第11回 アクティブに巻き込まれながら。

糸井 早野さんが懸念していることは
ほかにありますか?
早野 やはり、大きな問題は、出て行った人々が
帰ってくるだろうかということです。
糸井 それは、原発の事故が原因で
ほかの場所に避難している人たちが。
早野 はい。たとえばいま郡山に住んでる人たちがいる。
2年経って、生活もようやく安定しはじめている。
その人たちが、たとえ、警戒区域が解除されて、
もう住んでもいいですよと言われたからといって
帰ってくるんだろうか。
もちろん帰る人もいるでしょうけど、
おそらく年齢の高い人たちが多いでしょう。
もともと住民の年齢層が高いということもあります。
そういう方たちが中心となって町へ帰ったとき、
どのように生活していくんだろうかと。
糸井 たしかに、簡単なことじゃないですね。
早野 帰りたい人たちが帰れるように、
もちろん我々もお手伝いさせていただきます。
でも、いったいどうすれば
みんながよりよく暮らしていけるのだろうかと。
ガスや水道は、そのうちに通じると思うんです。
電気もいつかは復旧するでしょう。
家も新しく建てたとします。
だけど、帰ってきた人たちは
どうやって生活を立てていくのか。
そこを考えると、なかなか厳しいものがあります。
いったい何をクリアーすれば
帰還、帰村、ということが
現実味をもって語られるのか。
依然としてそこが課題だと思うんですよね。
糸井 はい。
早野 福島に行くたびにいろいろと考えるんですけれども、
確信を持って言えるようなことって、ないんです。
時間のファクターは非常に大きくて、
2年も避難生活が続けば
その場所に人間関係ってできてしまっているので。
糸井 そうですね。
それは、ルールで解決できるようなことではない。
早野 そうなんです。
この条件が整ったら帰るよ、ということではないし、
これとこれがクリアーになったから
さぁ、帰ってきてください、ということでもない。
だけど、いまの政権はどうも
出ていった人たちを帰還させるということを
最優先で打ち出したいみたいなんですね。
そのためのガイドラインを
官僚の人たちが中心になって
一生懸命つくっているみたいだけど、
それって果たして現実的なのかなと。
ひと言でいうと、それって単に、
線量だけの問題じゃないだろうと思うんです。
糸井 たしかに。そういう問題ではない。
早野 違うんですよ。
ただ、そこでぼくが彼らに相談されて
「こうすればいいじゃん」って
はっきり言えればいいんですけど、
いまのところ、言えることがないんです。
しかも、時間が流れるほど、状況は難しくなる。
たとえば、子どもが学校へ通いはじめたら、
それだけでずいぶん動きづらくなりますよね。
現政権が帰還促進ということに
反対はしませんけど‥‥。
糸井 帰還促進って、短いタームのスローガンですよね。
ある短い期間に成果を見せるためには
とってもわかりやすいんだけど、
長い歴史のなかでどういう意味を持つかというと
単発の花火になってしまいそうなことで。
早野 おっしゃるとおりです。
糸井 それは、根本的には、震災や原発の事故の前から、
もともと地方が抱えていた問題も関係しています。
そういう意味でも、
やっぱり簡単なことじゃないですよね。
ただ、早野さんのような方が、
そこに巻き込まれているということ自体は、
大きい意味ではいいことだと思います。
つまり、「帰ったほうがいいに決まってる!」
っていう人たちだけで
ガイドラインを整えるんじゃなくて、
「どうすればいいんだろう」って考えてる人の声が
チームに入っていくのは悪いことじゃない。
早野 そうですねぇ。
(窓の外に流れるメロディーを聴いて)
‥‥わ、なんかチャイムが鳴っちゃいましたね。5時?
糸井 5時ですね。
予定の時間をずいぶん‥‥。
早野 予定、はるかに過ぎてますよ(笑)。
糸井 3時間以上経ってますね。
ええと、じゃあ、こういうことで、
おしまいにしますけれど。
今日は、見学に来てくださった方も
いらっしゃいますので、
ちょっと感想などうかがってみようかと思います。
まずは、福島で農業をやってらっしゃる
藤田浩志さんです。
今日は、遠くから、ありがとうございます。
藤田 いえ、そんな遠くもないです(笑)。
今回のお話のなかにもありましたけど、
福島県というのは、どうしても原発事故や
放射性物質の問題だけで語られがちです。
議論になるのも、データとか数字ばかりです。
でも、じつは、そこに我々は住んでいて、
生きているんです。
もちろんデータも大事なんですけど、
人の心、営みっていうものについて、
震災から3年目に入って、ようやくみなさん、
注目してくれつつあるのかなと。
ただ、その反面、被災地に対して、
「そろそろ大丈夫だろう、
 支援がなくても立ち上がれるだろう」と
思ってらっしゃる方も増えてきているようです。
あるいは、地震や原発事故そのものに対して
関心が薄れてきている
ということもあると思うんです。
そういう流れは仕方がないことだとも思いますが、
だとしたら、いまそこに住んでいるわれわれに
何ができるんだろうっていうのは、
自分たちで突き詰めていくしかないんだろうなと。
そういったことが、
早野さんと糸井さんの話を聞いて、
いま、正直に思っていることですね。
我々農家は、震災と原発の事故によって
安全性というものを根こそぎ奪われました。
こういうたとえがいいかどうかわかりませんが、
ある日、住んでた家に火をつけられて
何もなくなっちゃったような状態でした。
そんなときに、早野先生のご活動をはじめとした
様々な方のご支援によって、我々農家は、
いわば、自分たちの建物の基礎をつくってもらった。
それで、ようやく、間取りの話とか、
構造の話ができるようになってきたんです。
我々の農業がお店だとすれば、
「そこで本当に大丈夫なの?」っていうお客さんに、
ちゃんと構造のお話をする基礎ができた。
で、もちろんそれは大事なんだけど、
お店だとしたらそれだけじゃダメで、
じゃあ、この先、このお店が
どうすれば楽しくなるか、にぎわうか、
それをみんなで話しませんかというタームに
ようやく入ってきたのかなと思うんです。
とくに、郡山なんかはそうです。
逆に、海岸線のほう、原発周辺ほうは、
同じ福島県内でもまったく違うと思います。
だから、少なくとも会津や中通りは、
できることをしっかりたのしんでやって、
原発周辺の方であるとか、
津波の被害に遭った方に
われわれの日々の行動によって
「なんとかなってきたかな」って
少しでも思ってもらえるような状況を
震災から3年目のいま、つくっていきたいです。
糸井 ぼくは、藤田さんがいま何をやっているか
っていうのを知るたびに、
いつも元気をもらってる気がするので、
なんでもいいから、いまこうしてる
っていうことを見せてほしいですね。
早野 「トラクターに乗って、大声で歌っている」とか。
糸井 そうそうそう(笑)。
藤田 (笑)
糸井 なんだかすごく励みになるし、
「これから、こういう人と何ができるだろう?」
っていう風に考えてしまう。
やっぱり、そういう人の後ろに道ってできるんですよ。
いや、ほんとに、実際には
たいへんなことだと思いますけど。
藤田 あの日に起きてしまったことは、
本当にたいへんなことなんですけど、
やっぱり自分は人に生かされて、
人に助けられてここにいると思うんです。
また、生きているだけじゃなくて、
非常にたのしい、やりがいのある状況で
仕事をすることができている。
それだけでも恵まれてると思うので、
それをみすみす投げ捨てたりはできないから、
前を向いてやっていきたいなと。
糸井 ありがとうございます。
(鈴木)みそさん、いかがですか?
みそ そうですね、ぼくは、
東日本大震災をテーマにしたマンガ
(『僕と日本が震えた日』)を描いたとき、
最初に原稿料をぜんぶ寄付するって決めたんですね。
偽善とか言われるかもしれないけど、
それってすごくどうでもいいことだなって思って、
とりあえず、やれることを
やっていこうと決めたんです。
でも、やっぱり自分の生活もあって、
ぜんぶは寄付しきれなかったということが
ぼく個人のなかで後悔としてありまして。
今年、来年と、寄付できるぶんを、
分割のような形で寄付していこうとしてるんですけど、
そうやって続けていくことで被災地とつながって、
忘れずに考え続けることもできるのかなと思ってます。
やっぱり、どんな形でもいいから、
まだまだ関わっていきたいなと思うんですね。
ぼくがマンガを描いていくことは、
誰かを楽しませるということにつながっている。
だとしたら、何をしたらいいかはわからないですけど、
できることを続けていきたいなと思っています。
糸井 ありがとうございます。
じゃ、八谷(和彦)さん。
八谷さんはいまはどんな状況?
八谷 いまですか。いまも、あいかわらず
「メーヴェ」をつくってるんですけど。
(※「メーヴェ」は『風の谷のナウシカ』に
 登場する一人乗りの飛行機。
 八谷さんは人がひとり乗れる
 パーソナルジェットグライダーを制作中)
ようやく飛ぶ一歩手前まで来てて。
もともと、あれをつくりはじめたのは、
「俺はナウシカにはなれないけど、
 ナウシカがいつか来たときに
 つかえるものをつくっておこう」
みたいなことを思って、
イラク戦争のときにつくりはじめたんです。
でも、今日、ずっと話を聞いてて、
「ナウシカ、目の前にいるじゃん」とか思って。
一同 (笑)
糸井 あ、この人ね。
早野 (笑)
八谷 早野さんって、行動がナウシカっぽいんですよ。
ナウシカの漫画版とかそうなんですけど、
あれ、ヒロインが超人的だっていうよりは、
周りの人が助けて、手伝わざるを得なくて、
群像劇として進んでいくところがあるんですね。
戦争とかで、なんともならない大きな問題を、
ひとりの少女ががんばっているところに、
いろんな人が関わって、
戦っている相手も手伝いはじめて、
全体が変わっていくっていう話で。
ああ、目の前に‥‥。
糸井 「ナウシカがいた」(笑)。
八谷 そういう観点から見ると、
早野さんって象徴的な人だなと思いながら。
糸井 これからは早野さんのことを、
ナウシカって呼ぼうか。
「歌舞伎座にナウシカがいたぞ」(笑)。
八谷 姿形は違いますけど。
糸井 まぁね、見た目じゃないからね、ナウシカは。
八谷 でも、行動原理とかが、
すごく近いなと思いながら、お話を聞いてました。
糸井 ナウシカがやらないと、
誰もやらないんだなっていうことですもんね。
八谷 で、やることはすごくピンポイントで
正しかったり、みんなのためになったりするので、
いろんな人が「手伝わせてください」って
どんどん巻き込まれていく。
糸井 だから、関わってる人たちがみんな、
ものすごくアクティブな受け身なんですよね。
早野さん自身が何かに巻き込まれるときも、
アクティブな受け身だし。
こう、前のめりの受け身。
それは関わり方としては最高ですね。
いや、長い時間、ありがとうございました。
早野 ありがとうございました。
(早野龍五さんと糸井重里の対談は今回で終わりです。
 最後までお読みいただき、
 どうもありがとうございました。)

マンガ・鈴木みそ

鈴木みそさんのプロフィール」
2013-07-01-MON