おわりに

これまで福島県に行ったことがあったかと
よくよく思い返してみたのだけれど、
どうやらこの夏がはじめてだった。

通ったことはあるけれども、
降りたことも歩いたことも泊まったこともなかった。
この夏、ぼくは、はじめて福島に行った。
そして、たくさんのことをはじめて知った。

地震の速報などで
「浜通り」「中通り」といったことばを
しょっちゅう目にしているでしょう?
ぼくはあれを、国道だかなんだか、
そういう「ストリート」だと思っていた。
笑うかもしれないけど、
きっと、これを読んでる人のなかにも何人か、
「え? 違うの?」って
思っている人がいるんじゃないだろうか。
あのね、あれって、こういうことなんですよ。

そういうことも、いちいちはじめて知った。
あと、福島県にある地方球場に行く場合は、
最寄り駅まで電車で行く、
という方法はとらないほうがいい。
福島県内は、基本、車で移動だ。
いまさらだけど。

福島県大会に出場する高校の
登録メンバーを何度もチェックしたせいで、
福島県には「斉藤」という名字が多いことも知った。
(聖光学院のベンチだけで3人いる)
「星」とか、「芳賀」とかも多かったと思う。
福島高野連の理事長と同じ、
「宗像」という名字もよく見かけた。

そして、たとえば、細かいことだけれども、
対戦するチームどうしが
試合前に交換するメンバー表には、
肘当てやサポーターを
どの選手がどこにつけているかということを
細かく記さなくてはならないということも
取材してみて、はじめて知った。

あるいは、試合中、選手だけでなく審判も
水分をこまめに補給しているということ。

『ねらいうち』や『タッチ』だけでなく、
『残酷な天使のテーゼ』なんかも
応援歌として演奏されているということ。

ネット越しにオートフォーカスで写真を撮ろうとすると
ピントがネットに合ってしまうので
マニュアルで撮るか、ネットにレンズを
すごく密着させて撮ったほうがいいということ。

福島の今年の夏空は、
晴れているようでも唐突に
大粒のにわか雨を降らせることがあるということ。
また、そのときの「これは降るぞ」という
空気や匂いも、かなりわかるようになった気がする。

そして、結果的にこういうことも知った。

福島県は広く、地震の揺れの影響は
地方によってかなり異なるということ。

警戒区域内の地割れや落石は、
3月11日の地震によるものだけでなく、
最近の大きな余震によるものが多いということ。

検問などに立つ警察の人たちは、
年間の被曝量を考慮してか、
全国のさまざまな県から呼び集められていて
交代しながら受け持っているらしいということ。

残された動物たちは食べるものがなくて
おおむね痩せているが、
鳥たちは変わらず自由にはばたいているということ。

はじまる前には、想像もしなかったことばかりだ。
こんなことになるとは思わなかったなぁ、と、
いまでもしみじみ思う。

だって、高校野球が終わっても、
ぼくはまだ警戒区域内の動物たちに
エサと水をあげるボランティアを続けている。

十代のころに犬を飼ってはいたが、
実家を出てからはペットと縁のない生活をしている。
友人の家にいる猫も、
会社に遊びにくるブイヨンも大好きだけれど、
それでも、自分が動物関連のボランティア活動に
携わるなんて思ってもみなかった。

どういうふうに自分は振る舞うべきかと
ひとりでどんなに深く考えたとしても、
被災地の動物たちにエサをあげることに
ぼくは思い至らなかったと思う。
あるいは、考えててもしょうがないと開き直って、
やみくもに動き出していたとしても
こんなことにはなっていなかっただろう。

ひと夏、高校野球を追いかけて、
夏が終わるころには、
それまで自分のなかにほとんどなかった、
動物たちに対する新しい価値観が生まれている。
ほんと、不思議なことだなあと思う。

きっと、考えているだけではだめだし、
考えることをあきらめてもだめなのだろう。
独り言のようにして、いま、そう思う。

高校野球をめぐる、
福島の特別な夏は終わろうとしている。
けれども、あいかわらず、
福島の難しい問題は解決されぬまま、
日本中、いや、世界中の課題としてある。

深夜、福島から帰ってくる道中、
震災直後から動物の保護活動をずっと続けている
ミグノンの友森さんに訊いたことがある。
考えても考えても、そこがひっかかったから、
ぼくは、友森さんに正面から、こう訊いたのだ。

──きりがないとか、途方もない、という問題に対して、
友森さんは、どう折り合いをつけているのですか?

夜の東北道を見つめながら、
まず友森さんは、あんまり考えてない、と言った。
そして、しばらく考えたあと、こうつけ加えた。

「こんなふうに、一匹一匹を保護したり、
 エサとか水をあげてても、
 意味ないんじゃないかな、
 と思うことは、ときどき、ある」

そこで、またちょっと考えて、こう言った。

「でも、動物が目の前にいたら、
 そんなことは、もう関係ない」

ああ、とぼくは相づちをうった。
それで十分な答えであるように思った。
けれども、まだ友森さんは考えていて、
そして、もう一度、答えた。

「私は、結果を出そうとしてるわけじゃないし、
 誰かのためにやってるわけでもない。
 たぶん、被災地で、
 残された動物たちを保護するのが
 たのしいからやってるんだと思う。
 見つけて、つかまえて、連れて帰って、
 世話するのって、たのしいから」

そこに出てきた「たのしいから」というキーワードは
意外だったけれども、じわじわと腑に落ちた。

そう、この夏、ぼくは
大好きな高校野球をさんざん追いかけた。
言うまでもなく、「たのしかった」。
たのしいから、暑いのも眠いのも、ぜんぜん平気だった。
いや、むしろ、こんなことをやらせてもらって
申し訳ないなあと思っていた。

言われてみれば、ぼくらはとっくに実感している。
「たのしい」がコアにないものは、
たいてい、弱いか、続かないか、どちらかだ。

3月11日から半年が経つ。
やはりこの震災はとんでもない出来事で、
誰もが感じているように、先は途方もなく長い。
最近、ようやく自分なりの糸口を見つけた
ぼくなんかが言うのは口幅ったいけれど、
先が長いからこそ、義務感や理屈ではなく、
「たのしいから」のようなもので、
みんながそれに取り組んだり、
つながったりしていくといいのに、と思う。


最後に、短い挨拶をと思っていたのに、
けっきょくこんなに長くなってしまった。

どうなることかと思いながら続けてきた連載でした。
お読みいただき、ほんとうにありがとうございました。

たくさんのメールやツイートに励まされました。
大きなテーマに個人的な思いを
重ねていくコンテンツでしたから、
あまりにも独りよがりじゃないかとか、
自分が根本的な誤解をしてるんじゃないかとか、
不安に感じることも多かったので、
みなさまからの声がとても支えになりました。
ほんとうに、どうもありがとうございました。

福島の特別な夏を追いかけた、
ぼくの特別な夏もこれで終わります。

最後に、どうぞ下の画面をクリックして、
エンディングを、おたのしみください。
(かならず、音楽も、いっしょに!)

おしまいに、念を押しますが、
福島はすごくきれいなところです。
高校野球のたのしさ、すばらしさとともに、
福島という場所の美しさが、
少しでも伝わっていることを願います。

2011年8月       永田泰大



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