智慧の実を食べよう2
“WONDER S CHOOL!”
学問は驚きだ。へ
智慧の実をとどけます。
『学問は驚きだ』制作中の言葉から。

第6回
学問と生きかた

(※今日は、社会心理学の山岸俊男さんから、
  追加取材でうかがった談話を、おとどけいたします。
  講演会での発言以外のこういう話も、沢山盛りこんだ
  本やDVDを、たのしんでいただけるとうれしいです)



(大学で講義中の山岸先生)

いま、日本人のほとんどの人が、
「今までのやり方では、
 うまくいかなくなってきたらしい。
 そいつはどうも、
 グローバライゼーションのせいらしい」
というようなことを考えていますよね。

ただ、そこまでは一緒だけど、
そこからの道は、
「だから、グローバライゼーションは
 けしからん!」
「グローバライゼーションに入ってしまえ」
「グローバライゼーションを前に、
 どうしたらいいんだろう?」
と、分かれていくんだと思うんです。

おそらく、大半が
「わからない」ということでしょうけれども。

グローバライゼーションについては
「わからないから知りたい」
もあると思いますし、
同時に「不安」もあるのでしょう。
どうしたらいいかわからないけど、
ともかく英語ぐらいは
知っておかないと大変なことになる、とか。

学者の世界でも、
そういうことがあるんです。
論文を、英語で書くか
日本語で書くかという問題が、ありますよね。

これが香港やシンガポールだと、
ほとんど英語で書くわけですよ。
国全体で心理学者が
五〇人ぐらいしかいないところでは、
英語で書かないと誰も読んでくれないんです。
しょうがないから英語で書く。

ところが、日本の方々は、
いまは少し変わってきていますけど、
ほとんどが日本語で書くわけですよね。
なぜそうかと言えば、
結局、日本国内のマーケットが
大きすぎるから、なんです。
日本の中で有名になれば、
それで満足しちゃう。

私が英語で論文を書いたり、
アメリカに行くようになったきっかけは、
本音のところを言いますと、
日本で食い詰めたからなんですよね。

「大学院を出ても職がないから、渡った」
というクチですから。
でもそれは、結果的には、
すごくよかったんですよ。

大学院を出ても仕事がないから、
援助を受けて、アメリカの大学に
もう一度入り直すんです。
それは、食いつなぐために
行ったようなもんですからね……。

自分で選んで何かになった部分と、
もう選びようがなくて来てしまった部分と、
誰しもふたつの道があるでしょうが、
わたしは
「チョイスができない部分」
のほうが大きいなという気がしているんです。

いま言いましたが、
最初にアメリカに行った理由は
「日本で仕事が見つからなかったから」ですよね。

「どうやら、アメリカで
 リサーチアシスタントシップに
 出してくれるらしい」
とわかったとたんに
「これでアメリカに行けば食いつなげる」
と思って出かけたわけです。

その当時に、たとえば日本で
どこかの大学の仕事があって、
そこで教えはじめていたとしたら、
たぶんわたしの研究の道筋は、
ぜんぜんちがっていたはずです。

そういう意味では、
人間のチョイスというのは、与えられた中で
最大に生かしていくものだという気はしています。

いちばん典型的なのは、
知らない分野の相手から
「話してくれ」という話が来たときです。
そういうときにはやっぱりすごく怖いんですよ。

相手がどういうふうに反応するかもわからないし、
こんなことは言ったら
バカにされるんじゃないかなっていうのは
ありますし……でも、そういうときには、
わたしはできるだけ、受けるようにしたんです。

こわくなったらもう受けろと。
そういう方針はありますが、
これはもう、生き方の問題になってきますね。

わたしは、リチャード・エマソンという
アメリカの社会学の先生の生き方に、
影響を受けています。

彼は、アメリカに行って
博士課程をやっていたときの、
私の指導教官でして……
アメリカに行ってよかったなぁと
思うことはいろいろとあるんですけど、
ひとつはやっぱり、
非常に人間性にすぐれた研究者に、
何人か、出会えたことなんです。

彼もその一人なんです。
二〇代の後半に会いました。

エマソン先生っていうのは、
一度も怒ったところを見たことないですね。
声を荒らげるということさえありません。
ただ、すごく学問的には厳しいんです。

若いときには彼は登山家で、
エベレストにも登った人なんです。
アメリカの第一次エベレスト隊の
隊員だった人で、さらにもっと若いときには、
第二次大戦のときのイタリアの
パルチザンの訓練をやっていたっていう……。

エマソン先生にわたしが会ったときには、
ちょうど今のわたしぐらいの年だったと思います。
そのあとに早く亡くなられちゃったのが
すごく残念なんですけどね。

その影響は、学問的にというよりは、
やっぱり生き方になるんです。
わたし自身は、学問と生き方というのは
あまり区別できないだろうと思っているんです。

もちろん、そういう意味では
学問的にも
すごく影響与えていただいたのでしょうけれど。

人間にいろんな能力がありますから、
すごく能力がある人は、生き方と学問とを、
分けて処理できると思うんです。

ところが、わたしみたいに
学問的な能力が限られていると、
ともかくその、全力を挙げて
立ち向かっていかないといけないわけです。
それ以外の必要のないようなことは、
無視するという訓練しないとできないんです。

だから例えば、人の評判を気にしていると、
そこそこのことはできますが、
ほんとうにオリジナルなことはできないです。
常に他の人の評判をフィードバックして、
メーターを最適にしていくっていうような
生き方をする人は、やはり学問も
評判のほうに引っ張られるようになっています。

そうすると、学問的な
オリジナリティーというのもあまりなくなる。
そういう例は、いくつか見てきました。

他人の評判は気にしないようにするという態度は、
エマソン先生の生き方から
影響を受けたのかもしれません。

彼をそばで見ていると、生き方がかっこいいんです。

それはどうしてかというと、
他人の評判で動いているわけではなくて、
自分の原理で動いているからです。
他の人がいてもいなくても行動を変えないとか……
わたしも、そうありたいと思います。


(つづきます)

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2004-10-08-FRI

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