- 中村先生
- 夏目漱石の『私の個人主義』は
今でも中学3年生の教材として扱っています。
今だから言いますが、
『私の個人主義』を通して感じてほしいことは、
次の二つです。
①自分の進路を決めるのは思いのほか苦しい。
②自分の頭で考えて、
自分なりの社会観を養ってほしい。
夏目漱石という人は明治時代の超インテリです。
経歴だけを見ると華々しいのですが、
自分のなすべきことが見つからず、苦しみ抜きました。
自分のやりたいこと、進路というものは
そんなに簡単に見つかるものではなく、
苦しみながら考えて、
やっとその糸口が見つかるものだと
漱石は言っています。
それから、日本の近代は欧米諸国の「マネ」から
始まったわけですが、
漱石は欧米の「マネ」をしている人々を
痛烈に批判します。
「そろそろモノマネはやめて自分の頭で考えろよ」と。
これは今の時代にも通じる、とても大事な考え方です。
このことを
授業を通して君たちに気づいてほしかったのですが、
私の力不足もあり、
そこまでには至らなかったかもしれません。
かといって、
私が言ってしまうのは、つまらないですしね。
- ぼく
- 先生がおっしゃっている「感じてほしいこと」、
なかなか授業のタイミングでそこまで思い至るのは
難しいんじゃないかとも思いますが、
後になって「そういえば、あれは!」と気づく人は
たくさんいるんじゃないかなと思います。
ぼくがまさに、15年経って、
自分の進路を決めることの難しさにぶち当たって
こうして立ち返っているように!
ところで、
『私の個人主義』は本来、教育課程的には
高校3年生で扱うらしいですね。
中学生には少し難しい内容かな、
という気もするのですが。
- 中村先生
- 確かに『私の個人主義』は難しいですが、
中学生に分からないことはないと思います。
「進路を決めることは意外に難しい」
「安易な人まねはせず、何でも自分の頭で考えよう」
という2つのことを分かってもらえればいいんです。
しかし、これは私が言うのではなく、
生徒に気づいてもらわないと意味がありません。
うまく生徒をハメるための準備は
なかなかたいへんなんですよ。
例えば、
「この時主人公はどう思ったでしょうか」とか
「作者の言いたかったことは何でしょうか」という
よくある問いには、答えは無数にありますが、
国語の授業では一応の
「正解」を用意しておく必要があります。「正解」を押し付けることではなく、
「こういう考え方もある」ということに
「気づかせる」ことです。
そのためにたくさんの問いを重ねて
「正解」を導きます。
それを繰り返して「着地点」に持っていくわけです。毎回変な文章ですみません。
LINEの文章の最長記録だと思います。
ワープロならともかく、
スマホで文字を打っていく作業はいまだに慣れません。
- ぼく
- ぼくにとっても、
LINEの最長記録です!(笑)。
いまの話を読ませていただいていて、
国語の授業はいろいろな考え方を示すことで
「想像力」を鍛える手助けをしているのかな、
と思いました。
物事の本質を自分から読み取りにいく気力とか、
もっとシンプルに、相手の気持ちを汲み取る力とか。
先生の考える、
文学とか国語の大切さってなんだと思いますか?
- 中村先生
- 国語は「想像力を鍛える一つの方法」
だと思っています。
実際には、文学とか国語が嫌いな人もいるので、
万人には通じないですが。
想像力は、人が生きる上でとても大切なものです。
想像力の足りない人は他人の気持ちがわからないし、
自分の行動がどういう結果になるのかも考えられない。
人を傷つけたり、いじめたりする人は
想像力が足りないのだと思います。
失敗したり叱られたりしながら、
ものを考えるという経験を積んで来なかった人は
想像力が育たないと言われてますね。
時には挫折も必要なんですよ。
- ぼく
- いま思い出したんですが、
ぼくが国語の教員免許を取っていた頃、
ちょっと極端ですが
「国語の使命は、人を殺させないこと」
だと考えていたことがあります。
想像力を広げれば、人を傷つけたり、
自分を傷つけたりすることはないはずだって思って。
ぼくも、そういった形で
文学とか国語の力を信じていたんだと思います。
(つづきます)