YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson828
   読者の声 ― 「未熟」について



先々週の「未熟」に、
ものすごくたくさんの反響をいただきました。

「本当に未熟な人は、
そのことに自分で気づいてない。
周囲のだれもが、
この人はここをのり越えないと、
せっかくいいところがあっても、台無しだ
と感じているにもかかわらず、
自分では、私なりにがんばってる、
それどころか、世界が自分にいじわるしてると思ってる。
だから未熟なのだ。」

という、書きながら、自分でも耳が痛い内容に、

「読者はどう反応したのか?」

あまりにたくさんいただいたので、
2回にわけて紹介します。


<人生の岐路で>

フェイスブックのタイムラインで流れてきて、
はじめて「おとなの小論文教室。」を読みました。

つい最近まで会社の社長をしていたのですが、

突然に解任される事件が発生したところで、

「未熟」が恐ろしいほど心に響きました。

解任に追い込んだ人は社会的な地位としては
最高潮に達しているのではないかと思います。
しかし、過去に何度も
自分と意見が違う他人を切り離したり、批判したり、
自分自身の感情を出すことなく
他責にして前に進むタイプの人です。

まさか自分には降りかからないだろうと思っていましたが、
そのまさかが起こってしまいました。

自分自身の未熟さも痛感しました。

自分は大丈夫だろうと奢っていたことが、
大事にしていた会社を奪われることにまで
至ってしまったこと、
こんなことが起こってようやく気がつくことができました。

今後のことをいろいろと考える中で
沢山の方からいろんなオファーをいただいているのですが、

子供や妻のことを考えると、

焦ってすぐに動くよりは、
暫くはゆっくりと流れに身を任せて、
時の流れを噛み締めながら感じて過ごそうと思っています。

これまで仕事しかしてこなかったので、
家族のこと将来のことをじっくりと考えてようと。

自分にとってとてもタイムリーだったので
感想文を送らずにはいられませんでした。
(タイムリーな読者)


<先々週の「未熟」を読んで>

私のことを言っているんじゃないか? というくらい、
耳の痛いお話でした。

これまで自分は努力家だと思っていました。

だから、
受験勉強や資格試験に失敗したことはありません。

でもなぜか人生うまくいかない。

仕事の成績はイマイチですし、それ以外の場でも
手ごたえある体験をしたことがありません。

辛抱強くアドバイスしてくれる人もいましたが、
「私のことをわかってくれない!」と反発し、
見放されてしまうことを繰り返してきました。

一方で、そんな自分の悪習を
なんとなく気づいていたので
「自分はダメだ」と責め、なんとか変わろう
とは思っていました。

でも周りの人の助言を聞く姿勢がないので、
一人で努力してもがくだけ。

結果、自分の得意分野(勉強や試験)についてばかり
能力が尖っていって
周りが期待してくれていることは何なのか、
考えることさえしませんでした。

「努力してるのに、なぜかダメだ」

そのことがさらに自分を落ち込ませて、
悪循環に陥っていたのです。

でも、「未熟」の文章にハッとしました。

私はダメなのではない、「未熟」なだけなのだ。

人間、良い悪いの二元論ではなく、
未熟から成熟へとグラデーションを描いている
ものなのかもしれない。

「未熟」だから、周りの人の話に耳を傾けて、
助けてもらって、変わっていければ良い。

焦らず、卑屈にならず、コツコツと
日々できることを積み重ねていこうと思います。
(はる)


<未熟と成熟の違いはどこにある?>

「未熟」と「成熟」の違いは根本的にどこにあるのか、
という問いに行き着きました。
そして、ある瞬間に一つの腑に落ちる結論を得ました。

「未熟」な人は、
「責任を感じる範囲」が
「責任を感じなければならない範囲」より狭いんだ
と思います。

そのため、
その人自身の問題としか考えようのない問題まで、
「押し付けられた」とか
「降りかかった災厄」のように捉えて、
いちいち文句を言って、喧嘩をして、
タスクに集中できない。

そして成長できない。
というサイクルの中にいる気がします。

一方で「成熟」した人は、
「責任を感じる範囲」が
「責任を感じなければならない範囲」より、
少し広めにキープできる人なのだと思います。

そうすると「押し付けられる葛藤」など
初めから、その人にはないので、
淡々と物事をこなし、時と共に成長して
歩んでいけるのではないかと思います。

自分の未熟さを盲点にしないためには、
「責任を感じる範囲」を広めにキープしておきたい
と思います。
(40歳男性)



ふたたびズーニーです。

とっても恥ずかしい話なのですが、
私は最初に出た本が40歳目前で、
文筆業のおそいデビューをきりました。

そして、

「プロは締め切りを守らねばならない」
ということを、本当の意味でわかるのに3年かかり、

やっとのことで「締め切りを守ってこそプロ」と
腑に落ちても、それがやれる身体と能力と習慣性がなく、
やれるようになるまで、さらに3年かかりました。

人のせいにするのをやめ、
コツコツと、コツコツと、1回1回の原稿で
自分の体に覚えさせ、遅れる習慣を解体するのに、

やっぱり3年はかかりました。

でも、そのことを思えば、
これから出くわす、自分の気づかなかった「未熟」にも、

「あのときのように、コツコツと、
3年、5年がかりで、
新しい習慣を築いていけばいいじゃないか!」

と希望が湧きます。

さいごにこのおたよりを紹介して
きょうは終わりますが、ひきつづき、
「未熟」について考えます。


<見えてきた出口>

Lesso826「未熟」について、
まさに今、その渦中にいます。

「なるほど、だからか」、
とこれまで感じていた何ともいえない感覚に納得。

「あぁ、自分と戦っていただけ」、
「鏡に向かってひたすらいい訳していただけ」、
だったのだと。

出口がみえないのは、自分が見ていないから。

「まずは、聴くことから始めて、変えたい」

この想いと向き合っていきたいと思います。

きっと鏡の自分との対話より大変かもしれませんが、
変わるための痛みはわかっているつもり。
その痛みに向き合うことからはじめていきます。
(K)



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2017-05-24-WED

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