もくじ
第1回卒業ぶりの恩師への連絡。 2017-12-05-Tue
第2回好きなことを仕事にした先生。 2017-12-05-Tue
第3回国語は想像力を鍛える。 2017-12-05-Tue
第4回劣等感と主体性。 2017-12-05-Tue
第5回自分の歩みに対する想い。 2017-12-05-Tue

1987年生まれ、
30歳の男です。
東京の西側で育ち、
いまは東京湾の近くに住んでいます。

15年ぶりの国語の授業。

15年ぶりの国語の授業。

担当・金沢俊吾

第3回 国語は想像力を鍛える。

中村先生
夏目漱石の『私の個人主義』は
今でも中学3年生の教材として扱っています。
今だから言いますが、
『私の個人主義』を通して感じてほしいことは、
次の二つです。
①自分の進路を決めるのは思いのほか苦しい。
②自分の頭で考えて、
自分なりの社会観を養ってほしい。
 
夏目漱石という人は明治時代の超インテリです。
経歴だけを見ると華々しいのですが、
自分のなすべきことが見つからず、苦しみ抜きました。
自分のやりたいこと、進路というものは
そんなに簡単に見つかるものではなく、
苦しみながら考えて、
やっとその糸口が見つかるものだと
漱石は言っています。
 
それから、日本の近代は欧米諸国の「マネ」から
始まったわけですが、
漱石は欧米の「マネ」をしている人々を
痛烈に批判します。
「そろそろモノマネはやめて自分の頭で考えろよ」と。
これは今の時代にも通じる、とても大事な考え方です。
 
このことを
授業を通して君たちに気づいてほしかったのですが、
私の力不足もあり、
そこまでには至らなかったかもしれません。
かといって、
私が言ってしまうのは、つまらないですしね。

ぼく
先生がおっしゃっている「感じてほしいこと」、
なかなか授業のタイミングでそこまで思い至るのは
難しいんじゃないかとも思いますが、
後になって「そういえば、あれは!」と気づく人は
たくさんいるんじゃないかなと思います。
 
ぼくがまさに、15年経って、
自分の進路を決めることの難しさにぶち当たって
こうして立ち返っているように!
 
ところで、
『私の個人主義』は本来、教育課程的には
高校3年生で扱うらしいですね。
中学生には少し難しい内容かな、
という気もするのですが。

中村先生
確かに『私の個人主義』は難しいですが、
中学生に分からないことはないと思います。
「進路を決めることは意外に難しい」
「安易な人まねはせず、何でも自分の頭で考えよう」
という2つのことを分かってもらえればいいんです。
 
しかし、これは私が言うのではなく、
生徒に気づいてもらわないと意味がありません。
うまく生徒をハメるための準備は
なかなかたいへんなんですよ。
 
例えば、
「この時主人公はどう思ったでしょうか」とか
「作者の言いたかったことは何でしょうか」という
よくある問いには、答えは無数にありますが、
国語の授業では一応の
「正解」を用意しておく必要があります。

「正解」を押し付けることではなく、
「こういう考え方もある」ということに
「気づかせる」ことです。
そのためにたくさんの問いを重ねて
「正解」を導きます。
それを繰り返して「着地点」に持っていくわけです。

毎回変な文章ですみません。
LINEの文章の最長記録だと思います。
ワープロならともかく、
スマホで文字を打っていく作業はいまだに慣れません。

ぼく
ぼくにとっても、
LINEの最長記録です!(笑)。
 
いまの話を読ませていただいていて、
国語の授業はいろいろな考え方を示すことで
「想像力」を鍛える手助けをしているのかな、
と思いました。
 
物事の本質を自分から読み取りにいく気力とか、
もっとシンプルに、相手の気持ちを汲み取る力とか。
先生の考える、
文学とか国語の大切さってなんだと思いますか?

中村先生
国語は「想像力を鍛える一つの方法」
だと思っています。
実際には、文学とか国語が嫌いな人もいるので、
万人には通じないですが。
 
想像力は、人が生きる上でとても大切なものです。
想像力の足りない人は他人の気持ちがわからないし、
自分の行動がどういう結果になるのかも考えられない。
 
人を傷つけたり、いじめたりする人は
想像力が足りないのだと思います。
失敗したり叱られたりしながら、
ものを考えるという経験を積んで来なかった人は
想像力が育たないと言われてますね。
時には挫折も必要なんですよ。

ぼく
いま思い出したんですが、
ぼくが国語の教員免許を取っていた頃、
ちょっと極端ですが
「国語の使命は、人を殺させないこと」
だと考えていたことがあります。
 
想像力を広げれば、人を傷つけたり、
自分を傷つけたりすることはないはずだって思って。
ぼくも、そういった形で
文学とか国語の力を信じていたんだと思います。

(つづきます)

第4回 劣等感と主体性。