ITOI
「ほぼ日」臨時ニュース

10:50 更新

ほぼにちわ。darlingdarling@シアトルです。

いま、シアトルのホテルで、
テレビをつけっぱなしにしながら、
「ほぼ日」なりの臨時ニュース原稿(これ)を書いてます。

こちらは、いま現在、朝の9時(日本は午前1時ですね)。
ほんとうは、午前11時にホテルのロビーに集合して、
そのまま空港へ、という予定だったのですが、
どうなるかはわかりません。
おそらく、空港が閉鎖されているので、
今日の出発はありえないということになると思います。
日本で12日の夕刻以降に約束のある皆々様、
ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします。

目を覚ましてから、どたばたとメールチェックなどして、
やっといまタイピングをはじめたというところです。
この大事件についての「ほんとのニュース」は、
他の報道をごらんください。
ぼくは、ただ単にいま自分の身の回りに起こったことを
順番に書いておきます。
ひょっとしたらこの後、英語の理解力のある誰かと会って、
もっと詳しい話を送れるかもしれませんが、
とりあえずは、コトバの不自由な日本人が、
ニューヨークでなくシアトルにいて、
どんな感じでいるのかだけをお伝えしておきます。

昨夜は、(つまり、いま朝なんです)飛行機のなかで
熟睡するつもりで、遅くまで起きていました。
時計は見なかったけれど深夜の4時くらいだったかな。
朝の9時45分に目覚まし時計をセットして、
あとはシャワーを浴びて、パソコンを片づけて、
空港に向かうだけっていう感じでした。
起床までの時間になにがあるはずもなく、
ただ寝ていればよかったのでした。

ところが、電話が鳴った。朝の8時くらいだったかな。
気をきかせてモーニングコールをくれたのか、
聞えてくる声は新郎・高阪剛でした。

「あ、はいはい、おはよう・・・」

「いまですねぇにゅーよーくでてろがあったらしくてですね
 ぜんぶの空港がいまへいさされてるんですよですから  
 ちょっと出発の予定がかわるかもしれないんです」

「は?(発音不明瞭で)何を言ってるのか、ちょっと、
 よくわかんなかったんだけど。ニューヨーク?なに?」

「てろがあったんですよそれでアメリカ中の空港が
 封鎖されているんです。てれびをつけたらわかりますけど」

「あ、そうですか(・・・飛行機が遅れるのかなぁ)」

「また連絡入れますけど、テレビをつけてください」

高阪の発音が悪かったのではなかった。
日常会話からあまりにも逸脱した内容だったので、
ねぼけているぼくには、意味がとれなかったのだ。

テレビをつける。
どのチャンネルだろうが同じだ。
摩天楼が炎上している。
飛行機がビルに衝突して燃え上がるシーンが、
なんどもくり返される。
パニック映画のなかでも、
こういう種類の場面は見たようにも思うけれど、
現実だと思って見ると、とんでもない恐ろしさだ。
全部の空港が封鎖されていることや、
いろんな事実関係がまだわかっていないことはわかった。

飛行機があの現場に偶然突っ込んでいったのか、
と、思ったら、そうじゃなかったらしい。
飛行機そのものが爆弾の役割をさせられたらしい。
いろんな情報が、英語の理解力のないぼくのアタマの中で
ごった煮状態になる。
なんだか、たくさんのジェット機がハイジャックされ?
国防省にもテロが?
そんな大規模なテロって、できるものなのかよ。
相当にでかいプロジェクトだということか?
戦争に近いようなものか?

わからないなりに、インターネットに接続。
日本の新聞の情報を読むけれど、
テレビの画面から伝わってくる緊迫感はない。
すごいことが起こった、ということは書いてある。
証券取引も無期限に中止ということもわかる。
ヤクルトが阪神に敗れて、連敗していることと共に。
日本は昨日たした台風だったんだよね。
そのくらいの報道なんだろうか、それとも。
と思っているうちにに、「ほぼ日」宛てのメールが多数。
「darlingは無事ですか」といういう内容が続々。
いやはや、無事なんだけどね。
シアトルとニューヨークでは、アメリカの地図上で、
右と左の両極にあるわけだから。

しかし、ニューヨークには、
知りあいも多いし、この規模の事件があったら、
なにか巻き込まれている可能性もある。
そこに坂本美雨ちゃんからのメールが届いた。
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dear all,

みなさんへまとめてのメールで失礼します。

ニューヨークは今、テロリストの襲撃で、
大混乱になっています。
貿易センターが2つとも目の前で崩れ去りました。
うちはとても近いのですが、危険なほど近くはないので、
大丈夫です。
風向きが反対方向なので、煙の影響もまだありません。

今全ての交通機関が留められているので
完全にマンハッタン島の中に閉じ込められています。

なんだか映画のようで、
目の前で起こってることがほんとうに信じられない。
震えが止まりません。
電話も通じないので、親族、友人の方々には
御心配をおかけしていますが、
サカモト家は大丈夫です!

祈っていてください。

love, miumiu

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アドレスリストの全員に送られたものだと思うので、
断りなしで、ペーストさせてもらった。
シアトルにいるぼくとは、緊迫感がちがう。
早計な判断はできないけれど、
あのビル以外の場所の人々は、直接被害にあっては
いないのではないかと想像する。

インターネットのチェックや、
メールのチェックをくり返す。
テレビのニュース画面の緊張が、少しずつだけれど、
和らいでいるようにも思える。
だんだん、周辺の情報が見えてくるにつれて、
現場の映像が挿入される回数が減ってくるようだ。

朝の電話で飛び起きてから約2時間。
今日の空港は、閉鎖されたままだということが判明。
とりあえずは1日滞在が延びることだけは決まった。

おそらく、日本にいても、
さまざまなニュースで、ぼく以上にいろんなことが
知れるのでしょうが、
無事のお知らせと、こっちのテレビのムードだけを、
お伝えしておきます。

いま、大統領の記者会見がはじまりました。
きりがないので、とりあえずは、ここで送信しておきます。
ご心配かけました。
ご迷惑かけます。

シアトルの時刻で。午前10時15分。 darling

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第一報で、読者の方からの情報を、
疑問つきとはいえ、掲載してしまって
もうしわけありませんでした。
「2チャンネル」の掲示板にあった
「おふざけ」だったようで、かえってご心配をかけてしまい
ほんとうにすみませんでした。

実は、こちら(シアトル)にいても、
日本以上に情報が少ないのです。
いまだに、ハイジャックされた飛行機の数が
11機であると思っている人も多いようだし
(実際は4機でしたよね)
新聞などは、まだそのニュースが載っていない状態だし、
とにかくテレビが流しっぱなしにしているニュースと、
インターネット情報がすべてといったところです。

いまのぼくは、日本のネットでいろんな事実を
選別しながら知っているような状態です。

まずは、「ほぼ日」関係の方々の安否です。
フィラデルフィアから、ニューヨークに引っ越した
『遥か彼方で働くひとよ』の本田美和子さんは、
無事でした。
『中卒でいいんじゃない』の名無しのごんべいこと、
最近は『ケビン』くんも、あっちの方に行くのを
やめたら難を逃れたそうです。
また、『ぼーっとした青春』によく登場する
えんまちゃんも、何事もなかったようです。
このあたりの速報は、わかりしだいお伝えします。

ぼくは、ほぼホテルに缶詰めです。
どこかにでかける足はないし、
ネットに張り付いているのが、いちばんいろんなことが
よくわかるということでしょうか。
ただ、ニューヨークの反対側にあるシアトルにも、
当然のように事件の影響は押し寄せています。

ホテル(ハーバーに面した静かな4階建て)の前にある
『スターバックス』に軽い朝食でもと出かけたら、
中に店員はいたのですが、片づけをしていて、
『本日はお休みです』の貼り紙がでていました。
市街地がどうかは知らないのですが、
ハワイでも学校が休みだと、ハワイの方からのメールが
ありましたし(これは信じていいだろうなぁ)、
よく晴れた空とは、まったく裏腹に、
精神的には黒い雲がかかっているような状態です。

いまテレビで放送しているのは、
アフガニスタンへの攻撃の映像です。
これについて、まだ日本のサイトで取り上げている報道が
見つからないので、探している最中です。

高阪くんが空港に問いあわせたところでは、
「夕方まで何も答えられない」とのこと。
この調子だと、明日になってもおそらく
予定は立てようがなさそうです。
前田日明さんと、ハーバーのベンチに腰掛けて、
やや呆然としながらしゃべったり、
マックの前でテレビをつけながらメールを読んだり、
そういうことだけをしています。

ぼくは、最悪で1週間の滞在を覚悟しています。
明日やあさってに帰れるとは、考えにくい感じです。
未曾有の大事件ということの実感が、
じわじわと押し寄せています。


また、続報があれば、その都度お伝えすることを
試みてみます。

(シアトルの午後3時45分・日本時間午前7時45分)darling

2001-09-12-WED

17:50 更新

ほぼにちわ。darlingdarling@シアトルです。
ずっと細切れにしか眠ってないので、
そろそろ寝ようと思います。
その前に、少しだけ「ほぼ日」用のニュースを送ります。

アメリカのテレビは、
時々、アニメや料理番組などが観られるようになりました。
しかし、まだ、ほとんどの局はCM抜きで、
“AMERICA UNDER ATACK”のタイトルで
番組が流れています。
あれから大きく変わったことは、特にありません。
疲れ果てた消防士の姿を見ることが多くなりました。
どこにあったのか、激突の瞬間の映像が、
当初より「豊富」になっています。
きっと、第一の攻撃があって炎上しているビルは、
すでに注目を浴びていたので、
そこにカメラを向けていた多くの人々が、
第二の激突の映像を偶然とらえていたのでしょう。
サイバー・テロに比べたらずいぶんワイルドな、
そして地上戦に比べたらなんだかデジタルな、
すきまのあたりに生じた「戦闘」という雰囲気で、
あっけにとられているというような実感です。

たくさんの人から、
「ほぼ日」関係者の安否をたずねるメールや、
無事をよろこぶメールをいただきました。
ご心配をおかけしました。

インターネットで日本につないで、
日本語の情報をとっていますが、
大きな切り口で政治問題を語るものと、
便乗のいたずらの量にあらためて驚きます。
関係ない対岸の火事と思うなら、
だまっていればよさそうなものですが、
いたずらでも参加したいということは、
やはりなんらかの興味や恐怖があるのでしょうね。
悲鳴のかわりにいたずらをしているというような、
あちこちの掲示板には、そんな書き込みが多いです。

「ほぼ日」は、全世界で読まれているので、
もちろんニューヨークからのメールも届きます。
そこで、生活を送っている人たちの、
その場の声がどんな感じなのか、
ぼくらだけが知っていてもしかたがないので、
何通か、ここに掲載して、情報を共有します。
大きな政治問題でも、いたずらでもない
生活の場からの声を、お読みください。

最後に紹介しているメールは、
『中卒でいいんじゃない』の名無し(改めケビン)くん。
臨時の連載用に送ってくれた原稿ですが、
先に、ここに掲載します。

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◆East 36丁目から。

darling 様、スタッフの皆様 ほぼにちは。

何度かメールさせてもらってます、さねあつです。
実は10年間過ごしてきたニューヨークを今月の
27日に離れ、日本に帰国する予定になっていました。
その事をメールをさせてもらおうと思っていた所
だったのですが、こんな事が起きてしまったので
突然ですが、メールさせてもらいました。
今はマンハッタンのEast 36丁目にいてるのですが、
ここからも大変な量の黒煙が見え、救急車や消防車の
サイレンは1日中鳴り続けていました。
「ほぼ日」でニューヨークにおられる筆者の方々の
無事を知り安堵していますが、
まだ大勢の人が瓦礫の下です。
きっと本田さんも走り回られてる事と思います。
前のルームメイトが現場の近くに住んでいるのですが
まだ連絡がつかず心配しています。
1日中ニュースを見ていますが、本当にショックです。
darlingがシアトルでレポートされてるので、また続報が
「ほぼ日」にも入ると思います。私は大丈夫ですので、
明日献血に行ってきます。また落ち着いたらメールさせて
いただきます。取急ぎ報告まで。(さねあつ)

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◆セントラルパークの東側から。


僕は今、NYに居ます。
明日の飛行機で帰る予定でしたが無理そうです。
僕が居る所はセントラルパークの東側で、
マンハッタンでは真ん中より少し北です。
貿易センタービルがあるのはマンハッタンの南なので
家の辺りは全然平気です。
オープン式のこじゃれたレストランが並ぶ一角なんですが、
みんな平気でそこでランチを取ってたりした程です。
飛行機が通ると「あれもか?」
みたいな盛り上がりがある程平和です。
今日一日は例の事件で通行止めや地下鉄が止まっていたり
マンハッタンから外へ通じる橋も封鎖されているとの事で、
安全ですが少々不便です。
みんな歩いて移動しているようなので人出は結構あります。
空港も13日まではどこも封鎖になるらしく、
今の所帰るのはその後という事になりそうです。
あくまで予定ですが。
シアトルのダーリンは大丈夫でしょうか?
今は数キロ先で起こったとは信じられない状態です。
これから何があるかも分からないですし、
テレビも朝から同じ事の繰り返しです。
昨日は事件のあったビルから600mほどの
ライブハウスにいました。
事件の起こる6時間前まで。
そこが今どうなっているのかは確認はできませんが、
デリ版にあるように坂本家が大丈夫なら
きっと大丈夫なのかもしれません。
ダーリンも無事に帰国できる事を祈っております。では。
hashimoto

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◆カレーうどん煮ている間に。


お友達各位

私は生きています。
エリアが全然違うから平気です。

「あ、小型機がつっこんだの」と思って
テレビをつけておきながら、
ろくろく画面見てませんでした。

仕事しながら、カレーうどん煮ている間に
大変なことになっていました。
いまもうひとつのビルも崩壊しました。

なんかしらんが涙がでます。
これアメリカ黙ってないよね?
戦争になるの?
よくわからないけど。

あのビルには代理店時代、ジェトロの営業で行きました。
東京都のオフィスに行ったけど。
信じられない…・。
都は財政難であのビルは出ましたが。
すごい人数働いてるビルだよ。
前のテロ以降、入館者管理はきつかったけど。
私はパスポート見せて入館した。
外からつっこんでくるとはね……。


ダウンタウンは全面的に閉鎖されています。
煙のため。
飛行機は一切飛んでいません。全米。

どうなるんだろう…・・。
ハイジャックした旅客機使ったのか。

まずいよ。大統領ブッシュだよ。
危機管理能力ないよ。絶対。
こんな時に。どうなるんだろう…・。

ここは住宅地だから、なにもないし、
戦争になっても
マンハッタンが戦地になったりしないと思うけど。
なんらかの影響は確実にうけるような。
って日本のひともそうだけど。
誰だよこんなことする奴は!
腹が立つ!

ではまた気が向いたら実況します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

最近そんなにイスラエルの肩もったっけかな?
なんじゃこりゃ?
市長がてんぱってます。電話で。

どうなるんだ・・・・・。
家から出るなって。
そりゃそうだろう。

地下鉄橋、前面閉鎖で、
ダウンタウンの人は北上するように言われています。
市長に言われなくてもいうでしょう。
ちなみにココはずっと北です。
徒歩4時間ぐらいの距離か?遠いから大丈夫。

ビルの昼間の人口4万人。
他のビルの人、飛行機の乗客入れたら
どうなるんでしょう?

恐いよー。(アメリカがどんな反応をするか)
恐いよー。(イスラム系)

さっきまで日経平均一万円割れるかに
一喜一憂していたのに。
なんか次元が違うような・・・・。恐いよー。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

またまた実況です。

通りまで出て見てきました。

ここは住宅地なので、
平日の日中はベビーシッターと赤ちゃんが多いです。

今日は大勢の人が歩いています。
地下鉄が止まったからだと思います。
みんな顔が暗いです。
赤ん坊だけ無邪気に笑っていました。

バスはちらほら。
タクシーは空車はありません。

大人の男の人が食料品を買っていました。
物流が止まるとすると、
かって置いた方がいいのでしょうか?

本当は今日洗濯屋に出すつもりだったのですが、
出してなくてよかったです。
出してたら、下着もタオルも返ってこなかったでしょう。
他の区で洗って配達だから。

しかし、なにをしておくべきなのでしょうね?
食べる物かっといたほうがいいのだろうか??
これはたいしたことのないことなのか?
明日から市民生活に影響がでるのか?
買い物しておくべきでも、パニックになるから
買えとはいわないだろうなあ…。

どっかで資材がひっかかっているのか、
近所のビル工事はストップしています。

んー、表は天気が良くて気持ちよくて。美しいです。
だからよけい恐いです。

さて、どうしたらいいんだろう…。

ではまた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

また実況です。

電池、飲み水、食料確保しました。
スーパーは大混雑です。
いまいかないと食べ物はないでしょう。
現金も300ドル(税金を払って、
これしか口座になかった)確保しました。

一部クレジットカードが使えなくなっています。
みんな歩いています。

NYPDが薬、電池等を買いに来ています。ここまで。
ダウンタウンにないみたいです。

郊外はみな通勤者が
マンハッタンに足止めを食らっているため、
ひとっこひとり歩いていないそうです。

いま思い出しました。
私、すごく珍しい血液型でした。
アメリカ来て、赤十字に登録してませんでした。

何十万人にひとりだから、必要ない可能性が高いですが。

赤十字に連絡が取れたら献血に行って来ます。
赤十字電話つながらない…・・。
もし、暫くいなくても心配しないでください。

店はもう閉めています。あらかた売れただろうし。
マンハッタンから外にでる通勤電車は動きつつあります。
そうしないとみんな寝るところがないでしょうから。

ではまた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

表は大変です。というか死んでる。街が。

生存者が現場から携帯で電話してきているそうです。
助かるのでしょうかね?
絶対知ってる人、ひとりぐらいは死んだような気がする。

街はゴーストタウンです。
意地汚いぐらい買い出ししてきたので、
閉じこめられてもしばらくは平気です。

食料が明日以降どうなるでしょうね。
元同僚の話だと、貧困層の暮らすエリア
(ダウンタウン)では、
水の買い出しもしていないそうです。
普段どうりなのだそうです。
現場と目と鼻の先なのに。
危機感ゼロみたいです。

ちなみにアップタウン、ミッドタウン、
ハーレムまでも、水と保存食はほぼ売り切れ。
コネチカット州にも水はありません。売り切れです。
店は早じまいしました。早いところは昼に閉めていました。
恐るべしロワーイーストサイド。

血がいると報道していて、
献血に行ったら採決するキャパもビニールもない。
どうしたらいいんでしょうね。
麻痺としかいいようがないです。
たしか私の血液型は何十万人にひとりぐらいだから、
必要な人のいる可能性も低いけれど、気になります。

目が疲れたので、ちょっと横になります。失礼。
本当に夢だといいなと思うんですけど。
夢を見てる見たいなんですよ。
本当に。

すぐ逃げられるように、懐中電灯等、荷造りしました。
疎開先は確保しましたが脚がないので、
(車両乗り入れ禁止)
マンハッタンからはでません。

natsu


___________________________
◆ワシントンDCから。


ワシントンDCからです。
今のこちらの状態は本当の「非常事態」です。
ニューヨークほどではないですが、
こちらも大変なことになっていて、
一応平静を保ってはいますが、結構ぴりぴりしてます。
でも日本の友達の中には「戦争だぁ〜!」なんて
お気楽なメールも来たりして。

今日1日のDCの体験を友達と家族に送ったのを、
ちょっと長いですがコピーしますね。今日を境に、
明日からのアメリカは、もう今までとは
違うものになってしまうのかな。

<第1報
家のみなさんはじめ色々
安否確認のメールをいただきました。
あまり電話回線も使えないので、一度に返事します。
日本への国際電話もつながりませんが、
とりあえず無事です。
今朝は8時ごろからホワイトハウスの近くの
レーガン・インターナショナルセンターで
情報セキュリティの会議にでていました。
朝食が終わって会議をはじめるころに
ワールドトレードセンターの一報が入り、
ちょうど数週間まえに
ワールドトレードセンターにも行っていたし、
あの飛行機にもたまに乗るのでびっくり、
またテロだとテレビではいっているのに
誰だかわからないし、
混乱のまま会議をはじめましたが、
その後ペンタゴンもやられたということで、
会議には軍関係者も多かったことから
会議どころではなくなりました。
同僚のだんなで軍のリザーブの人にも召集がかかてます。

私としては、ホワイトハウスに近いということで
(数ブロック)早く建物から出たほうが良いと思い、
色々電話をかけたあと外にでました。
(何もインストラクションがなかった・・これは良くない)
外はまだ混乱はしてませんが、
消防車や警察、連邦政府の建物から
出ていく人で一杯でした。
ここから家まで地下鉄に乗るのも怖いと思ったのですが、
郊外に行く地下鉄なのでPrimary Targetにはなるまいと
腹をくくって乗りました。
この間、駅に向かって歩くまでに、
背後で爆音がしたのと、
近くの空港は閉められたはずだけれども
ものすごいソニック音がしました。

とりあえず今は家に着き、現金の引き出しと電池、
食べものなど緊急のものの買出し、
最悪に備えて避難用のパッキング中です。
家のすぐ近くにイスラエル大使館があり、
今近所の人の話によると
警察と爆弾処理車が来ていた、というので、
ここももしかしたら安全ではないかもしれません。
ペンタゴン周辺で働いている彼のオフィスも
今Evacuateしているということで
まだ帰ってきていないのですが、
オフィスの窓からペンタゴンが見下ろせるのだけど
かなりひどいといっていました。

けっこう回りではのんびりしてる人も多いですが、
自然災害ではないし何が起こるか分からないので、
最悪の事態に備えて動いています。
メールはまだつながりますので、
また書きます。では

<第2報
続報っす。
最初のメールを出したときはまだ状況がよくわからず、
色々デマも飛び交って混乱状態でしたが、
夜になって落ち着いてきました。
近所のイスラエル大使館は世界規模での避難をした
ということもわかったので、お家に残ってます。
でもその後、家の前の道は封鎖されちゃってます。
事故当時ペンタゴンの中にいた知り合いも
何人かいたのですが無事が確認できて一応安心です。

ペンタゴンの事故自体の影響はDCの街には無いけれど、
ピッツバーグで落ちた飛行機は実は
DCに向かっていたという説もあり、
私が聞いた爆音も国務省のほうからのものだったようだし、
政府の建物に爆弾が仕掛けられる可能性も
そのときは考えられたわけで。
その当時は怖い、と言うよりは、すごい緊張感で、
家に帰ってからも気がついたらとにかく無表情、
ずっと飲まず食わずで対応してた、という感じでした。

テレビは一日中ニュースばかり流していて、
外では今でも戦闘機が飛び交っています。
DCはまあ落ち着いたので良いのですが、
ニューヨークはさらにすごいことになってるようです。
テレビではビルに突っ込む飛行機や
ビルから落ちていく人の映像が何度も出てくるし、
貿易センタービルとその周辺には
学生インターン時代よく溜まってた場所とか
個人的にも色々思い出もあるし、
それが瓦礫になっているのを見るのは
ショックどころではなく、
今は本当に悲しいのと怒りが混じった
どうしようもない気持ちで、でも涙も出ずぐったりです。

私はアメリカ人ではないけれど、
やっぱり貿易センタービル、しかもニューヨーク、
そしてペンタゴンという国の繁栄と力の象徴が
こんな風にやられてしまったということへの
脱力感と虚無感、なんか腹に穴が開いたような気分と
怒りが混じった気持ちはなんとも言えません。
周りの人たちもどよーんとしています。
まだこの事件があって1日も経ってないけど、
本当に長い一日でした。
今日は特に天気がかんかんに晴れていて、
とってもきれいな1日だった。
だから今日起こったことも本当じゃないみたいです。

明日は多分普通に出勤かな?
いっぱい人が死んでも戦争になっても何があっても、
人間はまた黙々と日常生活を続けていくんだ、という
またこれも現実。
まさか、アメリカの首都でこんなことを学ぶとは
・・なんか色々書いてしまいましたけど、
今日1日、感じたこと、でした。

Marichan



___________________________
◆弟からの連絡で。


お忙しい所恐縮です。
でもじっとしていられず、
「ほぼ日」にメールします。

貿易センタービルの近くのオフィスで
仕事をしているNY住まいの弟と、
つい先程連絡がつきました。

彼は2機目が突入し、最初の倒壊を間近でみて、
13th St.から、川沿いを歩いて、
ミッドタウンまで避難したそうです。
この辺りは、インフラ関係に
特に混乱は無いそうです。
(でもヨーロッパの両親が
何度も電話をかけているのに
通じないといってました)
公共の交通機関は、間引かれており、
トンネル、橋も一部だけ
封鎖が解かれたそうです。

今、上空を飛んでいるのは軍用機と
軍、またはTV局のヘリだけだそうです。

人々は落ち着いていて、
私なども心配していた
強盗や暴動なども無いといっていました。
お互い助け合って避難をしていて、
献血の呼びかけなどにも
多くの人が協力しているようです。
「NY市民のプライド」は
たいしたものだ、とアメリカに長い
弟も感心していました。


いくらニュースを見ていても、
町の様子があまり報道されず、
無事を確認された後の事が
気になっていました。
坂本家を始め、
知り合いの方が現地にいて、
日本で心配している人達に
少しでも情報を提供したいと思って、
こちらにメールします。
どこにメールしたらいいか
わからなかったのですけど、
まず思い出したのが
「ほぼ日」だったので・・・・
何かのお役に立てば幸いです。

いなーじゅ


___________________________
◆『中卒でいいんじゃない』の16歳から。


ヤバイことになりましたね。
長い一日でした。いろいろな事がありました。

9月10日に、うちの教師が
「明日、マンハッタンまで
テレビの公開録画を見に行く企画があるから、
参加したい人は名簿に名前を書いてくれ」と言って、
名簿を回し始めました。
僕は何か乗り気がしなかったから書かなかったのですが、
後で聞いたらほとんどの生徒が参加したみたいです。
翌日11日の、企画に参加する生徒達の集合時間は朝8時。
僕が11日の朝起きると、
すでに窓の外にはバスが止まっていて、
まさに出発しようとしている時でした。
それを見送ってから着替え、僕は普通に学校に行きました。
うちのクラスは生徒数が七名なんですが、
その日集まったのは結局三名。
しかしテストが近い事もあって授業内容は濃かったのです。
一時間目が終わって、十分の休憩があるのですが、
僕を除いて全員が教室から出て行ったので、
僕は一人で待っていたんです。
この時が9時40分頃でしょうか。
突然うちの担任が血相を変えて
「ついてこい!」というので、荷物もまとめず
同じ建物の2階にあるテレビの前にまで
連れてこられたんです。
その途中、ハイジャックやら
WTC(世界貿易センター)やら
テロやらの単語がでてきて、
ただいっぺんに色んな事を話されたために
全部は把握できなかったんですけど、
とにかくヤバい事が起こったらしいと。
で、テレビを見たら・・・燃えてるじゃないですか。
ビルが。メラメラと。
テレビの前にはすでに人だかりができていて、
なにやら話し合っています。
ただ、しばらくニュースを見ていても
事件がうまく把握できない・・・。
いろんなワードがでてきているからです。
WTCやらワシントンやら
ペンタゴンやらハイジャックやら。
最初、WTCは爆弾テロとかかと思ったんですよ。
ただ、「ハイジャック」のワードが気になってたんですね。
で、想像したんです。ハイジャックされた民間機が
WTCとかに突っ込んだなら最悪だなと。
そしたら案の定、最悪な事態だったんです。
二機目の飛行機がWTCに突っ込んでいく映像を見ました。
その後、タワーが崩壊していく様子は
リアルタイムで見ていました。
で、気がついたんですね。
今日はほとんどの生徒がマンハッタンに行っている事を。
超心配になったので、うちの担任に
「ボブ、俺はオフィスに戻って色々確認してくる」
と言い残してその場を去りました。
この時10時20分頃です。
まず部屋に戻って、とりあえずはパソコンをチェックです。
テレビが部屋に無いのでせめて情報を手に入れるのに
一番最適なのはパソコンだと思ったのです。
ただ、こんな時に大学のLAN回線が死んでいる!
おそらく事件とは無関係です。
管理体制がいいかげんなのです。
なんか、ものすごくソワソワします。
こうしている間にも昨日まで楽しく話していた人たちが
事件に巻き込まれているかも知れないのです。
しょうがないので、
うちの学校の職員がいるオフィスまで走ります。
オフィスも電話対応におわれているようでしたが、
やっと一人つかまえて聞きました。
「公開録画を見にいったバスは大丈夫だったの?」
すると、
「ああ、それは大丈夫だ。今、こっちに向かってる」
と、言うので、とりあえずそれに関しては一安心です。
まあ、素直に喜んでもいられない状況でしたが。

その後部屋に戻って再びパソコンを起動させると、
LAN回線が回復してました。
すると、大量にメールが・・・。
もうニュースがこんなに伝わってんのかー、と思って
読んでいると、僕の知らなかった情報も色々ありまして。
突っ込んだ飛行機はその時に全部で3機らしく、
WTCに2機とペンタゴンに1機です 。
で、なんか全部で11機ジャックされたようなことを
言ってる奴もいて、
「じゃあ、まだこの辺りに飛んでんのか?」と、
恐くなりましたが、結局ジャックされたのは
全部で何機なんでしょう?
すいません、僕もまだよく分かってないんです。
色んな情報が流れてましたし。
その後、複数の人たちと
メールのやりとりをしているうちに、
ブッシュの別荘にも落ちたらしくて、
益々事態が悪化していってました。
そのとき日本でどんなニュースが流れていたかは
わかりませんが、
「アメリカはイラクと戦争」だの、
「やったのはパレスチナらしい」だの、
とにかく色んな事を聞かされまして。
戦争とあまり密接でない環境に育った僕としては、
リアルタイムで戦争が起ころうとしている、という話は
かなり恐ろしかったですが。
その後に、もっと詳しい話を聞くべく、
うちの担任のところに行ったついでに聞いたのですが、
「すぐに戦争ってことはないだろ」と言っていました。
どうなんでしょう?
とにかく今の状況がよく分からないですが。
あと、彼は
「テロリストはいろんな国が集まって
 出来ているはずだから、
 一概に一つの国の名前はだせないな」と言っていました。
すいません、僕にはそこら辺の事は
よくわからないので、何とも言えないです。
もう一度部屋に帰って、
マンハッタン内に住んでいる知り合いに電話します。
ただ、その人も電話対応に忙しいのか、
しばらく「話中」が続きました。
で、報告がもの凄く遅れて申し訳ないんですけど、
実は今週の金曜日(14日)に僕はわけあって
一時帰国の予定なのです。
ですが、飛行機も全部止められている、
って話じゃないですか。
そこら辺はどうなのか、ってのも気になって、
航空会社と、そのマンハッタンの知り合いに
交互に電話をしていきました。
どっちも忙しいらしく、しばらく「話中」でしたが、
10分後(このとき既に正午近く)には繋がりました。
航空会社は、
「事態が事態だけに、この先のフライトはまだわからない。
 出発の前日にでもまた電話をくれ」という事でした。
マンハッタンの知り合いは難を逃れたらしく、無事でした。
ただ、その人の持っているオフィスは、
既に立ち入り禁止地区になっているらしいです。
そのとき初めて知ったんですが、
マンハッタン島の南部一帯が
その時立ち入り禁止になっていたらしいんですね。
その知り合いも言っていましたが、
どうも映画みたいな話です。
現実に起こっていることが恐ろしいです。
その後すぐに、木曜日に僕の大量に増えた荷物を
一時的にストックしておくために頼んだ
運送屋に電話しました。
木曜といったら明後日ですからね。
作業は中止になるかとも思ったんですけど、
どうやら全ての依頼にキャセルはいれてないそうで。
ただ、マンハッタン内に入る事ができなければ、
当然運送は無理です。
あと、車が停められるような状態に
なっているかどうかも問題だと。
運送屋には明日もう一度電話する手はずになっています。
まだどうなるか分かりません。
ただ、15日を過ぎると
今住んでいる寮にいれなくなるので、後は無いです。

電話を全てかけおわったころ、
マンハッタンに行っていたバスが戻ってきました。
とりあえず姿を確認できて安心しました。
それからしばらく日本とメールのやりとりが続き、
それが終わったのは丁度昼の1時くらいです。
隣の部屋にいる友達に話を聞きに行きます。
その部屋にはテレビがあるので。
その時は各国のアメリカに対するコメントとかが
放送されてました。
それを見ながら友達と話し合っていました。
アメリカや世界の今後についてです。
で、一人がこう言ったんですね。
「なんせアメリカの中枢がやられてるからなぁ。
 アメリカもヤバいよなぁ」と。
そうです。やられたのはアメリカの中枢です。
WTCとペンタゴンという、
アメリカの中心にあった機関がやられてますからね。
政治や経済への影響も多大なんでしょう。
それに多くの人が亡くなりましたし、
本当に卑劣な事件です。

夕方頃、僕が一番大事に思っている友達の所に行きました。
その人もバスに乗っていたうちの一人です。
その人は図書館でメールを打っていましたが、
話を聞いてみると、かなり状況的にヤバかったらしいです。
バスがマンハッタン島内に入る直前に、
WTCが煙をあげているのを発見したらしく、
その人は最初は火災かと思ったらしいのですが
(普通、飛行機が突っ込んだとは考えませんよね)、
同乗していた教師から話があって、
テロだということが分かったそうです。
バスに乗っていた人たちはかなり近いところで
WTCの炎上、崩壊を見ていたという事になります。
ヤバすぎです。危険です。
で、結局バスは島内に入らず、戻ってきたという事です。
その後その人は何故か
近所の大型ショッピングモールに行ったらしいのですが
(何が起こっても自分の意思は通す人です)、
そこのモールもすぐに閉鎖されたそうです。
しかし、あれです。
バスに乗っていた人たちも大変だったんでしょうが、
「待つ側」の僕も相当大変だったんです。
ずっとソワソワしてましたから。

その友達と話し終え、図書館から出てみると、
すでに夕刻でした。
大学内には忙しそうに走っている人なんかも
まだ残っていました。
空港に近い場所にあるはずなのに、
飛行機が全く飛んでいません。
空港が全ておさえられているからです。
空だけは静かでした。

その後にカフェテリアでその日初めての食事をして、
部屋に戻ってからは、
なんか疲れていたので寝ちゃいました。
で、これを書いているのは夜です。
明日は普通に学校があるらしいです。
おそらく今日の事件
(日本だともう、『昨晩の事件』ですね)
の話題で持ちきりでしょうけど。
とにかく、明日になれば
マンハッタンの状況や空路など、
色々なことが変わっていると思います。
ただ今は明日を待つのみです・・・


___________________________

以上、いまシアトルの深夜に届いたメールを、
ここに掲載しました。


2001-09-12-WED

12:25 更新

この臨時ニュースってやつを書かなくてもよくなる時が、
早く来ますようにと思いつつ、
第4回目のアメリカ足止め男からの報告です。

darlingdarlingです。
いま、これを書きはじめたのがこっちの時間で、
夕方の6時です。
日本は、もうじき「ほぼ日」の更新がはじまるころだね。

今日は飛行機が飛びはじめるんじゃないかと、
みんなが想像していて、
空路が開いたらすぐに乗り込めるようにと、
朝早くから空港に詰めかけたのでした。
電話でいろんなことを確認取っているよりも、
直に「乗れる→乗る」の場面にいるほうが強い。
こういう時には、知恵より現物なのであります。
ある広告代理店のやり手と言われる営業マンが言いました。
仕事を次々に取っていくノウハウってあるの?と訊いたら、
【そこにいる】ってことです、と教えてくれたのだ。
いつ何時、何が起こるかなんて予想しきれない。
ある計画が持ち上がったときには、
すぐ【そこにいる】人間に、
「これ、やれるかい?」と依頼されるものなのだという。
そういえば、そうだ。
こんな時にこういうこと思い出すのもヘンだけど、
無駄足や骨折り損を怖れていては、運はつかめない。

だから、とにかく空港に行ったわけです。
東京にいるときのように、こっちでもすごい睡眠不足。
うたた寝だけでこの2日間を過ごしている。
メールやネットのチェックと、テレビのチェックだ。

空港に着いて驚いた。
人の気配がほとんどない。
近所の食堂がのれんをさげているときのような状況。
人間はまったくいないわけじゃないのだけれど、
生きた気配というものがないのだ。

そういえば、どういうわけか「ほぼ日」情報では、
別件で行方を探していたリリー・フランキーさんが、
シアトルで呆然としているという情報があった。
ホテルの電話を教えてもらったのでかけてみたら、
ぼくらと同じようなことを考えているらしく、
朝からとにかく空港に向かうと言っていた。
もともと会話の間(ま)に独特の味のある人だが、
外国に来て電話で話すときには、あの間はスゴすぎる。
ひょっとしたら、リリーさんと一緒に成田に降りて、
なんてことまで想像していたのだけれど、
空港にリリーさんの影は見つけられなかった。

結論を急ごう。
飛行機は、まったく飛んでませんでした。
飛ぶ予定もなし。
いまのところ予約を入れられるのが、
いちばん早い便で9月18日だということがわかった。
「それまでに運行が再開されたと考えても、
 キャンセル待ちですね」
「キャンセルはでるのでしょうか?」
「怖いと思う人は、キャンセルをするでしょうから」
「ぼくは、あえて言いますと、怖くないのですが」
「そういう方ばかりだとキャンセルはでませんね」
「この場合は、怖がってくれたほうがいいですね」
というような、まぬけな会話がくりかえされ、
なにがなんでも絶対に大丈夫という日が、
なんと1週間も後の18日に設定された。
バカな!
「バンクーバーまでクルマで向かって、
 そこからの便に乗り込むとかの可能性は?」
「それは、皆さん、考えますから、
 ここで明日、明後日のキャンセルを待ったほうが
 いいと思いますよ」
「シスコやロスに移動したら、日本に飛ぶ便が多いとか」
「国内便も飛んでいませんから、行き方が・・・」
「そうですか。
 じゃぁ、とにかく、明日に挑戦します」
なんやかんやで、ここまでの結論がでたのは、
もう午後1時を過ぎたころだった。

とても東京に帰りたい。
これは感情的な理由ではなく、仕事の約束をしている人々に
もうしわけないという気持ちだけである。
だが、どうしょうもないのだから、どうしょうもない。
今日はとにかくシアトルに泊まることだけは決まった。
昨日までのホテルをチェックアウトしてきたので、
新しいところに移らなければならない。
インターネットができれば、場所も広さも問わない。
高阪くんのともだちが、
市街地でなければ取れますよというので、
千葉県の成田みたいな場所にホテルを取ってもらった。
18日の前日まで、いちおう部屋は取っておいて、
毎日毎日、脱出を試みるということになる。

とてもいやな目にあっているのだけれど、
いらだちもなければ、つらいとも思えない。
自分の命が無事だったということが
前提になっているからだと思う。
あれだけ恐ろしい目にあった人たちがいたのだから、
帰りの飛行機がどうのこうのなんてたいしたことじゃない。
眠かったり疲れていたりするけれど、元気だし。
誰かに文句を言う筋合いのことは、なんにもない。
あのビルの最初の爆破の直後に、
人の命を救うために突入した消防夫たちが、
たくさん命を落としたということとか。
ピッツバーグに落ちた飛行機は、
乗客たちが犯人に立ち向かい、そのせいで
標的のペンタゴンだかホワイトハウスだかに激突せずに
墜落したのだとか。
ツインタワーの階段を下って脱出しようとしてた人々が、
とても紳士的だったという報告だとか。
献血しようという人々が行列になっているとか。
アメリカのシンボリックなキャンペーンだと、
醒めた見方をすればそうなのかもしれないけれど、
こういう話を、「素直に裏目読み」する気にはなれない。
一人ひとりの個人のやっていることは、
やっぱり美しいと、ぼくは思うからだ。

そういう時なのだから、
「仕事が忙しいので、一刻も早く帰らせてくれ」というのも
なんだか、ギスギスした感じに思えて、
もう、ゆったりと、ふつうに、
「なるべく帰れるように努力する」ことにした。

新しく移ってきたホテルは、
気の利いたビジネスホテルみたいなところで、
ぼくは、そこでいまあいかわらずテレビをつけながら、
まずは、いまの状況を報告するためと、
このレポートを書きだしたわけです。
ちなみに、前田日明さんも、同じ行動をとっています。

こういうことがあると、「ほぼ日」留守部隊の諸君が、
ぐんと実力をつけるだろうから、
それがたのしみだとも言えるわけです。

あーーー、もーーー、眠くてたまらん。
ちょっと仮眠します。
この原稿、書き終わったら1時間経っていた。
いま、夜の7時、まだ外は明るくて、森の緑がきれいです。

とても近いところで、
どうやらかなり正確に見ていた読者のメールが、
さきほど届きました。
これで、おおよその現地の様子がつかめた気がします。

_____________________

darling様:

マンハッタンのNYUロースクールに
この8月から留学中の松田と申します。

ほぼ日(デリバリー版)臨時号を拝見して、
NY在住者からの一情報としてメールをお送りいたします。

大惨事が発生した9月11日午前9時頃、
私はロースクールへの通学のため
自宅を出発しようとしていました。
部屋の窓から、
家の前の通りがなにやら騒がしく聞こえたので、
テレビのスイッチを入れた瞬間、
炎上するワールドトレードセンター(WTC)ビルの映像が
目に入り、ほぼ同時に東京の家内の実家からの電話が鳴り、
大惨事の発生を知りました
(もしも、あのとき、
 構わずに家を出ていたら、
 家内と一緒に逃げることもできなかったのだと思うと
 恐ろしくなります。)。

私の住居は、バッテリーパークという
マンハッタンの最南端の公園と
道路一本を挟んだ向かいにあり、
WTCとは歩いて10分強ほどの距離にあり、ま
さか自分たちの生活にWTCの火災によって
直接の影響が及ぶとは考えもしませんでした。

そもそも、その時点では飛行機がぶつかったにしろ、
単なる火災にすぎないという認識だったのです。
TVの画面を眺めながら、ロースクールに出発しようか、
もう少し様子をみてからにしようかと迷っていると、
マンションのスタッフが部屋のドアを打ち鳴らし、
早く退去しろと英語でまくし立てて始めて
ちょっと状況がおかしいぞと認識し始めました。

ロースクールに持って行こうと用意していた鞄から
テキストを取り出し
(このときに何気なく
 ノートパソコンを入れたままにしたのが
 大正解でした。)、
火事場泥棒を恐れて主だった貴重品を鞄に放り込んだ上で、
出産予定日を3週間ほど先にひかえた家内を連れて
外に出ました。

その時点では、高層マンションのため
エレベーターが止まるのを恐れた避難命令と考え、
1時間程度で内部に戻れると考えていました。

その後の状況は、
おそらく日本でTVで報道されている通りです。
WTCの比較的近くにいた私は、
煙のため詳細な状況は全く分かりませんでした。
昨日は、とにかく、
しっかりとしていなければと気が張っていたために
それほどでもなかったのですが、
友人宅に落ち着いてからTVの映像で
発生した被害の甚大さを確認すると、
じわじわと恐ろしさが再認識され、
今日は、若干呆けています。
(身重の家内が健康に脱出できたのが何より幸いでした。)

昔テレビで見た土石流と見紛うばかりの土煙の塊が
ビルの間を刻一刻と迫ってくるのを目の当たりにし、
海へ向かって走り出し逃げ惑う人々の群れに巻き込まれ、
死の灰のような粉塵に包まれたときには、
神戸や雲仙の報道が一瞬、脳裏に浮かびました。
しかし、テレビで映像を見るのと、
自分が当事者になるのとでは全く異なります。
灰が降り続き、見慣れていた緑の公園の風景が
一瞬にしてくすんだ灰色一色に変わり、
10センチ先の視界さえなくなり、
煙が晴れた後に振り返ってみると
そびえ立っているはずのWTCビルは姿を消していました。
およそ実際にあった出来事とは受け入れ難い経験です。

こちらの今日の新聞の見出しでは、
「WAR」という言葉が飛び交っておりますが、
昨日のあの瞬間に限って言えば、
それは誇張ではありません。
粉塵が降り注いでいる間、着ていた服を脱ぎ、
それを引き裂いてマスク代わりにする人がいたり、
逃げる際に転んだのか、
膝からひどく出血をした人が
泣き叫びながら走っていたりという状況で、
短時間とはいえ、今振り返ると悪夢のようでした。
風の関係から、
ビルの倒壊の際の粉塵は南に流れたようです。
そのために、WTCからある程度、
離れていたにもかかわらず、
壮絶な体験をしました。
よりWTCに近い場所であの大惨事に遭遇された方が
多数いたことを思うと、胸が苦しくなります。

一番恐ろしかった瞬間は、
一つ目のWTCビルの倒壊の瞬間です。
私は避難先のバッテリーパークの中でも
比較的南西側で野次馬半分の人々の最後方付近にいたため
倒壊の瞬間は見ていないのですが、
それまでは興味半分に火災を見ていた
数百人の野次馬の人々が地響きが起こると同時に
一斉に甲高い叫び声を上げながら、
恐怖の表情で振り向きながら
私たちのほうへ駆け出してくるのを見た際には、
全身の血の気が凍る思いがしました。
しばらくは、いわゆる
パニック映画は見に行けないし、
全く楽しめないと思います。

その後、幸いなことに公園 の中のレストラン建物が、
経営者の判断で避難してきた人々のために開放され、
そこに数時間滞在することができ、
救助のために陸に近づいてきたタグボートで
海路を通じてマンハッタン中央部に
午後2時ころには脱出することができ、
その後は、
マンハッタン南部が危険で戻ることができないため、
マンハッタン中央部の友人宅に
宿泊させて頂いている状況です。
危急のときなだけに、
様々な方々の親切及び善意が有難く感じられます。
そして、同時にこの大惨事が
人間の感情によって引き起こされたものだということが
およそ信じられない気持ちがしております。

ノートパソコンを持ち出してきていてよかったのは、
NY及び東京の数多くの方からメールで励ましの
お言葉を頂けたことです。
一時期は国際電話が通じにくい状況が続いており、
無事の第一報もメールで送りました。
ほぼ日(デリバリー版)臨時号を受け取った際には、
あのような大惨事にもかかわらず自分がなお、
自分がかつて属していた日常と繋がっている感覚を
強く味わい、とても嬉しく感じました。

マンハッタンに
お知り合いがいらっしゃる方が
ご心配されるといけないと思い、
現在のマンハッタンの状況を記しますと、
私が現在滞在しているマンハッタンの14th St.よりも
北の地域は、
スターバックスを初めとして閉まっているお店の割合が
若干多いのと、
スーパーから水の大きなボトルが
いったん消えたのを除けば
相当平穏を取り戻しておりますので、全く安心です。
(ただし、午後になって、14thあたりでも、
 外に出ると若干、煙の匂いがし始めた状況です。)
昨晩はユニオンスクエアの周りを
何十台ものパトカーが走っておりましたが
これは治安維持目的と思われます。
現時点で安全が確認されている方々に関しては、
およそ心配は要らないのではないかと感じています。

今日のNYの空は、ときどき煙らしきものが
流れてくるのを除けば、青く澄みわたっていたため、
昨日の出来事が夢のようです。


松田

追伸

実は、この夏の留学の少し前のことなのですが、
darling様と表参道の中華料理店(希須林)で
テーブルが隣になり、
その旨と私の留学のことをメール差し上げたところ、
励ましのメールをdarling様から頂戴し、
感激したことがございます、
その節には、本当にありがとうございました。
今回のことも日本にいては
およそ体験できなかった試練と考え、
何とか乗り切ろうと考えております。

シアトルからのdarling様の
無事のご帰国をお祈りしております。

______________________

『現時点で安全が確認されている方々に関しては、
 およそ心配は要らないのではないかと感じています』
ということが、なによりのニュースでした。
日常を取り戻しつつある人々よ、お元気で。
また、不幸にも日常を断絶されてしまった人々のために、
祈ります。

2001-09-13-THU

03:50 更新

darlingdarling@まだむろんシアトルです。

こんなに細かく報告してどうするんだという気も、
ちょっとはするのですが、
いま現在の自分の置かれている状況について。

シアトルで観ているテレビでは、
普段の番組にもどったチャンネルが多くなりましたが、
まだまだ当然のように臨時ニュース続きです。
被害にあった方々の名前などが判明しはじめたらしく、
そのテロップが画面の下を右から左に移動していくのが、
なんだか切ないです。

ぼく自身は、いちおうという意味で
朝の7時から目を覚まして、
いつでも出発できるような態勢でいます。
日本の「ほぼ日」からのメールで、
リリー・フランキーさんも宿泊先を確保したとのこと。
個人のお宅に居候らしいですね。

空港の閉鎖が解かれるという情報が、
いままでよりひんぱんに入ってくるのですが、
勇み足が多いようです。
どこそこの市会議員が先に帰れるらしいとか、
ナニナニ航空は動くらしいとか、
ロスに移動して帰った人がいるとか、
もっともらしいのだけれど、
あんまりリアリティがありません。

いま、シアトルのお昼前ですが、
定期便は飛ばないけれど、
夕方にまず日本に向けて1便だけ飛ばす予定らしいと情報。
現場主義のぼくと前田日明さんとは、
もちろん、そこに出張ってスタンバイするつもりです。
話によると、成田のほうの受け入れができない
ということもあるらしい。
操縦士や乗員が、世界のあちこちに足止めされているので、
人の手配がつきにくいという事情もあるようです。

よくはわかりませんが、
日本の側の準備ができていれば飛べる、ということか?
こっちでは携帯電話を持っていないので、
部屋から出ると連絡がつきにくいため、
ずっと部屋にこもって仕事をしています。
12時過ぎに、とにかくホテルを発って、
空港に向かいます。
そうなったら、次の連絡ができなくなるので、
とりあえずですが、
いまの状況をお伝えしておきます。

(シアトルの午前11時30分。
 日本時間翌日の午前3時30分に記しました)

2001-09-14-FRI

11:00 更新

魚籃坂明るいビルの木工用ボンドGでございます。
本日のほぼ日の更新の準備をしていると、
シアトルの高阪さんより電話が。
「糸井さん、飛行機にのりましたよ!」

というわけなので、
darlingは、今日中に日本につくことでしょう。

2001-09-14-FRI

20:00 更新

再び、魚籃坂明るいビルの木工用ボンドGでございます。
さきほど、成田空港に迎えにいった
西田ほぼ日ストア店長より報告がありました。
darlingは無事に日本に到着しました。

2001-09-14-FRI

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