演出家と観客を、ここちよく騙す。 堀尾幸男さんの 舞台美術という仕事
 
アトリエ訪問編 第7回 ほどよく気軽にオペラを観てほしい。
堀尾 きょうお見せするように用意したのは、
あと、これですね。
オペラの舞台の模型。

── なるほどお‥‥。
やはり野田さんの舞台美術とは
かなり雰囲気がちがいますね
堀尾 ええ。‥‥でも、こういう、オペラにはみなさん、
あまり興味がないかもしれませんね(笑)。
── いやいや、そんなことは。
たしかにぼくらは機会がなくて、
本格的なオペラを観たことはありません。
でも、興味はあります。
堀尾 そうですか。
では、簡単に説明しましょう。
これは、ワーグナーの
『さまよえるオランダ人』という作品です。
── ワーグナー。
たしかドイツの人ですよね。
堀尾 ええ、ドイツの有名な作曲家です。
── この舞台も新国立劇場で?
堀尾 はい。
派手なところからお見せしますね。
この模型、電動で動くんです。
いきますよ。

── はい。
堀尾 (スイッチを押す)



ジジジ‥‥。
── おお。



ジジジジジ‥‥。

おおお。



ジジジジジ、ジ。
堀尾 ラストシーンにこうやって、
三角形の背景が持ち上がって──
三角形は船の舳先(へさき)です。
その船首に女性が立ち、
舞台の上空(たかみ)から奈落(ならく)まで
一気に船ごと沈むという演出。

── やはり、この人形が定規になりますね。
舞台がいかに大きいかがわかります。
堀尾 そう、わかるんですよ、いろいろ。
たとえばこの舞台のかたちは
プロセニアムアーチというんですけど‥‥。
あ、プロセニアムは額縁という意味です。
円形とかのステージじゃなくて、
額縁の絵のように切り取ってみせる
舞台のつくりかたで。
‥‥なんだか、どんどん専門的になってますね。
まあいいや、話しちゃえ(笑)。
── はい、ぜひ(笑)。
堀尾 プロセニアムだと、客席から見きれてしまうものが
いろいろ出てくるんですよ。
それが模型で見るとよくわかる。
ああ、ここは見えちゃうから文字(もんじ)で
隠さないとだめだ、とか。
文字っていうのは、隠すための布ですね。
── なるほど。
堀尾 とまあ、模型というのは、
そういうのを確認するためにっていうのと
あとはやっぱり、演出家を騙すために(笑)。
── (笑)
堀尾 やりたいことがあるときには、
「ここがこうなるから大丈夫」と言えるし、
やりたくないことがあるときには、
「やめましょう」って言うんじゃなくて、
模型を見せて、
「ぼくはべつにやりたくなくはない。
 あなたのためには、むしろやりたい。
 でも、ほらね、物理的に無理なんですよ」って、
そのへんは、年取るとうまくなるんです(笑)。
── (笑)でも、そうはおっしゃいますが、
この『さまよえるオランダ人』も、
かなりいろいろな装置をつくられてますよね。
堀尾 それはもちろん。
基本的に作るのは好きですから。
── 下にも装置がありますが。

堀尾 この下の部分は奈落です
客席からは見えない部分で。
そこに大道具が置いてあるんです。
── ならくの底の、「ならく」ですね。
丸い大道具は、船の舵(かじ)でしょうか?
堀尾 『さまよえるオランダ人』は、
幽霊船が海をさまよう話なので、
舵は道具として出てきます。
でも、下にある大道具は、糸車なんですよ。

── ほんとだ。
形は似てますが、これは糸を紡ぐ紡ぎ車ですね。
堀尾 ひとつだけ、舵の形をした糸車があるでしょう。
── はい、あります。
堀尾 ここがまた嘘でして、騙すんですけど(笑)、
ラストに船が来ると、
こう、上からこの、家の枠がおりてくるんです。

── おおー。
堀尾 そうすると、舞台が「部屋」になる。
そこに糸車が並んで、役者たちが回すんですね。
つまり、
みんながそれぞれの人生を歩んでいるんだ、
それぞれが自分の船の舵をとって、
人生を紡いでいくんだ、と。
まあ、そういうこじつけをやるんですよ(笑)。
── なるほどー。
堀尾 このくらいでやめときましょう。
オペラの話になると、長くなるんで(笑)。

── 興味深いお話でした。
ぼくらがオペラを観たことがあれば
もっと深いお話ができたのでしょうが‥‥。
堀尾 ちょっと敷き居が高いですからね、オペラは。
入場料も高いし。
── はい、正直たしかに、
そういう印象はあるかもしれません。
堀尾 弁護士とか建築家とか教諭とか、
いわゆるインテリの芸術っていうイメージが
ありますよね。
── ええ。
堀尾 でもぼくは、豆腐屋の息子ですが
オペラを観ますし、創ってもいます。
── なるほど、
本来はだれでも楽しめる舞台だから、
もっと気軽にオペラを観たほうがいいと。
堀尾 いや、
オペラは、ちょっと勉強して観たほうがいいです。
古典のものは歌舞伎なんかでもそうですが、
様式美が入るので、その基本とか、
おおまかな物語の流れとか、
そういうのを知ってると、
「ああ、ここはこう演出したのか」という
たのしみがあるんです。
── それを知らないと、
「きれいだなー」で終わってしまうと。
堀尾 それでもいいんですけどね。
でもせっかくですから、ちょっと勉強して、
ついでにちょっとおしゃれもしてですね(笑)。
そのうえで気軽に観にいくといいですよね。
  (つづきます)
2008-06-24-TUE
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