天才学級のきざなやつ? 「13の顔」を持っていた、伊丹十三さんのこと。

第3回 おもしろくなきゃ、こまるわけよ!
糸井 でも、大学出たばかりの23歳の浦谷さんと
同じような目線で話せる伊丹さんっていうのも‥‥
つまり、その「フラットな感覚」って
ちょっと、先を行ってたと思うんですよね。
浦谷 うん、対等に会話できることじたい、
そもそも新鮮だったですからね、当時は。
糸井 あの時代に、なかなかねぇ。
浦谷 今はさ、あるのかもしれないけど。
友だち感覚で話せるようなことも。

糸井 うん、うん。
浦谷 でね、その後もしばらく『遠くへ行きたい』の
チーフADをしてたんです。

で、そのうち、ぼく自身が企画した
「デビュー作」をつくることになった。
糸井 ほう。デビュー作。
浦谷 『遠くへ行きたい』のタイトルバックなんだけど、
金沢の内灘海岸で撮ったのね。

風吹ジュンをイメージガールにして。
糸井 おお、いい名前が出るねぇ(笑)。
浦谷 風吹さんに海岸を走ってもらったんです。

あそこ、米軍の試射場か何かがあったから、
ちょっと左翼っぽいムードを出そうと。
糸井 うん、うん。左翼っぽい?
浦谷 そう、その感じをどう演出したかっていうと、
同じ海岸をね、
地元の漁師さんにも、歩いてもらったんです。

青木繁の『海の幸』って絵があるじゃない?
あのイメージでさ。
糸井 ああ、はい、ええ、ええ。
浦谷 それから、小学校から借りてきた鉄棒を
砂浜に立てた。

で、そこでなぜか少年が懸垂してるんだ。
糸井 ‥‥ほう。
浦谷 シュールな感じを出そうと思ったんです。

そんな感じで、
47秒間のタイトルバックをつくったの。
糸井 浦谷さんにも、そういう素養があったんですね。
浦谷 でもね、あまりにシュールなもんだからさ、
まわりがビックリというか、怒っちゃって。
糸井 うん、うん。
浦谷 だって、最後にさ、歯の欠けた少年が、
グワーッて懸垂してるんだから(笑)。

「こんなタイトルバック見せたあとで
 どうやって
 番組をはじめたらいいんだ!」って。
糸井 あははは、なるほど。
浦谷 そんななか、ただひとり、伊丹さんだけが、
「ぼくは、自由な感じがしていいと思う」って
言ってくれたんですよ。

糸井 ほー‥‥。
浦谷 すると、静かになるわけです。まわりが。
糸井 それは、うれしかったでしょう?
浦谷 うん、だから、伊丹さんとは
そういう関係でやらせてもらえたからさ、
恩返ししなきゃなと思ってた。
糸井 そういう浦谷さんの思いって、
このDVDのなかに、ちゃんと入ってると思う。

だって「テレビ人・伊丹十三」の部分を
圧倒的におもしろくしてるんだから。
浦谷 そう‥‥ですかね。
糸井 もうひとつ、ぼくがおもしろいなと思ったのが、
生い立ちをていねいに描いてるところ。
浦谷 ええ、それは、はい。

小学校のときに天才学級で英才教育を受けていて
戦時中から英語を習ってたこととか、
その後の伊丹さんを語るうえでは、重要ですから。
糸井 それをさ、とてもうまく見せてるというか、
うちで伊丹さん特集をやるときにも
こうしたくなったにちがいないと
思わせるやりかただったから、
オレ、手に負えないっなて思ったんですよ。

しかも、浦谷さんの個人的な思いがすごく‥‥。

浦谷 うん。
糸井 込められてる。こりゃ、かなわんなって。
浦谷 だいたいオレ、
このDVDに自分で出てるからね(笑)。
糸井 ふつう出ないよね、自分からは(笑)。
浦谷 うん、でも「テレビ人・伊丹十三」を
しゃべれる人って、
他には、あんまりいないと思ったんだ。
糸井 オレ以外には。
浦谷 とくに、伊丹流ドキュメンタリーの
なんたるか‥‥については。
糸井 ほう。
浦谷 「作品は、原作という太い串で貫かれてなきゃダメ」
ということと、
「見方の入り口をつけなきゃダメ」ってことと、
「その場その場で
 時々刻々、変わっていく要素を入れ込む」こと。

このみっつの要素が
「ドキュメンタリー」には必要なんだってことを、
伊丹さんの現場で、叩き込まれたんです。
糸井 なるほど、その後の浦谷さんは
その教えを軸にして
映像の仕事をやってきたわけですね。
浦谷 うん、もろに影響されてますよね。

‥‥というか、
その後、ぼくは、伊丹映画の「メイキングもの」を
つくることにもなるわけですし。
糸井 ああ、そうか。
浦谷 オレ、深作欣二監督が大好きでさ、
菅原(文太)さんの『県警対組織暴力』って映画の
ドキュメンタリーをつくったんですよ。

カメラマンとオレふたりだけで、16ミリを持って。
糸井 うん、うん。
浦谷 日本テレビの日曜スペシャルだったから
昼間に放送したんだけど、
たまたまね、
伊丹さんがヒマで見てたらしいの。

で、このドキュメンタリーおもしろいな、
なんか、やたら笑えるじゃないかと。
糸井 へぇ。
浦谷 つくったのテレビマンユニオンの連中じゃないかと
うすうす感じながら見てたらしいんだけど、
最後にロールが出たら
やっぱりそうだったって、驚いたらしいんですよ。

糸井 ええ。
浦谷 で、伊丹さんが『タンポポ』をつくるときに、
赤坂の河道屋って蕎麦屋、
あの人、しょっちゅうそこで蕎麦食いながら、
酒を飲みながら、打ち合わせしてたんだけど、
まあ、呼ばれたわけ。オレが、そこに。
糸井 うん、うん。
浦谷 で、こんど『タンポポ』っていう映画をやるから、
そのメイキングを‥‥
当時、メイキングっていう言葉があったかどうか、
ちょっとわかんないんだけどさ。
糸井 製作過程を撮ってくれと。浦谷さんに。
浦谷 そう。あの深作欣二監督の『県警対組織暴力』で
菅原文太を撮ったように
撮ってくれよって頼まれた。ドキュメンタリーで。
糸井 そういうことだったんだ。
浦谷 「ウン、あれはおもしろかった」と。
「ああいうふうに撮ってほしい」と。
糸井 ‥‥うれしかったでしょう?
浦谷 もちろん、うれしかったですよね。

でも、ぼくはさ、そのときに、
「ありがとうございます。
 わかりました」って言ったんだけどさ‥‥。
糸井 言ったんだけど?
浦谷 「われわれ、本編よりもおもしろいものを
 撮ってしまいがちなんですけど、いいですか?」って
聞いたんです‥‥伊丹さんに。
糸井 ‥‥すごいねぇ!
浦谷 だってさ、当時ぼくたちは
映画という‥‥つまりフィクションよりもさ、
ドキュメンタリーのほうが
だんぜんおもしろいんだって信念を持って、
テレビマンユニオンをやってたわけだから。
糸井 ええ、ええ、はぁー‥‥。そしたら?
浦谷 伊丹十三は「もちろん、いいよ」って言うわけ。
それはもう、ハッキリと言ったんだ。
糸井 それを言う伊丹さんも、すごいね。

浦谷 「というか、おもしろくなきゃ、こまるわけよ!」
「本編とメイキングは、
 おもしろさの質がちがうんだからさ」だって。

つくづく、こういう人っていないよなあと思ったね。
  <つづきます>


01.DVD『13の顔を持つ男 伊丹十三の肖像』
1970年に放送を開始し、
現在も読売テレビ・テレビマンユニオン制作、
日本テレビ系列で放映をつづける
長寿の旅番組です。
著名な文化人や芸能人の方が、
日本のあちこちを訪ね、
歴史風土や名物を紹介するという内容で、
すでに回数は、2009年6月7日現在、
1960回にもなりました。

テレビマンユニオンが
設立のころから携わっている番組で、
伊丹十三さんは
最初の出演「親子丼珍道中」から、
出演回には企画や演出にも関わっているそうです。
たとえば「天が近い村」という回においては、
ドキュメンタリーとはなにかについて、
現在テレビマンユニオンの取締役副会長である
今野勉さんと、
そうとう話し合われたということが
DVD「13の顔を持つ男」や
「伊丹十三の本」(新潮社)で述べられています。
また、1972年には
「伊丹十三の日の出撮影大作戦」の回が
放送文化に貢献したものに与えられる、
ギャラクシー賞を受賞しています。

番組のタイトル画は、安野光雅さん。
テーマ音楽は、1962年にジェリー藤尾さんの歌で
ヒットした、「遠くへ行きたい」
(作詞:永六輔、作曲:中村八大)です。
これは、番組開始時はデュークエイセス、
そして永六輔さんと続き、
その後さまざまな歌手の方や
グループに歌い継がれています。
(現在は森山良子さん。)

「遠くへ行きたい」の現在の放映時間は、
毎週日曜 朝7:30 - 8:00
(地域によって異なります)です。
番組HP:http://www.to-ku.com/


2009-06-10-WED

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