
いくつかの変化が生まれました。

学ぶことに貪欲になったり、
書くときの1文字1文字を大事にするようになったり。

でも一番うれしい気づきは
思い切って飛び込んだ時には
やっぱり素敵な世界や新しい出会いが待っている
という手応えを得られたこと。

受講中の3か月はとても大変でした。
1つの締切が終わると、また新たな締切が来る。
仕事をしながら何を書くか考え、
締切前2週間の土日は慣れない執筆でほとんど埋まり、
仕事とほぼ日と少しのアルコールで占められる毎日。

そんな日々を過ごした上で、
参加して本当に良かったと思っています。

ライターや編集者など、
ほかの受講生のみなさんに囲まれて受けるこの塾は
本当に刺激的でした。ど素人の私にも
課題のフィードバックを懇切丁寧に毎度くださり、
これも本当にありがたかった。

大人になって思うのは、
他人のアウトプット(振舞い)に対して
意見を言うことは本当に大変で、
綺麗な言葉で濁した方がとても楽だということ。

でも「ほぼ日の塾」では
細かなところまで見て、
たくさんのご指摘をくださる。
これは、何よりびっくりしました。

コンテンツを作るうえで
大切なことを沢山学びました。
技術的なことも、
心構えも教えていただいたけれど、
「書くことを諦めたくない」
という自分の気持ちに気づけたことが
何よりも大きな収穫でした。

「ほぼ日の塾に参加する」という行動は、
正直ですよ、正直言うと、
しんどかった! 辛かった! 時間なかった!
「ほぼ日の塾より今の仕事を
大切にしなきゃいけないよね」と言い訳して
逃げたくなる時もあった!
「どうせサボったって怒られる訳じゃないし」なんて
弱い自分がちょいちょい出てきた!

でもですね、でも、これまた正直言うと、
今となっては「やって良かった」
そんな思いでいっぱいです。

率直に申し上げると「しんどい」3か月間でした。
それと同時に、自分の苦手なこと、
今まで向き合ってこなかったことが何なのかにも
気づかされた3か月でした。

今まで自分は何を書きたいと思ってきたのか、
何を書いてきたのか、愕然としました。

でも「ほぼ日の塾」が気づかせてくれたから
これからは自分の「苦手」とも
きちんと向き合って、克服していこうと思います。

ほぼ日の塾では、明確に
「ああしなさい、こうしなさい」とは言われないけれど
こちらが聞いた質問の意図を深層まで汲み取って
示唆を与えてくれる、その佇まいが
ものすごくありがたく、心強くもありました。

塾に参加する前
「書くことが嫌い」だった私は
ライターという仕事を浅い部分でしか
捉えられていなかったのだろうと感じました。

恥ずかしい限りですが、自分の文章に対して
これほどまで向き合うのも初めてでした。
また、自分の文章についての感想や
修正すべき点をたくさん指摘いただいたのも初めてでした。
いただいたコメントを読みながら、苦しくなりました。

しかし、自分がまだまだ未熟な存在であり
「書くこと」の難しさを学んだことは、
これからの人生において
何事にも代えがたい経験になったと感じています。

書きながら心が折れたり、絶望したりすることに対する
恐れはあります。しかし、その恐れを
「良い緊張」に変えつつ、
しっかり打席に立ち続けたいと思います。
参加させていただき、ありがとうございました。

「ほぼ日の塾どうだった?」
って人に聞かれることがあるのですが
いつもうまく言葉にできずにいます。
正直「楽しかった」とは言えません....。
悔しくて、恥ずかしくて、
思い出すと眠れなくなるような体験でした。

もともと「ほぼ日」のファンだったので
最初のうちは、憧れの「ほぼ日」オフィスに通えて
乗組員のみなさんに会えるだけで、
舞い上がっていました。だけど実際に
コンテンツをつくるのは苦しくて、
回を追うごとに
「ああ、授業に行きたくないな…」
「宿題出したくないな…」
と、子どもみたいに思ってしまいました。

もちろん、授業に出てみると
毎回学べることはたくさんあったし、
クラスの皆さんとお話するのも楽しかったし、
来て良かったと思うのですが....。

何がそんなに苦しかったのか。
それはやっぱり、テクニックが
どうとかよりも、書き手としての
自分の姿勢が問われた気がしたからです。

自分の不誠実さとか、
慢心、心の弱さに気づいてしまった。
鼻っ柱をへし折られた、というか、
自分に「鼻っ柱」があることにも
気づいてなかったんだと思います。

はじめてWebでコンテンツを作る、
読まれる文章を書くという経験をした場所が
「ほぼ日の塾」で良かった。

野蛮な言い方かもしれませんが
遊んだり、たのしいことをしている時よりも
生きている実感があったのです。

自分が一生懸命、考えて作ったコンテンツを
取材させてもらった人、その周りの人たち、
自分のまわりにいる人たち、そして読者が読んでくれて、
その人たちの心に届いて、
喜んでもらったり、元気になってもらったりできる。

コンテンツを作ることは、とても尊くて
素敵な行動だなと思いました。
そのことに気づき、このような経験ができたことも
「ほぼ日の塾」のおかげだと思っています。

正直に書くって、難しい。
おもしろいって、ほんとに難しい。

正直に書くというのは
ただ意識しても書けないんだと痛感しました。
ほんとうに些細な嘘を無意識に
書いてしまっていたりするからです。

改めて「おもしろい」「書くこと」
こういったことだけを純粋に
考えさせてもらえる場というのは
「ほぼ日の塾」だけなのではないかと思います。

各回、塾生からの質問だけで構成していく
という手法、斬新に感じました。

学生時代、「塾」というものに行ったことがなく、
塾というのは集合して受ける
「研修」に近いもののように思っていたのです。

でも「ほぼ日」では、あくまでも
1対1なのだと思いました。

3つの課題だけに取り組んでも
見えてきたものはほんの少しですし、
ほぼ日のみなさんがおっしゃっていたとおり、
なにかを磨きたい、こうなりたいと思ったら
試合に参加しつづけなければいけない。
本当にそう思います。

「ほぼ日の塾」を経て、
普段の生活や仕事の中で
(文章を書くことに限らず)、
「私は嘘をついていないか」
「この行いで何を伝えられるか」
「誰のためにやるのか」
を、すごく考えるようになりました。

それを考えることで、大変なことも増えました。
適当にやればもっと楽なのになあと、
手を抜きたくなることもたくさんあります。

でも、少なくとも今は、頭が沸騰しそうなほど
考え抜くことを優先したいと思います。
この3か月を経て、そうするほうが
自分の人生が確実に豊かになると気づいたからです。

そしてやっぱり、書くことが好きで、
書くことを諦めたくないと思います。

「ほぼ日の塾」をきっかけに
書くことをちゃんと仕事にしたいと思いました。
そして最近いくつか、
書く仕事をいただくことができました。

ほぼ日の塾を受講して課題を提出して
フィードバックをいただき、
そして多くの読者さんに読んでいただき、
自分の一生懸命つくったものが
誰かの心に響くことの嬉しさを初めて感じました。
感想メールをいただいたとき、
その感想がどんなものであれ高揚しました。
また、講義では答えを提示してくれるのではなく、
考えるヒントをもらいました。
考えるヒントをもらうことは
知識をもらうよりもぞくぞくします。
色々な方向に転がせるからです。

ほぼ日の塾では、
全力を注いだ原稿であることを承知した上で、
具体的に、的確に、コテンパンに、
「それは読者には関係ないよ」と諭し、
淡々と、マイナス点を指摘してくれます。

そこで初めて、
自分の思い上がりを自覚し、
未熟な自分とフラットに向き合うことができました。

たぶん、通りすがりの読者に同じような指摘をされたら、
素直に聞けなかった部分もあったかもしれません。

「おまえはたいしたやつじゃない」
だから、上手く、気持ち良くこなそうとしないで、
格好悪いぐらいに自分自身をぶつけないとダメなんだ、
と、指摘してくれたのだと思います。

「このまま書き続けても
褒めてくれる人はたくさんいると思う。
でも、誰かを動かすような文章は書けない。
どこかで自分を破らないと。」
という言葉は、ほんとうに深く、胸に刺さりました。

「ほぼ日の塾」は、私にとって
大きなターニングポイントにはなりましたが、
集大成ではなく、ましてや
ゴールにしてはダメなのだと思います。

ここからが書き手、作り手としての
本当のスタートなのだと、いま、はっきりと自覚しています。

「おれはたいしたやつじゃない」
「まだなにも成し遂げていない」
を原動力に、歩き始めたいと思います。

「まだまだやることだらけだな。」
「何からやろう。」
というワクワク感も
「ほぼ日の塾」で得た大きな財産だと思っています。

「書く」ということは、とても考えることです。

自分なりに考え抜いた後に
さらに深い考え方や、
自分とは違う視点を教えてくださるので
腑に落ちるアドバイスがとても多かったです。

自分に正直になれずに文章を書くと、
やはり正直でない印象のものができあがってしまいます。
私の場合は、すべてにおいて
中途半端だということに気づきました。
これは文章だけでなく、今までの人生の中で
してきた数々の選択においても言えることです。

でも、これは頭の片隅でひっそり思っていたとしても
実際に自分と向き合って書き、
そしてそれを正直に評価されなければ、
ずっと向き合わずに
見過ごしてしまうことだったと思います。

なので、まじめに取り組んで書いたコンテンツに、
丁寧に、そして正直に評価してくださる
この塾のシステムは、とても有意義なものでした。

就職する前の今のタイミングで、
この塾に参加できて幸せでした。
ありがとうございました。

ほぼ日の塾は応募数も多く、
みんながみんな
参加できるものではありませんし、
通らなかったらやっぱり夢のようなもので
終わってしまったかもしれません。

それでも、どうしても、
読んだ人がしあわせになるようなものを、
ぼくは書いてみたかったし、
学んでみたかったから、
自分をさらけ出して
応募理由を書き込んだのを覚えています。

塾に通えるようになってしばらくは、
「ぼくは素人だから」
という気持ちがどこかにありました。

実際に書くことを
仕事にしている人にはかなわないだろうし、
学ばせてもらっているだけで
ありがたいと思っていました。

周りの人から感じとれる自分とは
違う雰囲気にビビったり、
うまく書けないことの言い訳として、
なんども「素人の自分」に逃げようとしていました。

でも、いま、ぼくはすごく悔しいです。
はじめてにしてはよくやった
って自分に声をかけていたら、
きっとこんな感情は生まれていないです。

「あぁ~いい思い出やった」で終わらせたくないです。
もっといい読み物が作りたいと
本気で思っているから、
こうして、未練たらたらの
感想を書いています。おこがましいですが・・・・。

聞きたいことはたっぷりでてくるし、
なんだか帰りたくないし。
一生懸命やったつもりで出した課題も、
やっぱり足りてないことがいっぱいで、
落ち込んだり、悩んでいる時間がすごく多かったです。

ちょっとだけあった
自分の実力への期待は、消えてしまいました。

でも、そういうものなんだろうと、今は思います。
だれかに何かを伝えることは、
そんな簡単なことじゃないし、
ギリギリのところまで悩みつづける責任があると、
何度も思い知ったからです。

塾のいいところは、おなじように
肩を並べて学んでいる人がいることです。
その人たちが悩んでいることや、
面白いと思っていることが、
コンテンツとして形になったり、
質問として声になったりする。
ぼくにとっては、それがすごく楽しみでした。

おなじ課題に
挑戦している人たちだからこそ、
どうやってみんなが
壁を乗り越えているのかを学べました。

「ここで学んだことを、
現職で活かしたいと思います」と、ぼくは言えません。
ぼくはきっと
「ほぼ日の塾」の卒業生と言うより、
ほぼ日の浪人生、
ほぼ日の留年生といったほうが、
しっくりくるような感じがします。

でも、それは、今までになかった
人生の道が開けたような気がしています。

「ほぼ日の塾」では
課題は無理して出さなくていいですよ
というスタンスだし、授業も健康第一でという、
自分次第でこのまま辞めてしまってもいい
環境が与えられていた中、なんで辞めなかったのか。

それは、「ほぼ日」のみなさんが私たちに
「楽しみに待ってますよ。」とお声がけしてくれて
質問に真剣に答えていて、皆さんの「真剣さ」を
私なりに受け止めていたからだと思います。

「どんな時間がなくなっても、課題だけは出そう。」
それだけは自分の中で最低限守って、
あとは皆さんのお話を聞くことが
私には貴重で有益な時間でした。

書ける人は何を書いても
ストライクゾーンにハマります。
何も考えてこなかった今の自分は
どうしようもなく空っぽで、
何を書けるんだろう?
伝えたいんだろう?
と考え続けることは、正直、苦しかったです。

けれども、その分、
私の足りないところや癖も分かりました。
自分と向き合うこともできました。
そこを、なるべく早くきれいに、
磨き上げていこうと思います。

いつも気持ちよく通わせていただけたこと、
とても感謝しています。

3つの課題に取り組んだわけですが
同じ「書く」という挑戦とは思えぬほど、
異なる素養が階段式に積み重ねて求められ、
鍛えられるものだったように感じました。

すべての課題に
「ああすればよかった」
「あそこがいけなかった」と
思う箇所がいくつもいくつもありますが、
それより何より、取り組んでいる最中の自分なりの奮闘と、
公開後、ほぼ日の塾からはもちろん
身内や見知らぬ人から
想像以上にたくさんの感想や意見をもらえることが
おもしろくておもしろくて、仕方ありませんでした。

他の塾生のみなさんとお話しする中で、
「楽しかった」「勉強になった」と同じぐらいの割合で
「辛かった」「苦しかった」という意見がよく聞かれましたが、
私の中にはそういった感情が生まれたことが、
まったくなかったことは不思議でした。

ようやく落ち着いて
振り返ってみてわかるのは、いわゆる
「ハイ」の状態にあったのかもしれないということです。

この3か月は、人生でもっとも
「眠らなかった」時間だったように思います。

これまで、「忙しくて寝てへんねん」という自慢は
みっともないこと極まりないと思っていたのですが、
それでも言ってしまいたくなるほど、本当に眠れませんでした。

仕事が佳境を迎え、土日が来るたびに
友人が代わる代わる、関西で結婚式を挙げました。
課題の原稿を書くのは、新幹線の中で、
自宅で夜中に読み返すと
「なんじゃこりゃ」とすべて消したくなるのです。

しかしそんな繰り返しでも
全貌が見えるころにはやっぱり面白くて、
公開後、思った以上に
たくさんの声をいただけるものですから、
一層うれしくなってしまいました。
感情の高ぶりが循環していたのです。

「ほぼ日の塾」では
具体的な技術や手法を教わったのではなく、
「場」を提供していただいたのだと思います。
このように「深く考える」というのも、
塾という「場」があったためだと思います。

そして、ずっと
「こんなことについて書きたいな」と常々思っていたことを
2つも実現させていただきましたし、
それをたくさんの人に見ていただける
という「場」でもありました。

同じ課題に悩みながら
いっしょに取り組む塾生のみなさんと
出会えたということも、
とても素敵な「場」の役割でした。
そんな眠れぬほど夢中になれる
「場」を提供していただき、感謝の気持ちでいっぱいです。

私はやはり書くことが好きで、
たくさんの人に読んでもらいたくて、
そして将来いつかは
「こんなことがしたいんだ」というものを、
改めて思い出すことができたことも、また感謝です。
もっともっと書きたいんだと、よくわかりました。

「ほぼ日の塾」の5期が開催されるとしたら
応募する人に
「この塾を受けられるというのは
とてもとてもラッキーなことだから
全力で楽しんで向かっていってください」
ということをおすすめしたいです。

「ほぼ日の塾」は終わってしまって、
塾生のみなさんは「終わった」ということに
寂しさのようなものを思われる方が多い印象でしたが
自分は「はじまった」という気分でおります。

それは、不完全燃焼だった
自分への後悔だけじゃなく、この塾に来るまで
理想を描いてこなかった無頓着さへの
焦りがあるからです。
この度は貴重な機会をいただき、
ありがとうございました。

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