YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson872
     読者の声―波長の合わない人



苛立つときは、
人に怒っているようで、それでいて、実は、

「そういう状況にかき乱されて
自分らしくふるまえない自分に」、

自分が苛立ってる。
そのまま自分の想いとそれたまま突き進むと
苛立ちは増大するので、

「本来ここでどうふるまいたいの、自分?」

と自分の声を聴く、
そこに立ち戻る。

波長が合わない人とのやりとりも、
1ミリずつ鍛えていって、やがて、
その人といても自分の中心を外さないように成れた時、
苛立ちはかなり軽減するのではないか、
これも訓練!

という先週のコラム、さっそく読者の声を紹介しよう!


<他人を操ろうとしてないか>

私の「波長の合わない人」は職場の上司でした。

組織の運営に関する価値観が根本的に
私と異なる上司です。

彼の考えに従う形で、
対立を避けて行動していましたが、
後輩たちが次々と組織を離れていき、

「彼のせいでやりがいのない職場になっている」

と彼のやり方に苛立ち、怒りを覚えていました。
「後輩たちにも申し訳なく顔向け出来ない」
と本当に辛い日々を過ごしていました。

ある時、限界に達して、
後輩たちが苦しんでいるのに何も行動しないのは
「自分の信念に反する」と

自分の考えを対立を恐れずに伝えました。

私自身に起こった結果は
決して良いものではありませんでしたが、

不思議と彼に対する怒りは和らいでいました。

後輩たちに対する後ろめたさも消えていきました。

「私は何に対して苦しんでいたのか?」
と問い続けていたら、
自分の中に2つの言葉が浮かびました。

1つ目は、

「本当に辛い事は、
他人のせいにして自分の信念を曲げることだ」

他人を言い訳にして
正しいと思う行動せず逃げていた自分がいました。

2つ目は、

「コントロールを手放せ」

他人を操ろうとしていた自分がいました。
他者を尊重せず、境界線を越えて。

私が抱えていた感情は、
結局自分に向けられたものでした。

今でも「波長が合わない人」に対して
すぐに怒りを覚えるクセは治りません。

でも2つの言葉を思い出して
自分がどうしたいのかに気づくようにしていると、
前よりも少しだけ

「自分を生きている」

と感じれるようになりました。
(F)


<大切なのは>

相手とのやり取りの度に、
自己嫌悪だけが増し、
状況を変えようと、私が見直していたのは

表面的なやり取りの仕方ばかりだったと気づきました。

相手を「波長の合わない人」と捉えるだけでも、
スルスルと肩から力が抜けて視点が変わる気がしました。

大切なのは、

波長をいかに合わせるかではなくて、

波長の合わない人といても、
本来の自分を見失わずに
やりとりできるようになるってこと。

大事に胸に置いておきたいことばをもらいました。
(あきこ)


<合わない人と関わるからこそ>

治療する仕事で、
合わない患者さんと会うこともあります。

分かりやすい理由、たとえばその人が乱暴だとか
があれば納得しやすいのですが、
「なぜか分からないのに合わない」という人は、
どう接していいか難しい。

そういう時に心がけているのは、

「合わない相手ほどきちんとする」ことです。

合う方には自然と治療の手も伸びるし、
リスクを伴う技法でも思い切ってやりやすいのですが、

合わない方にはどうしても、そのもうひと伸びが
足りなくなってしまいがちです。

そういう細部での微妙な差が、
結果にも大きくかかわってしまいます。

もし合う人だけを相手に仕事が出来れば、
ずいぶん気分は楽でしょうが、
それでは自分の幅が広がりません。

自分自身どうありたいのかを考えると、
どういう相手であれ来院された方は
自分の治療を必要としているのだから、
そこにはきちんと答えたい。

手は抜かず、きちんとすること、
そうすることでどういう相手でも
自分の治療するものとしてのスタンスは守れます。

それが守れないと、治療が迷走してしまいます。

それは合わなくてしんどい思いをするよりも
まずいことでしょう。

合わない人をも含めて関わらないといけないからこそ、
自分自身がどう振舞うかを問われるし、
そこで自分の軸のようなものも育っていくように思えます。
(たまふろ)



ほんとうに不思議なのだが、

「生徒さん」と「編集者さん」にだけは、
波長が合わない人に出逢ったことがない。

そもそも合う合わないで全く見たことがない。

努力してそうなったわけではない。

企業で編集者をしていたときは、
執筆の先生方の中には、波長の合わない人もいた。

会社を辞めて、一度仕事に完全に干されて、
たどり着くまでに長い道のりだったから、
ただひたすらにありがたい存在なのかもと
おもったりもする。

「文章表現教育」をするため関わる生徒さんたちと、

私が文章表現するのを支えてくれる編集者さんたち、

私の仕事二本柱でかけがえない両者に合わない人がいない。
それ以外には波長の合わない人が多くいるというのに。
いまさらのように気がつくと不思議で、
理由を解明したいと私は思う。

さいごにこのおたよりを紹介して
きょうは終わろう。


<自分らしく>

わたしも波長が合わずに、心がもやもやする人がいます。
意地悪をされたわけでもなく、
心遣いも出来る人なのですが、

「どうしてなのか?」と自問自答してました。

「自分のあり方を揺さぶられるのだ」
と思います。

主人の職場でのつながりの方なので、
わたしは自分の意見、意思を通す場ではない
と考えて行動しています。

相手の方は我が友のように自己主張してきます。

ここが、わたしのもやもやポイントなのだと気付きました。

「この気づきをどう行動にいかしていくか?」

他人を巻き込んだり、もやもや感を共有して
安心したくなる時もありますが、
それは人としてカッコ悪いのでしないと決めています。
(魂は武士)


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2018-04-18-WED

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