YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson866
       わかられない



わかってもらえないとき、人は失望する。

でも最近、そうでもない、
過度に失望するのはよそう、と
私は思えるようになってきた。

先日、グサッ、と

目頭を針で突かれたような痛みが走り、
心でギャア!と悲鳴をあげながら、
必死で取り出したら、ただの、

「まつげ」、

だった。
こんなにちいさく、やわらかく、よわよわしい
ものだったのか、なのに、

まつげが目に入ると物凄く痛い。

「たかがそのていどの言葉」、

に傷つけられたと大騒ぎする人に、
それまで、もうひとつ共感しきれない自分もいたが、

「それはその人の目に入ったまつげ」

と想えばわかる気がする。
これからはその人の目に入ったまつげと想おう。

そして、たかがその程度の言葉でも、
自分の「目」に入れば痛い。

そのことを自分自身でわかってやらねばな、
と思った。

自分の「目」はどこか?

先日、
ある表現バトルを見ていて、

むかしローマで、
円形の競技場にぐるり360度たくさんの観衆が
見物するなかで、
人と獣が殺しあったり、
ときに人と人がバトルした、

「コロシアムみたいだね。」

と、一緒に見ていた人に言ったら、
まったく響かなかった。

私は、なぜかとっても焦り、

「だって、表現する人は、
大勢の前で、自分の想い、感性、才能、
内面をさらされて、比べられるんだよ。
即座に勝ち負けを決められるんだよ…」

と言葉をつくして説明したが、
意味が伝わらないんじゃなくて、

切実さがまったく相手に響かない。

言えば言うほど、
わかってもらえないことが浮き彫りになり、
私は消沈した。

後日、
わかってもらえなかった悔しさよりも、
自分はこの程度のことをわかってもらえないことに、
なぜこんなに失望しているのか、
もんもんと考え続けた。

そもそもなぜ、コロシアムなんて言ったのか?

あっ、と思った。
2年前、TEDに出た時だ。

直前でやめた人の代打だったので、
準備期間はほんのわずか。

他の出演者たちは3ヵ月前から準備をしており、

充分な準備ができないことはおろか、
内容が間に合わなくて破綻する恐れもあった。

しかも当日のプレゼンは、
たとえ失敗しても何があっても、
必ずYouTubeで世界配信するという誓約書に
サインをしなければならない。

チケットは早々に完売の満席。

このときの私は、
コロシアムに殺されにいく想いだった。

オーバーだと人は言うだろう。
私だって、出る前は絶対にオーバーだと思ったろう。

しかし、見るのと、出るのとでは、大違い。

私は、表現教育を仕事にしている。
大学でプレゼンテーションの授業も持っている
想いを言葉で通じさせる=表現は、

私のアイデンティティなのだ。

失敗すれば、
実際に血は流れないし命を落とすこともないが、
私の核心部分は確実に血を流すし、
致命傷だって負う。

あ、これは私の「目」。


いまになって、私は気づく。
わかってもらえなくてなんでそんなに失望したか
というと、そこが私にとって、
まつげが入っても痛いような、

「目」だったんだろうな。

目は、その人にとって、
努力や、選択や、葛藤を積み重ねてきた大事な部分。
存在の核心。

人それぞれ「目」のありかが違うから、
一見してわからないから、

人と人が言葉を交わすと傷つきあうんだろうな。

結果が良かったから、
いまとなってはTEDに出てほんとうによかったけれど、

あの準備期間の、
気力・知力・体力、日々小さく自分の限界を
突破し続けなければならなかった体験から、

コロシアムという言葉が、切実に出てきたのだ。

「じゃあ、TEDに出る前の自分は、
コロシアムと言われて、切実に響いたか?」

というと、
自分だって意味は分かっても、全然響かなかっただろう。

わがことのようには、切実には、

そう気づいたら、
あの表現バトルの日以来、
自分の言ってることをわかってもらえなかった
焦りも、苛立ちも、失望も、

すーっとなくなって、心が澄み渡ってきた。

人に自分の言っていることが理解されないからといって、
過度に落胆したり、焦燥感にかられたりするのは、
もう、やめよう。
いい意味で、

「わかられない」

ということもある。

上とか下とかそういうことではなくて、
私が自分の想う方向へ進んで、

それは人が全然来ない道で、

その道を進んで、進んで、つかんだ。

「私だけの景色」がある。

それはいい意味で、
他人に簡単にわかられない、
それ以前の自分にさえ、わかられない境地だから。

前人未踏の秘境に、ただ一人足を踏み入れ、
生還した冒険家が、
他の人が決して見ることができない
自分だけが見た景色を宝石のように思うように、

「わかられない」

ことを恐れず、
私独自の境地を宝石のように大事にしたい、
と私は思う。

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2018-03-07-WED

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