第1回 ぼくは「暮らし」が撮りたかった。
── サハリンには、どんな人が住んでるんですか?
後藤 日本統治時代にサハリンに渡って
さまざまな事情で
日本への帰国船に乗ることができないまま
住み続けている人が80人くらい。
── そんなに。
後藤 たとえば、このおばちゃんとか。
ワタナベハツエさんという人なんですけど。

photo:後藤悠樹

── ご家族はというか、
おひとりで暮らしてらっしゃるんですか?
後藤 いえ、息子さんといっしょに。

旦那さんは韓国系だったみたいですけれど
亡くなってしまったそうです。

photo:後藤悠樹

── つまり、もともと日本の人なんですね。
後藤 ハツエさんは、そうです。

あるいは
ぼくの知り合ったおばあちゃんのなかには
「日本語がしゃべれるんだけど
 血筋としては韓国系で、国籍はロシア人」
という人もいたりします。
── おお、複雑。
そういう人とも日本語でしゃべるんですか?
後藤 はい。

みなさん、日本の統治時代を経てますから
日本語をしゃべれるんです。

でも、はじめて会ったときには
「わたし、日本語をしゃべるの3年ぶりよ」
とか言ってましたけど(笑)。
── それって‥‥ご自身の「気持ち」としては
「なに人」なんでしょうかね?
後藤 うーん、そのおばあちゃんの場合は
「国がロシアになっちゃったわ」みたいな、
そんな感じじゃないかなと思います。
── はー‥‥。
後藤 「わたし日本人だから」って言ってますし。
あの‥‥この人なんですけど。

photo:後藤悠樹

── このかたが
「日本語がしゃべれるんだけど
 血筋としては韓国系で、国籍はロシア人」
の、おばあちゃん。
後藤 日本名は「カネカワヨシコ」さんです。
── 日本名?
後藤 サハリンのおばあちゃんたちって、
コミュニティによって
日本名と韓国名とロシア名を
使いわけてるんです。
── つまり、韓国人と付き合うときは韓国名で、
ロシア人と付き合うときはロシア名?
後藤 そう。
── で、後藤さんとしゃべるときはヨシコさん。
後藤 はい(笑)。
── 目が‥‥。
後藤 あ、見えないです。
── ちなみに食べものは、どんな感じですか?
後藤 名前といっしょで、
日本と韓国とロシアがミックスしてます。

日本の煮付けと、韓国のキムチと、
ロシアのスープが
同時に食卓に載ってるみたいな(笑)。
── へぇ、おもしろい。
後藤 ロシアのピクルスが入った瓶のとなりに
しょうゆ差しが置いてあったり。

で、ハツエさんのお孫さんって
ロシア人と結婚していて、
もう、お子さんもいらっしゃるんですね。
── じゃあ、そこでさらにミックスされて。
後藤 そう、日本のおばちゃんと
韓国系の旦那さんとの間に生まれた子の子が
ロシアの人と結婚して、さらに子を産んで。
── そうやって、
どんどん混じりあっていくんですね。

photo:後藤悠樹

後藤 あの‥‥ハツエさんって、
15歳で結婚して、この村に来たそうです。
── それからずっと、住んでる?
後藤 はい、そう言っていました。

それまではサハリンの別の村に住んでいたけど、
韓国系の人と結婚して、
いま76歳だから‥‥
もう61年も、この村に住んでいるんです。
── すごく、朗らかな感じ。
後藤 いや、本当にそう。
すっごくいい顔をしてるんです、みんな。
── カメラを向けると?
後藤 いや、しゃべってると。
本当に生き生きしてるんですよ、いつも。

ハツエさんは、とくにそうなんですけど、
笑顔がもう、ピッカピカで。
── 決して楽ではない半生だったはず、ですよね。
後藤 そう‥‥だと思います。

とくに日本統治時代に日本から渡った人たちは
故郷へ帰れない時期も長く続いて、
もう何十年も親族と離ればなれになって‥‥という
人生があったことは、たしかですから。
── はい。
後藤 だからぼくも、はじめてサハリンに行く前は
ちょっと暗いところなのかなって、
勝手に、思い込んでいたところがあるんです。

でも、実際に行ってみたら‥‥。
── そうじゃなかった?
後藤 必ずしもみんな、そんなことなかったんです。

旧ソ連時代の写真も見せてもらったんですが
一般的に、その時代のことって
「暗いイメージ」が先行するじゃないですか。
── ええ。
後藤 でも、みんなで楽しそうに
海水浴して遊んでる写真とかもあるんですよ。

でも「それが当たりまえだよなあ」って、
あとから思ったりして。
── たしかに大変なことは多かっただろうけど‥‥。
後藤 そればっかりじゃないと思うんです。
ちゃんと楽しいことだって、あったよなあって。

年がら年中、暗い気持ちのままで
生きていける人って、
いないんじゃないかなあって思ったんです。

だからハツエさんも、どんな状況でも、
きっと、楽しみを見出してきたんだと思います。
── その時代の人にくらべたら
ぼくなんて、のほほんと生きてるだけですから
簡単には言えないことですけど、
どんな状況でも
楽しみを見出してほしいなあとも思います。
後藤 ひとり、めっちゃくちゃ将棋の強い
おじいちゃんがいるんです。
── 将棋って、あの、日本の将棋?
後藤 そう、サハリンって日本に近いですから
場所によっては
日本のテレビ番組が映ることもあるんです。
── そうなんですか。
後藤 で、そのおじいちゃんは
ふだんから将棋講座みたいな番組ばっかり
観てるんですって。

で、ぼくが遊びに行くと「将棋やろう」と。
── はあ。
後藤 もう、ずっと観てるからハンパなく強くて。

でも、サハリンには
対戦相手になる人がいないみたいなんです。
── そうか。
後藤 だから、行くと、必ず「将棋やろう」って。
ウォッカを片手に(笑)。
── ふだんは、サハリンで日本の将棋番組を観て
腕の見せどころを
いまかいまかと待っているおじいちゃん‥‥。
後藤 そう(笑)。
── ちなみに
さっきのヨシコさんって、どんな人ですか?

「日本語がしゃべれるんだけど
 血筋としては韓国系で、国籍はロシア人」
なのに
自分のことを「日本人だ」と言うのって
なぜなんだろうと思って。
後藤 ヨシコさんはいつも
「私は韓国人だけど、心は日本人よ」って
そう言っています。

たぶん、大きいのは、
ヨシコさんの生まれたのが日本統治時代で、
はじめに付けられた名前が
日本名の「カネカワヨシコ」だったこと。
── ああ‥‥。
後藤 つまり、その名前で
いろんな公的な書類をつくったり
届け出をしてきたから‥‥ということが
まずは、あると思います。
── なるほど。
後藤 でも、もっと大きいのは、
ヨシコさん、日本の歌が大好きなんです。

それが、心の部分の理由だと思う。
── 歌‥‥というと、たとえば?
後藤 むかしから、ラジオに
日本の放送が雑音混じりに流れてくるのを
楽しみに聴いていたらしいんです。

とくに、美空ひばりの歌が大好きだって。
── 日本統治時代のサハリンじゃない、
いまの日本のどこかに
住んでいたことはあるんですか?

後藤 ないです。
ヨシコさんご自身、サハリン生まれなので。
── いまの日本には住んだことがなくて、
でも、ラジオから雑音混じりに流れてくる
美空ひばりの歌を聴いて育ったから
「心は日本人よ」‥‥と?
後藤 はい。
── そんなに単純なことかわかりませんが、
たしかに歌って、心にグッと来ますものね。
後藤 いや、実際そうだと思います。
── アイデンティティというものには
いろんなケースがあると思うんですけど、
ヨシコさんの場合って
自然に決まっていたというわけでもなく、
かといって
「自分で決めた、選び取った」って感じでも
なさそうだし、なんというか
「どこに心を寄せたか」というような‥‥。
後藤 そう、日本の歌が好きだったんですよ。
── 美空ひばりさんの歌に、心を寄せたんだ。
後藤 たぶん。
── なんというか‥‥すごい話ですね。
後藤 少し前に、電話したんです。ヨシコさんに。

いつも1000円のプリペイドカードを買って
国際電話してるんですけど、
そのとき
「こんど『ほぼ日』っていうところに
 取材してもらうんだ」って伝えたんです。
── ええ。
後藤 そうしたら「伝言」を頼まれまして。
── え、ぼくらに?
後藤 はい。

「日本の人に、伝えてね」って。

「サハリンに、
 こういうおばあさんがいましたよって
 伝えてね」って。

photo:後藤悠樹

<つづきます>
2013-11-20-WED

 

撮影協力/日本写真芸術専門学校