ほぼ日の伊丹十三特集
hobonikkanitoishinbun


第2回 カウンターで見て覚える。
ほぼ日 矢吹さんはとても料理上手ですが、
それがすべて伊丹さんの影響というわけでは‥‥。
矢吹 それは、ちがうよね。
ただ、ぼくは、カウンターが好きなの。
ほぼ日 それが伊丹さんとの共通項?
矢吹 お寿司屋もそうだし、
イタリア料理のお店もカウンターの店とかね。
フランス料理はさすがに、
カウンターの店、あんまりないけどね。
それに、天ぷらもそうでしょ、
たん熊は、やっぱり値段も値段だからさ、
しょっちゅうは行けない。
最初は、年に1回がはじまりでした。
「月にいっぺん行ければいいね」って
言ってたんだからさ。
ほぼ日 月にいっぺんすらも、たいへんです。
矢吹 庖正(ほうまさ:酒飯庖正という和食の店)
って知ってますか。
そこもカウンターなんだけれど、
そこにも通って、
ほんとに、全部覚えたよ。
ほぼ日 見て覚えちゃうんですか。
矢吹 うん。
下ごしらえは、わかんないんだけどね。
あとはぼくは「辻留」の料理本です。
ほぼ日 伊丹さんという人は、
料理をどうやって覚えたんでしょう。
同じようにカウンターごしに
覚えていったんでしょうか。
矢吹 職人と目の前でやりとりするのが
好きな人だからね。
あと、あの時代に
ヨーロッパ経験があるから、
そこが違うし、
それから、あの頃、伊丹さんたちの出た
アメリカ映画って、
すっごい料理人連れて
ロケに行っていたんですよ。
料理のバスがあって、
お昼になるとばーっとテント張って。
ほぼ日 同時代の人に比べて、学ぶチャンスが
ものすごくいっぱいあったんですね。
いまみたいには、料理の本も、
たくさん出ていなかったでしょうし。
矢吹 そうですね。全然なかったと思うなぁ。
ぼくたちが読めるような本はね。
プロ向けの本はあったのかもしれないけれど。
ほぼ日 伊丹さんの著作に
『フランス料理を私と』という本があります。
伊丹さんがプロのフレンチの料理人から
ほんとうのフランス料理のつくりかたを
教わって、その通りにつくって、
ゲストと一緒に食べるんです。
ものすごくおもしろいんですが、
読んでると、伊丹さんというのは
必ず「理由」を考える人なんですね。
矢吹 そうだね。
ほぼ日 なぜこの盛りつけはこうなってるんだろう、とか、
なんで、この順番で料理を出すんだろう、とか、
料理の文化的、歴史的背景だとかまで考える。
ただ「おいしい」って言ってたら
あれはできない気がします。
矢吹 あ、思い出しました、
塩月弥栄子さんだ。
ほぼ日 塩月弥栄子さん?
お花や、お茶の人ですよね。
矢吹 その塩月弥栄子さんが、伊丹さんに
「たん熊」のお弁当を教えてくれた人なんですよ。
それを伊丹さんからぼくは教わったから、
遠くは塩月さんにも、
お礼を言わなければならないね(笑)。
エッセイの内容は、
そんなお弁当をもらった夫婦がさ、
感心してる話なんだよ。
だけど、お弁当描くのがめんどくさい(笑)。
ほぼ日 はははは。
矢吹 で、何を描いたかって言うと、
連載のときはお箸の先に、空豆を一つ、
つまんでる絵を描いたんだ。
ほぼ日 なんと一番、楽な‥‥。
矢吹 だけど、味はしっかり覚えました(笑)。
で、本になるとき、描き直しました。
ほぼ日 この話は『日本世間噺大系』に
「鯉コク」というタイトルで。
矢吹 入っています。
ほぼ日 料理に関して、
矢吹さんは伊丹さんに認められたというか、
伊丹さんの食べ物のセンスが、
矢吹さんと合った‥‥というか。
逆に、矢吹さんも、伊丹さんのセンスを
すごく信頼していたわけですね。
矢吹 伊丹さんの家で
ひとりで飲んで待たされてるときにさ、
盃がね、江戸より前の室町とか、
あのころの、根来(ねごろ)だったの。
それでね、自分でもほしくなって、
それを探したけど、なくてさ、
伊丹さんの家には、
そういうのが、さりげなくあったよ。
ほぼ日 矢吹さんの、器への美意識は、
伊丹さんに影響を受けている?
矢吹 具体的なのは少ないけれども、
「いいものはいいんだよ」
っていうことは、確かにそうだね。
ほぼ日 その、根来なんかも、
伊丹さんはおっしゃらないんですか。
「これはすごいんだぞ」なんて。
矢吹 ぼくから「いつのですか」って、
たぶん訊いたと思うんだよね、後でね。
でも、そのことよりも、
なんか、使ってていいんだもの。
ほぼ日 年下の矢吹さんが、
そんなふうに「わかる」人だったから、
伊丹さんも、伝える気になったのかも。
矢吹 通じたってことはあるかもしれないね。
無頓着な人だったら、何も言わなければ、
二度目はいいもの出してくれないよ(笑)。
  (つづきます)

2009-07-28-TUE


23. 『あげまん』。
 
1990年6月に封切られた
伊丹さん5作目の監督作品は、
「あげまん」という、あまり聞かないことばが
タイトルでした。
これはもともと花柳界で使われた隠語で、
つきあった男の運気を上げる女性のことです。
隠語をタイトルにし、映画のモチーフにするのは、
次々とタブーを破っていく
伊丹さんらしいところですね。
このことばは映画のヒットとともに、
当時流行語となりました。
 
捨子だった主人公のナヨコが芸者になり、
最初のダンナさんとなった僧侶が出世したことから
あげまんと呼ばれるようになります。
ダンナさんの死後、銀行のOLに転身、
銀行員の鈴木主水を恋人にすると、
主水の地位も上がりはじめます。
しかし主水は出世のために、
ナヨコを捨ててしまいます。
ナヨコは政界の黒幕のところに身を寄せ、
再び芸者となって彼の運を助けます。
一方主水はどんどん落ち目に‥‥。
 
といったあらすじですが、
女性のかわいらしさと男性の出世欲や甘えが
人間味あふれる姿に描かれた、あたたかい作品です。
 
芸者のナヨコが登場するお座敷には、
伊丹さんの行きつけの料亭だった、
赤坂の名店「たん熊」が使われました。
ふつうは映画の撮影のために何日も店を閉めることは
できないものですが、ちょうど「たん熊」が
周囲の高層ビル乱立にともない
取り壊されることになったため、
幸運にもすばらしい場所での撮影が
可能になったのでした。
 
この中で芸者を演じる宮本信子さんですが、
とても踊りが上手なことに目を奪われます。
もともと踊りやダンスを習われていたそうで、
今回の芸者踊りの指導をした
猿若流の猿若清三郎さんも
『伊丹十三の映画』のなかで、
そのうまさを語っています。
ちなみに映画で踊りの師匠を演じた
猿若清方さんは、清三郎さんのお父さんです。
このほかに映画『お葬式』で
「東京だョおっ母さん」を
歌い舞う宮本さんも、『スーパーの女』で
お遊戯を踊る宮本さんも、とても達者です。
伊丹さんはこの映画以前より、
「宮本信子は芸者のできる女優」と語られており、
初監督映画『お葬式』の中でも宮本さんは芸者姿を
披露しています。
 
このほか、主水のネクタイの色が、
ついているときは赤、
ついていないときは青であるといった小ネタや
政界幹部や銀行の頭取の
黒いお金にまつわるやりとりなど、
みどころの多い『あげまん』は、
女性にも男性にも受ける映画ではないでしょうか。
 
また、見る機会があったらおすすめしたいのが、
この映画のメイキングである
『「あげまん」かわいい女の演出術』です。
この中で伊丹監督は、
タレントの野々村真さんを聞き役に、
「理想の俳優像」を語っています。
 
いわく、“その役の気持ち”をx軸、
“その役らしさ”をy軸、
“その人自身の魅力、華のあるなし”をz軸とする
座標空間で、すべてをよりプラス方向へ
満たしているのが俳優として一番望ましいのだとか。
理系も得意とする伊丹さんらしい、明快な解説です。
 
そしてこのメイキングには、
伊丹さんの映画のスタッフが
口をそろえて言う、「衣装合わせの時間の長さ」が
たっぷり紹介されています。
また、映画の中で使われる小物や食器、家具なども、
本物を集めて俳優さんに使ってもらったことが、
ここでも語られています
伊丹さんは、先ほどの座標軸で言うところのy軸、
“その役らしさ”を提供することに
まったく惜しみない、
役者冥利に尽きる、監督だったのでした。
(ほぼ日・りか)
 

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参考:『伊丹十三の映画』(新潮社)
   伊丹十三記念館ホームページ ほか。
 
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