YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson902 消えたわだかまり


自分の中でずっとわだかまっていたものが、
その問題について直接なにもしていないのに
消えてしまった、
という経験はないだろうか?

少し前、

私は、職場の人間関係にわだかまりを抱えていた。

解決しようと、その人と直接話し合ったが、
ギクシャクとすれちがい、
よけい傷つき、よけいわだかまり、

ああでもなく、こうでもなく、と考えても、
よい解決策が浮かばず、

忘れてのりこえようとしてみるも、
腹のなかのわだかまりは、いっこうに消えてなくならず、
ずんずん重くなっていった。

そんなある日、

私が講師をつとめる文章表現講座で、
社会人の生徒さん数十名が、
いよいよ書き上げた文章を朗読する段になった。

その日は、
職場の人間関係を主題にした生徒さんが、
いつも以上に多かった。

生徒さんの文章の中には、

考えて、書くことで、
悩んでいた職場の人間関係に、
一筋の希望がはっきり見えた人もいた。

あるいは、
まだ悩みは深く、悩んでいるままに、
しかし、自分がどう想い、何を望んでいるのか、
それだけははっきりわかった、という人もいた。

生徒さんの深い文章表現を、
ひとつ、また、ひとつ、と傾聴していくごとに、
自分の中に、ちいさく、気持ちの良い「ひらけ」を感じた。

十何作目かの朗読を聴き終わったとき、
私は、はっきりと、

「あ、いま、腹の中のわだかまりが消えた!」

と感じた。
スッ、と腹から出て、消え去った!

あまりのことに「気のせいでは」と疑った。
生徒さんの文章に感動して高揚してるだけではないかと。

しかし、そのあともずっと、
あのわだかまりがあった人と会っても、
腹の芯がサッパリしている。

ズンと重いわだかまりは、もうどこにもなかった。

職種も、職場の体制も、生きてきた背景も
だから人間関係の悩みどころも、仕事へのこだわりも、
私とは違う、
同じ悩みに葛藤してきた多様な生徒さんの文章表現。

それを聴くうちに、私は、

自分が小さく偏った所にとらわれていることに気づいた。

小さく偏った所にとらわれてる自分を俯瞰できた。

俯瞰したら、やりたい・やるべき仕事がはっきりと見えた。

向かうべきものがはっきりしたら、
わだかまっていたものは、
「なにやってんの私!」と思うくらい小さかった、
そして消えた。

自分と相手でとことん話し合って解決しようとすることが、
私はどちらかと言えば多かったように思う。

けど、もし、自分も相手も、傷ついて狭く頑なに
視野がとらわれてしまっていたとしたら、

当事者間で話し合っても、より狭い所にズブズブと
はまっていく恐れがある。

自分と相手がとらわれてしまってる小さな場所を、
いかに広く大きなところから照らして見るか?

きっと私は、偉い人が高みの見物から、
「そんな問題は小さい」と言ってくれても響かないだろう。

同じ問題に切実に苦しんできた、多様な人々の、
心底の考えや想い。

それを数多く聴くことで、つい、

感情移入したり、追体験したりしながら、
私は、私の枠組みを超えた、多様な視座を得、
やがてひらけた広い視野へ出られるように思う。

同じ人間は1人もいない。

自分と似たように見える人が、
自分とは全く違った人生を歩んで来て、
同じ問題に、まったく新しい視野をひらいて見せてくれる。

消えないわだかまりを抱えているとしたら、

多様な人々の想い・考えを切実に求め、
そこに自分をひらいていくチャンス!

そんなふうにこれからは思っていきたい。

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2018-12-05-WED

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