ほぼ日刊イトイ新聞 フランコさんのイタリア通信。アーズリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

2009-07-14-TUE

フランコさんのバカンス通信 その2
トラメジーノ湖畔にて。


franco

今回は、イタリアでは4番目に大きい、
イタリア中部最大の湖、
トラジメーノ湖を訪ねます。
藻がたくさん生えているので水は緑色。
そう深くはありませんが、
2000年以上もつづく周囲の街の歴史を、
湖水に深くたたえているように見えます。

ここはイタリア中央部のウンブリア地方。
2500年前は、10年にわたって
ローマ人の最大の敵であった
エトルリア人たちの地でした。
カルタゴの伝説的な指導者ハンニバルが、
アフリカからスペイン、フランス、
アルプスを越えてやって来るまでは。

ハンニバルとローマ人たちの最初の大きな戦いは、
まさにこのトラジメーノ湖岸、
トゥオーロで行われました。
戦いというよりも、
ローマ軍に3万の死者が出る虐殺でした。

でも、トラジメーノ湖のほとりに着けば、
いまの私たちには、絶対に、絶対に、
暴力的なことは考えられません。
そこに広がるのは甘味な大地、
緑に満ちた優しく穏やかな田園風景です。
歴史を訪ねると、過去を理解することで、
現在をまっすぐに見て、尊重できるのですね。

小径を登ってパニカーレへ。

高い所からトラジメーノ湖を眺め、
そしてパニカーレという町を探しに、
ぼくは小径を登ります。
パニカーレは丘のひとつの頂上にあり、
城壁に包み込まれていて、
数年前までは通り抜けられませんでした。
ルネサンス前期の画家マソリーノ・ダ・パニカーレが、
その名の通り、ここの出身です。
ここは、素朴な建築物が素晴らしいのです。

franco

聖ミケーレ・アルカンジェロ教会は、
時の流れの跡がうかがえるものの、
その威厳は何もそこなわれていません。
教会の中は、フレスコ画の見事さが、
造りの清楚さと対象的です。
普段は中は暗いままですが、
機械に2ユーロ入れると2分間だけ
灯りが点る仕組みです。
でも、その2分間で、
数世紀の歴史をうかがい知ることができます。

franco

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自然のテラスとも言うべき
ギザギザで崖の切り立ったパニカーレの丘からは、
息を飲むパノラマが見られます。
一方にキウジの平野、もう一方には
エメラルドのような緑の水のトラジメーノ湖。
古い言い伝えによると、
湖の水を見て育つオリーブから作られるオイルは、
他のタイプのオリーブオイルに比べて、
より繊細で、より香り高いそうです。

名物はインゲン豆。

では、トラジメーノ湖畔のレストランで、
魚ベースの昼食をとることにしましょう。
添え野菜は、少なくもイタリアでは、
この地方だけで育てられている種類の
fagiolo(インゲン豆)を。

franco
これは「fagiolina di Trasimeno」
(トラジメーノの小さなインゲン豆)と呼ばれる
小さな小さなインゲン豆。
煮る前に一晩水につけておき、
翌日に1時間ゆでて、水を切って使います。
そして味付けは簡単この上なし、
トラジメーノのオリーヴオイルと、
ひとつまみの塩、これだけです。
魚に、場合によっては良い肉に、
付け合わせとしてはシンプルそのものですが、
その味わいや香りがすばらしいのです。
なぜイタリア中部(ウンブリアは、その中心部)が
イタリア料理の多くの伝統の
揺りかごと言われるかを物語ってくれます。

食事のお伴は1杯の赤ワインです。
1杯だけ、でもそれで充分。
近年、風味と香りが最も優れているワインの
ひとつに数えられる赤ワイン、
サグラティーノ・ディ・モンテファルコです。

食事が終わるのが、残念です。
短い間でしたが、まるで小さな恋の物語のように
充実していました。
忘れることのできない物語のように。


訳者のひとこと

文中のカルタゴは、
現在のチュニジア共和国の
首都チュニスの近くにあったそうです。
シチリアの対岸ですね。

文中に出て来るハンニバルは
シチリア、スペインを攻めた父
ハミルカル・バルカの長子です。
まさかアルプスを越えてくるとは思わず、
イベリア半島側を固めていたローマ軍を
奇襲しました。

トラジメーノ湖畔の戦いは、
ラテン語名を残す
「トラシメヌス湖畔の戦い」として
世界史に語られています。

うららさんイラスト

翻訳/イラスト=酒井うらら



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