イトイの読んだ本、買った本。
 
イトイの読んだ本
『文・堺雅人』
著者:堺雅人
発行:産経新聞出版
価格:¥ 1,500(税込)
ISBN-13: 978-4819110624

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イトイはこう言っている。
「文が書ける」とか、「文章も書ける」という言い方は、
けっこうなほめことばになるわけで、
本職として文を書く機会のある人は、
「文が書ける」と言われる気持ちよさに、
ついつい余計な欲を出したりしてしまうものです。

堺雅人さんは、この「文が書ける」の
抗いがたき魔法のことを、知っているのだと思います。
「文が書ける」の魅力は、もう、
読み手として、役者として、
いやというほど知っています。
さらに、あんまりよくない文についても、
口には出さないけれど、よく考えているようです。

そういう人が、
いざじぶんが「文」を書くことになったら、
なかなかむつかしいことになります。
堺さんは「文が書ける」という
ほめられ方をしないように、
じぶんを律しているように思います。
「ぼくは書けると思うなよ」というまじないを、
なんどもかけながら、
「文」を書いているように見えます。
だから、読んでて気持ちがいいのだと思います。

「文が書ける」と思わないのに、
どうして書けるかといえば、
「文」を書く前の
「考え」や「思い」がちゃんとなければ、
文を書かないようにしているからだろうと思います。
ひとつひとつのエッセイはもちろん、
最後のあとがきに至るまで、必ず、
何を書くかという「考え」や「思い」があるんですよね。
それが、とても誠実で気持ちがいい。
そして、「文が書ける」という魅力のワナに落ちないで、
ほんとうに「文が書ける」結果になっているみたいです。

ぼくも、もともと「文が書ける」についてのスタンスは、
堺さんに近いものだった気がするんです。
「ぼくは書けると思うなよ」というまじないは、
ぼく自身も、いつもつぶやいているんです。

それにしても、こういう
「ていねいな視線」を持つ男って、いいですねぇ。
年下なんですけれど、見習いたいです。

 
乗組員も読んでみた。
この本は、現在テレビドラマや映画、舞台で
大活躍されている俳優・堺雅人さんが、
2004年から2009年にわたって
テレビ情報雑誌に連載していた
エッセイ全50回に書き下ろしを加えたものです。

まず、これが、ほとんど初めて文章を発表される経験とは
思えないほど、読みごたえがあり、おもしろいことに
驚きます。

たとえば子供の頃のエピソードとして
幼稚園で「カベムシ」を演じた時のこだわりや、
少年野球のチームにいたとき、打てないと思いながら
バッターボックスに立った時の気分を
客観的にかつ再現力豊かに描写されていますが、
一抹のおかしさがかならずあって、笑ってしまいます。

この一連のエッセイでとくにわたしがおもしろいな、
と思ったのは、そういった客観的な目で、
あちこちにちょこちょこと書かれている
「俳優」についての職業観です。

俳優さん、役者さんは多くのひとの前に出て
表現をする仕事であり、
ひとによっては、そこから収入が得られない場合でも、
別の仕事を持ってまでされているひともいるという、
ちょっととくべつな感じのする仕事ですが、
堺さんは、たとえばこういった感じで解説されます。

俳優は、基本的には「受身」の職業だ。約束した時間に、指定された場所にいき、あらかじめやれといわれたことをやる――。せんじつめれば俳優とはそうした職業だと、僕はおもっている。
(中略)
もちろんこの仕事にはヨロコビもあって、(説得力はあまりないかもしれないけど)僕はけっこう気にいっている。
(「鈍」より)

まえの現場でうまくいった方法はその現場だからうまくいったのであって、いつでも有効とは限らない。うまくいく場合もないではないが、まずは通用しないとあきらめて、いちから方法をかんがえたほうが、いい結果につながることがおおい。
(「教」より 原文には一部傍点あり)

それぞれの仕事にはそれぞれ別のたいへんさがあり、
ここから先が堺さんたち俳優さんのすごいところなのだと
頭ではわかるのですが、
気負いやてらいなくこう書かれると、
ふだん自分がなんとかかんとか悩みつつも
仕事をしていることと、近い部分があるのかも?
なんて、すこしうれしくなってしまいます。

もちろんこれも、もしかしたら堺さんの慎み深さや
人を楽しませる力、お人柄のなせる技かもしれませんね。

このほか、
詩人へのあこがれや「品」についての考察など、
エッセイとして楽しめるところもたくさんあります。
またぜひ、どこかでエッセイを書いてほしいな、
と思います。

2009-10-24-SAT
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