2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.26

「島の音色、作家の思い」

 俳優・演出家の串田和美(かずよし)さんに、「シェイクスピア講座2018」の講義をお願いしたいと思ったのは、昨年2月に上演された「K.テンペスト2017」(長野県・まつもと市民芸術館)を観た友人が絶賛するのを聞いたからです。

 特にその音楽の素晴らしさ! 『テンペスト』という芝居で重要な意味を持つ“妖精”の奏でる音楽を、実際にどんな音にするかで芝居の印象は大きく変わります。

 劇中で“まだらの怪物”キャリバンが、こう語ります。

<‥‥この島はいろんな音や

いい音色や歌でいっぱいなんだ、楽しいだけで害はない。

ときには、何千もの楽器の糸を弾くような調べが

耳元に響く。ときには歌声が聞こえてきて、

ぐっすり眠ったあとでも

また眠くなったりする。そのまま夢を見ると、

雲の切れ間から宝物がのぞいて、

俺のうえに降ってきそうになる、そこで目が覚めたときは

夢の続きが見たくて泣いたもんだ>(第3幕第2場、『シェイクスピア全集8 テンペスト』松岡和子訳、ちくま文庫

 今回の講義では、「K.テンペスト」でキャリバン役を演じた武居卓さんが来て、これを朗読してくれました。それに合わせて私たちが、「K.テンペスト」で音楽を担当した飯塚直さんにリードされ、はるかな「島の音」――海の底に眠る死者たちの、あるいはさまざまな生きものの、聞こえないかもしれない音の気配を感じ取りながら、声を発して和してみました。

 「K.テンペスト」が、なぜあの島の、いのちの根源のような音色に辿りついたか、想像力の追体験です。

 「K」って串田版という意味ですね? もちろん、答えはイエスです。

 松岡和子さんの現代語訳をベースにしながら、そこに串田さんが想像力を膨らませ、新たな場面やセリフを書き加えたり、思い切った潤色をほどこしています。それがKのサインです。

 「K.テンペスト」では、舞台と客席の境界がはっきりしません。開演前に役者と観客が雑談をかわしているうちに、いつともなく芝居が始まって、途中、物語とは無関係に思える場面がはさまったり、ところどころノイズや異物が飛び込んだり、夢と現実の世界が入りまじる独特の舞台空間が広がります。

 それにならって、今回は教室のレイアウトも変えました。講義も「Kスタイル」でお願いしました。

 さて、シェイクスピアの『テンペスト』という戯曲、読んでいない方も多いと思います。シェイクスピアが執筆活動を、これで打止めにしようと思った作品です。実際、この作品が上演された頃に、故郷ストラットフォード・アポン・エイヴォンに引退し、静かな余生を送ろうとします。

 そう思うと、先ほどのキャリバンのセリフを含めて、この作品のいたるところに、「人生は芝居、人は役者」と考えたシェイクスピアの演劇観、世界観が総集編のように散りばめられている気がします。

 結局のところ、シェイクスピアはその後も時々ロンドンに出たり、断筆の決意を翻して後輩と2作を共作しますが、単独作としては『テンペスト』が最後の作品です。

<この作品の一番の魅力は、その詩的言語の音楽性と舞台のスペクタクル性にある。それこそが、本作が一六二三年に初めて刊行されたシェイクスピア全集の巻頭を飾り、傑作とみなされてきた理由なのである>(河合祥一郎、前掲ちくま文庫「解説」)。

 物語はたわいもないおとぎ話の体裁です。ナポリ王と通じた弟の奸計によって領国を追われたミラノ大公プロスペローは、娘のミランダと2人、孤島に隠れ住んで12年になります。ある日、その島の近くを、仇敵であるナポリ王と弟の一行を乗せた船が通りかかります。これを復讐の千載一遇の機会ととらえたプロスペローは、得意の魔術を使って嵐(テンペスト)を起こし、船を難破させ、彼らを島に引き寄せます。そして、自分を追放した悪人たちを懲らしめた末に、赦(ゆる)しを与え、敵であるナポリ王の息子と恋におちた娘ミランダを添い遂げさせ、彼らともども、領国であるミラノへ帰還します。復讐劇に始まる「赦しと再生」の物語です。

 全篇に魔法や呪文、妖精や精霊といったことばが溢れます。プロスペローだけでなく、彼の忠実な下僕(しもべ)である空気の精エアリエルも魔法を駆使します。この芝居の初演がいつだったかは不明のようですが、一説には1611年11月1日、万聖節(ばんせいせつ)の日に、国王ジェイムズ一世の御前で行われたとあります。万聖節の前夜といえば、妖精たちが跋扈する、ケルト起源の収穫祭(ハロウィン)の夜。いかにもこの芝居のお披露目に似つかわしく思えます。

 ちなみに、シェイクスピア劇で森の妖精が活躍する『夏の夜の夢』は、4月30日の夜から夜明けまでの物語です。ヨーロッパの基層文化であるケルト伝説では、5月1日は北ヨーロッパにいよいよ夏がやってくる「ベルティネ」祭の日です。太陽が輝きを増し、生命が横溢する季節に向かい、「闇の半年」から「光の半年」へと移り変わる節目です。労働者のベースアップをアピールする「メイ・デー」もこれが起源です。

 妖精のいたずらによって、エロティックでロマンティックな事件が次々と巻き起こり、やがてそれらが、おさまるべきところにおさまり、めでたし、めでたしの結末が訪れる『夏の夜の夢』は、まさにその大前提の上に展開します。

 さて、「K.テンペスト」――魔術では、串田さんも負けてはいません。

 テンペスト』はたわいもないおとぎ話かもしれないけれど、単純な物語だからこそ深みがあり、おもしろさがある、と言います。「シェイクスピアが作品にこめたかった思いは何だろう。彼の意識の奥底で動いていたものがきっとあるはず。それはいったい何だろうと、みんなで一緒に、あれこれ探っていくのがおもしろい」と、記憶の底からKの幻想を紡ぎます。

 今回の講義で、プロスペローのセリフがいままで以上に浮き上がってきました。

 孤島に流される際、本好きのプロスペローは、老臣のはからいで、大切な蔵書を何冊か持ち出します。それが魔法の本でした。プロスペローはこれによって偉大な力を身につけます。そして嵐を起こし、復讐劇を始めるのですが、最後に「この荒々しい魔術は捨てる‥‥私のもくろみどおり/みなを正気に戻したあかつきには、魔法の杖を折り、/地の底深く埋(うず)め、/測量の錘(おもり)も届かぬ深みに/私の書物も沈めてしまおう」と語ります。

 このセリフに、シェイクスピアの“断筆宣言”を重ねる読み方も可能ですが、それよりむしろこの直前に、プロスペローはふたつの重要なセリフを語っています。

<余興はもう終わりだ。いまの役者たちは、

‥‥みな妖精だ、そしてもう

空気に融けてしまった、希薄な空気に。

だが、礎(いしずえ)を欠くいまの幻影と同じように、

雲をいただく高い塔、豪華な宮殿、

荘厳な寺院、巨大な地球そのものも、

そうとも、この地上のありとあらゆるものはやがて融け去り、‥‥

あとにはひとすじの雲も残らない。我々は

夢と同じ糸で織り上げられている、ささやかな一生を

しめくくるのは眠りなのだ>(第4幕第1場、松岡和子訳

 そして大詰めの「赦し」の場面で――。

<なるほどあの連中の非道な仕打ちは骨身にこたえている、

だが俺は、激しい怒りは押さえ、気高い理性の

道をとるつもりだ。復讐ではなく、徳をほどこすことこそ

尊い行為。連中が後悔しているとあれば、

唯一の目的はもう遂げた、これ以上

けわしい顔を向けはしない。放免してやれ、エアリエル。

俺は術を解き、みなの五感を蘇らせ、

正気に戻してやる>(第5幕第1場、松岡和子訳

 みなを正気にもどしたあかつきに、「魔法の杖を折り‥‥私の書物も沈めてしまおう」と、先のセリフが続きます。いろいろな想像の芽が刺激されて、頭のなかを駆けめぐります。

 そして最後に、観客に向かってプロスペローは語りかけます。串田さんがそこに新たなことばを書き足します。

<そもそも、このプロスペローは、

海に沈んだ罪人たちが思い描いた、空想の存在にすぎません。

海辺に打ち上げられては引いていく、骨のかけらの、

小さな、小さな粒となったいくつもの思いたちの、

たわいないおしゃべりにすぎません。

私もまた、空気の中の希薄なスピリットにすぎません>

 講義には、前々日まで神奈川芸術劇場(KAAT)で、カレル・チャペックの劇作「白い病気」で串田さんと共演していたTCアルプのメンバー(近藤隼、下地尚子、武居卓、細川貴司さんら4名)と飯塚直さんが“友情出演”で駆けつけてくれました。教室が「K.テンペスト」の魔法によって、遠い島へ旅したような150分間でした。

2018年3月15日

ほぼ日の学校長

写真提供:まつもと市民芸術館

撮影:山田穀

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