ほぼ日刊イトイ新聞

ほぼ日刊イトイ新聞 創刊20周年記念企画 糸井重里、 ほぼ日の20年を語る。 乗組員があれこれ質問しました。

おめでとうございます。ありがとうございます。
なんと‥‥ほぼ日刊イトイ新聞、創刊20周年です!
いやぁ、すごいものです。びっくりします。
1998年6月6日、ほぼ日が創刊してから20年です。
思えば、ほぼ日にも、いろんなことがありました。
お客さんも、コンテンツも、商品も、
そして、働く乗組員たちも、ずいぶん増えました。
この20年、どんなことがありましたっけ?
もともとのほぼ日って、どうでしたっけ?
節目のこのときに、せっかくだから、
振り返って語ってもらおうと思います。
糸井さん、この20年、どうでしたっけ?
乗組員の質問にこたえるかたちで、
糸井重里がこの20年を自由に語ります。
会場をおめでたい雰囲気で飾りつけましたが、
語られる内容は、けっこう真剣で、
乗組員たちもどんどん引き込まれていきました。

第2回
鼠穴時代のほぼ日 #2ほぼ日が食えてなかった5年間。

糸井
何か質問があればお願いします。
はい、じゃあ、そこの、無表情で無愛想な人。
永田
はい、永田です。
それでは、質問させていただきます。
いまあらためて訊いてみたいのは、
「ほぼ日が食えてなかった最初の5年間」
についてです。
糸井
ああ、はい(笑)
永田
ほぼ日が創刊したころ、
ぼくはまだ乗組員ではなかったんですが、
糸井さんの取材で何度か鼠穴を訪れたことがあります。
その取材が終わったあと、
深夜近くまで雑談をしていたときに、
糸井さんがしみじみ言ったことばを
ぼくははっきりと憶えていて。
そのとき、糸井さん、ほぼ日について、
「ほぼ日だけで食えたらいいんだけどなぁ」
って言ったんですよ。
糸井
ああ(笑)。
永田
鼠穴時代の3年間はもちろん、
ざっくり最初の5年間くらいって、
ほぼ日だけの収入では食えてなかったわけですよね。
たぶん、いま、ほぼ日を読んでいる人も、
いまここにいる乗組員も、
「食えてなかったほぼ日」のことを知らないし、
うまく想像もできないと思うんです。
そのころのことを話していただけたらな、と。
糸井
わかりました。
まず、当時、インターネットというのは、
なんでもできるんじゃないかというような、
わくわくするような気持ちが、
ちょっとした幻想みたいに、
少なくともぼくの中にはありました。
これからいろんなことができるぞ、と。
ただ、その一方で、それだけでは食えていない。

で、さいわい、ぼくはまだそのころは、
広告の仕事をしていたんですね。
仕事としてはおもしろくなくなっていて、
自分の興味は失われているんですけど、
それでも引き受ければお金は入ってくるわけです。
あとはゲームの印税も入っていたころですし、
本の印税なんかもあったと思います。
言ってしまえば、ぼくのそういった収入で、
コピーライターの親鳥が
ほぼ日という雛鳥に餌を与えるように、
会社を食べさせていたんです。
ですから、コピーライターの仕事を続けていれば、
まずは潰れないぞというのはわかっていた。
ただ、ほぼ日だけでやっていくとなると、
これはもう、潰れるに決まってる状態なわけです。

ところが、仕事としては、広告に比べて、
どんどん、ほぼ日のほうが
おもしろくなっていくんです。
もう、ぜんぜんおもしろさが違うわけで、
ほぼ日をやっているときの自分というのは、
はじめて知るおもしろいことに出会う子どものようで、
気持ちとしてはそちらがどんどん肥大化していく。
でも、それだけじゃ食えないから‥‥
どうしたらいいか、わからないんです(笑)。
一同
(笑)
糸井
それで、いろんな人に相談したりして、
試行錯誤したんですが、
いちばん効果があったのは、
お金の流れをシンプルにすることでした。

具体的にいうと、
ぼく個人の広告の収入や印税を、
ほぼ日を運営する資金に回すんじゃなくて、
ぜんぶほぼ日の収入としてまとめたんです。
で、ぼくも、ほぼ日から給料をもらう。
そういうふうにしたんです。

すごく内輪の話をするとね、
当時、ぼくは、ほぼ日から
一応給料をもらってたんですけど、
それを、ものすごく安く設定してたんです。
「苦しいけど、お金じゃなくて、
たのしいと思ったことをやるんだ!」
という意思を示すような意味で。
で、ほぼ日以外で稼いで、そのお金で会社を回してた。

ところがそれではどうしても
自分がほぼ日を「養ってる」気持ちになって
いろいろうまくいかない。
そうじゃなくて、
やりたいことがほぼ日の仕事なんだとしたら、
ぼく個人の収入もぜんぶほぼ日に入れて、
ほぼ日からきちんと給料をもらうようにしよう、と。
だから、コピーライターとしての稼ぎも、
本やゲームの印税も、ぜんぶひとつの鍋に入れたんです。
で、そこが、ほぼ日の本当の出発点になるわけです。

もちろん、気持ち的には、
それで大丈夫だろうか、というのはありました。
でも、覚悟が決まるんです。
つまり、ほぼ日という息子を、
お父さんが養ってあげるからね、と思ってたのが、
もう、同じ経済で回さなきゃいけない。
ほぼ日がうまくいかないと、
ぜんぶが共倒れになるということがはっきりすると、
うまくいきそうなほぼ日の仕事はよりおもしろくなるし、
やりたくないなと思ってる広告の仕事は
ますますおもしろくなくなるんです。

というようなことと同時に、
はじめてつくったほぼ日のオリジナルTシャツが、
いきなり3000枚とか売れたんです。

そういうことが、ぜんぶ一緒に、
よーいドン、バーン! ってなった。

▲1999年11月発売。記念すべき最初のほぼ日グッズ。
ていうか、11月にTシャツ売ってたのか‥‥!

ほぼ日をはじめる前のぼくは、
コピーライターとしてお金を稼ぐことはしたけど、
自分が稼いだお金を管理することは
人任せにしていました。
うちの会社を担当してくださっている
会計事務所の先生が、年に1回、
収支をまとめて報告をしてくださって、
ぼくはそれを1日かけて聞いて、
「わかりました」と言ってハンコを押す、
というような状態でした。

お金のことを考えないようにしていたのには、
自分なりに理由があって、
ぼくはルールさえ決まれば
あらゆるものごとを
ゲームのようにたのしむことが好きなので、
お金のことを真剣に考えはじめると、
お金を増やすゲームに
夢中になっちゃうだろうなと思ったんです。
そうすると、たぶん、いまの自分のよさはなくなる。
そんなふうに自覚していたんです。

つまり、この仕事をやるといくら儲かるか?
というようなことを気にせず
いろんな仕事を一生懸命やるほうが
自分の個性が活きると思っていたんですね。
実際、タダの仕事もぼくはたくさんやってましたし、
たくさんお金がもらえる仕事も、
結果的に、あ、そんなにもらえたんだ、
というふうに知ることがほとんどでした。

そういうスタンスが、自分にとって、
いい仕事をするための基礎になってたんで、
お金のことをはっきり知らないほうが
むしろいいんだというふうに思ってました。
逆にいうと、お金のことを考えて、
ダメになるというのが、怖かったんだと思う。

たとえばの話、
自動車会社から大きな広告の仕事がきたときと、
知り合いが会社をつくるから名前をつけてください、
というようなときでは、お金のことでいえば、
かたや何千万円で、かたや何万円、
というくらいの開きがあると思うんです。
でもその両方を同じくらい一所懸命やる、
ということをぼくは守ってたんだけど、
お金のことを自分で考えはじめると、
やっぱり何千万円のことを優先すると思うんですよ。
それは、自分が「頼まれ仕事」をする限りは、
かならずそうなってしまう。

ところが、ほぼ日を自分の仕事の中心にしていくと、
「ぜんぶ自分で決済できる」んですね。
そうすると、お金のことを知りつつも、
欲をかかない仕事を選ぶ、
ということもできるようになる。
これはすごく大きくて、
一銭にもならないかもしれないけど、
みんながものすごくよろこぶぞ、だとか、
あるいは、すっごく儲かるんだけど、
そこに無駄に力を入れすぎると
かえって人が来なくなるぞ、だとか、
そういう判断がだんだんできるようになってくる。

ですから、ほぼ日をやるんだと覚悟を決めて、
お金とも向き合うことにしたこの時期が、
「お金のことを俺に言うな」という時代を
終わらせてくれたわけです。

それが、この鼠穴の時期でしたね。
まだ、食えはしなかったかもしれないけども、
自分の広告の収入がだんだん減っていって、
ほぼ日の仕事にどんどん真剣になっていく。

わかりやすく会社の利益の話をすれば、
「ほぼ日手帳」が出るまでは、
ほぼ日は食えてなかったわけです。
もしも「ほぼ日手帳」が出てなかったら、
会社がポシャってた可能性もあると思います。

そんなふうに言うと、冒険物語みたいだけど、
まあ、ほんとのことを言うとさ、
当時、すごく、おもしろいんだよ、毎日が(笑)。
食えてないし、将来もわからないけど、
残念ながら、もうめちゃくちゃおもしろいんだよ。
一同
(笑)
糸井
あいかわらず、インターネットのこととか、
なにが流行ってるかとか、
小手先の勉強みたいなことはしなかったけど、
なんだろうな、いまやることに、
根本的に何の意味があるのか、
というのを真剣に考えないと、
ほんとの意味でビジネスはできないし、
人をよろこばせることもできない。
そういうことが、
請け負い仕事の広告をしてるときに比べて、
100倍ぐらいわかったね。
それはすごく、自分を変えたと思います。
長くなりましたが、
まあ、「食えてない時代」については、
そんなところでしょうかね。
永田
はい、ありがとうございました。

▲最初の「ほぼ日手帳」は2001年発売。

(まだまだ続きますよ)

2018-06-07-THU