糸井 今、イタリアも、
そんなにハッピーな状況ではないと思うんですよ。
イタリアにいるアンリさんの環境と、
日本の環境はそれぞれ違いますが、
どちらも、決して希望に満ちあふれた人たちが
元気よく生きているわけじゃないよなぁ、と。
そういう状況で、アンリさんが今感じていることを
聞いてみたいんですけど。
アンリ ‥‥‥‥(無言で、考え中)。

糸井 考え込んじゃった(笑)。
フミコさん
(アンリさんの
 奥さん)
アンリは、イタリアの話になると
とまらなくなると思いますよ(笑)。
アンリ E Italia‥‥(白熱してお話中)‥‥‥。
フミコさん (アンリさんを止めながら)
‥‥OK,OK.
ちょっとストップしないと、
わたしが忘れてしまう。

一同 (笑)
アンリ イタリアは、歴史、芸術、自然、食、
そしてクリエイティビティにおいて、
とても豊かな国でした。
偉大な人も、たくさんいたんです。
でも、そういう人たちがいたにもかかわらず、
そのパワーがどんどんなくなってきている。
それはきっと、
国のせいだとかそういう問題ではなくて、
一人一人が自分だけの快適さを求めていて、
隣人を愛さなくなっていっている。
自分だけがよければいい、助かればいいという人が、
そういう、かたよった人間が
多くなっているように感じます。
糸井 はい。
アンリ 敬うことや、感謝の気持ちというのは、
ほんとうに大切です。
太陽が出たら、太陽に感謝するという、
そういう自然との対話が少なくなってきている。
ですから、ほんとうに、
イタリアのこれからが心配です。
糸井 そうかぁ。
それって、まさにさっき話した
「Thanks(サンクス)」に敬いの要素が入った
「Appreciate(アプリシエイト)」ですよね。
アンリさんが感じるには、
イタリアには、それが欠けてきていると。

アンリ はい、まさに。
糸井 モノでも人でも、
「代わりがある」と思っていたら、
「Appreciate」って生まれないですよね。
ぼくがそう感じているのと同じようなタイミングで、
イタリアという別の場所で生活を営む
アンリさんの口から似たような言葉が出た。
みんな似たようなことを思っているんですね。
アンリ そうですね。
昔は、イタリア製といえば、
それだけですばらしいモノだと認識されていましたが、
現在、イタリアの法律では
その製品の30%をイタリアでつくっていれば、
残りの70%が別の場所でつくられていても
「MADE IN ITALY」とつけていい、
ということになっています。
ですから、今のイタリア人は
ビジネスのことばかり考えて、
70%はポーランドなどの賃金が安いところで
つくっているんです。
「MADE IN ITALY」さえついていればいい、
そんなふうに考えられています。
中身のない「MADE IN ITALY」なんです。
糸井 中身のない「MADE IN ITALY」。
アンリ わたしの工房は、
イタリアのヴィジェーヴァノという
人口6万5000人ほどのちいさな町にあります。
昔は、靴やバッグの工房があって
世界的にとても有名な場所でした。
でも、そのころにあった工房の
90%、95%は、今はもうありません。

糸井 えー、そんなに!
アンリ はい。もうありません。
そこでつくられていた製品の多くが、
海外で安くつくられるようになったからです。
海外でいいモノをつくる、ということではなく、
あくまでも、「安くつくる」ために。
糸井 そうかー。
そういえば、アンリさんの製品には、
必ず「MADE IN ITALY」のあとに、
「100%」って、ついていますよね。

アンリ そうなんです。
ぼくは、ヴィジェーヴァノの工房で、
職人たちといっしょに仕事をしていて、
100パーセント、そこでつくっています。
だから、ある種のユーモアも込めて、
堂々と製品に、
「MADE IN ITALY 100%」と入れています。
でも、わざわざ「100%」と謳うことは、
ほんとうは悲しいことなんですよ。
糸井 いつごろから、
イタリアはそうなっていったんでしょうか?
アンリ ‥‥15年くらい前から、
出口の見えないトンネルに入ったような感じです。
15年前には、奥には出口が見えたんですよ。
だけど、だんだんその出口の光が小さくなっていって、
今はもう見えない。
この15年間、どうしてイタリアが
トンネルから抜けられないんだろう、と考えました。
その結果、抜けられないんじゃない、
たぶん、抜けたくないんじゃないかと
考えるようになりました。
糸井 抜けたくない?
アンリ そうです。
手仕事でつくるモノであるとか、
本質を愛すことであるとか、
そういうことは、
もうめんどうくさいと思っているかもしれない。
このままでいいと、
みんなが考えているんじゃないかと。

糸井 アンリさんは、15年以上前のイタリアを
知っているわけですから、
さっきおっしゃっていた豊かさを
味わったことがあるわけですよね。
アンリ はい、1970年代のイタリアからは、
学ぶことがたくさんありました。
そんなイタリアを心から愛していましたね。
糸井 どうにかして、トンネルを抜けたいね。
あの、アンリさんが住んでいる
ヴィジェーヴァノという町の人口が
6万5000人だといってましたが、
ちょうど気仙沼が7万人くらいの都市なので、
同じくらいなんですよ。
アンリ そうなんですか。
糸井 そういう意味では、
日本のぼくらが、なにかイタリアの手伝いが
できるかもしれませんね。
6万5000人の田舎町で、
なにかできるかもしれない。
アンリ ぼくも、やりたいです。
使いたい、手を使いたいです。
なにかはじめると、
次のなにかへとつながっていきますから。
はじめようよ。
糸井 アンリさん、燃えてますね(笑)
うん、はじめましょう。

(つづきます)
2012-09-19-WED
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