BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

「旅」か「旅行」か

第2回 モノをためない人

第3回 日常からの脱出

第4回 真面目に驚こう

第5回
最後に戻るところ

糸井 そういえば僕、幼稚園に上がる前、
自転車の子ども用の台に乗せられて、
親父がどこか行くのについていったことがあって、
それが記憶にある僕の最初の旅なんです。
夜で、いつもは寝てる時間だったから
嬉しいような怖いような、
妙に親と仲良くなってるような、
いろんな要素が全部その中に入っている。
そういうはじめての旅の思い出ってありますか?
白幡 僕が思い出すのは、あのへんに
珍しい昆虫がいそうだというので出かけたけど、
いつもの自分の行動範囲を超えてしまったんですね。
帰り道はわからないし、日は暮れてくる。
グルグル歩いているうちに、
ようやく方角がわかって、
家にたどりついてホッとするという……。
最初の旅も、定住の場所に
戻ってくるというものだったんです。
西江 これは僕の記憶というより、人から聞いた話ですけど、
僕は幼稚園か保育園に行って
教室に居ついたことがないと。
親が僕を幼稚園に送って家に戻ると、
なんと僕のほうが先に帰ってたりする。
見つからないような道を通って
先回りしたに違いなんです。
今もどこへ行こうが帰り道は心配しなくて、
戻りたいところにたどりつける。
糸井 帰りというと、僕は外国から帰ってくるとき、
飛行機が成田に近づいてくると嬉しくてしょうがない。
新幹線でも多摩川を越えた辺りから嬉しくなる。
そんなことないですか。
白幡 僕は日本の街の灯が見えたときが嬉しいんじゃなくて、
飛行機から香港の街が見えたときも嬉しいし、
ロンドンに着くときもオーッという感じです。
糸井 僕の場合、日常の“僕の世界"というのがあって、
そこの人たちに会うのが懐かしいってことなのかなぁ。
たった三日間なのに(笑)。
旅に伴う孤独感とか寂しさを感じることはありますか?
西江 僕は砂漠のど真ん中やジャングルの中に一人でいるとき、
何がいちばん怖いかといったら、
夜、何かコソッと物音がして、
もしかしたらそれは人間じゃないかと思うときなんです。
人は人を頼って生きている。
と同時に人がいちばん恐ろしい。
これが人間ってものなんですね。
糸井 じゃあ、寂しさが出てくる余裕はないんだ。
西江 ぜんぜんない。
ただ一度、すごい孤独感を感じたことはあります。
ソマリアで、西部劇に出てくるような瓦礫の山の砂漠を
何週間も一人で越えたんです。
自分がたてる音以外、何も聴こえないから、
無性に音が聴きたくなった。
それが砂漠を越えて
当時のフランス領のジブチに入ったとたん街があって、
キャフェから流れる音楽、人の声、車の音が
いっぺんに聴こえてきた。
そしたら、ぞっとするほど寂しくてね。
僕の生涯で、そのときくらい
孤独に思えたことはなかった。
糸井 なんか、詩ですね。
白幡 西江さんは人のいないところに
たくさん行ってらっしゃいますが、
僕は逆に人の住んでいるところしか行かない。
人がいるということは俺も住めるし、
心配ないという発想なんですね。
糸井 旅、あるいは旅行するとき、
どんなものにいちばん興味をひかれます?
白幡 海外に行くとき、
以前は日本にないものを見てたんですよ。
それがこの頃は、
外国の中の日本ばかり見ていますね。
小錦のポスターがあったとか、
豆腐アイスクリームがあるとか。
日本文化の研究所にいるからかもしれませんが(笑)。
そして外を見ているだけじゃなく、
自分自身、自分との関係を見ているような気がします。
西江 僕はどんなことでも面白いですね。
よく外国の何とか村というものを紹介した本があって、
読むと面白かったりするでしょう。
だけど僕が子どもの頃に気づいたのは、
その村が面白いんじゃなくて、
実は書いた人が面白いんだと。
その人は何とか村を面白がれる力があるんです。
そう考えると、世界中どこでも面白い。
ただ実力がない人は、
なるべく変わったものでないとよく見えないんですね。
本当にすごい実力があったら、
もうまわり中面白くてたまらないはずです。
糸井 面白がれる実力ねえ。
こうして話を聞いているのも旅だなあ。
白幡 動かないでする旅もあるけど、
旅や旅行は基本的に外に出ていくものですよね。
じゃあ、遊牧民にとっての旅って何だろう。
彼らには、定住こそがすごい体験だと思うんです。
糸井 だったら、遊牧民にとっては、
同じ場所にとどまることが旅なんだ。
白幡 だから旅って両義的なんですね。
糸井 こう聞いてくると、旅と人生はとても近いんですが、
旅や旅行をし続けているお二人は、
どんなふうに自分の旅の終わりを考えているんでしょう。
西江 簡単です。
終わりを計画しない。
これだけは計画通りにならないし、
もしかしたら人生の美しさも、
終わりを計画できないことじゃないでしょうか。
白幡 僕もほとんど何も考えてはいません。
もともと単純にナイアガラの滝が見たいとか、
エッフェル塔に登ってみたいとか、
そういうのが僕の旅行のスタートだったわけですね。
糸井 好奇心みたいな。
白幡 “移動する好奇心"が僕の旅行の定義なんです。
それで旅行でイヤなことを排除するために
計画を立てたり、
ホテルを予約したりはするけれど、
思いどおりにいかず、
イヤなこともいっぱい出てくる。
けれどもこれが「瓢箪から駒」じゃないですが、
旅として面白いものに転化するんです。
つまり、計画したものであっても、
計画できない面白さがいっぱいつまっている。
西江さんじゃないけど、
人生もそうだろうと思うんですよ。
だから最後の最後までミーハーな好奇心をもったまま、
楽しい夢を見続けるんでしょうね。
糸井 僕は今、気づいたんです。
成田に着くぞというときのあの喜びが、
死ぬときのオレにもあるかもしれないなって。
“ああ、懐かしいなぁ”と死ぬときに思えたら、
自分らしいかなと。
白幡 最高の楽しみかもしれない。
糸井 実際には、「イヤだ」とか叫んじゃうんでしょうけどね。
それにしても、
つくづく僕はホーム好きなんだなあ。(笑)

(おわり)

2000-07-04-TUE

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