YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson809
   読者の声 ― 先週の「お母さんの耳」について



「見えないけれどあるものを認めてほしい。」

と、学生Aさんに教えられ、
私は、母の耳への態度を
反省せずにはいられなかった。

学生Aさんは耳に難病を抱えていて、
人から見た目には全然わからないからこそ、
「ほんとは聞こえてるのに無視してるんじゃないの」
といった周囲の無理解にあってきた。

「見えないものを理解してもらうのはすごく難しい」

とAさんは言う。

私の母の耳も、
補聴器をつけているわけではない、
大声で話を聞きかえしてくるわけでもない、

目には見えないけれど、老化は確実に進んでいる。

なのに私は、
「聞こえているのに、自分の話ばかりしてる」
「人の話を聞くことをサボっている」
と見えるものだけで判断して、
イラだっていた。

これからは、

まだら状に聞こえたり聞こえなかったりする
「母の耳のなかで起こっていること」を、
もっと尊重したい。

そんな想いで先週のコラムを書いたところ、
読者から深い反響をいただいた、
さっそく紹介しよう!


<息子に身につけてほしいこと>

6歳の息子は、今年、
右耳が高度難聴であることがわかりました。

原因もわからず、
治療のしようもない
補聴器も効果がない
と言われました。

片耳がほぼ聞こえないとなると、
息子の場合、

右側から「走行音が小さなハイブリッドカー」が来ても、
視界に入っていなければ、
まず気づくことはありません。

片耳での聞き取りだと、
音が来る方向がわかりづらいということもあります。

公道では、息子に、
「右耳が聞こえていません」という
大きな大きなステッカーでも
貼りたいような衝動に駆られます。

幼稚園の先生に
「難聴のことをクラスメイトに話すべきか?」
と聞かれた時はとても迷いました。

年長とはいえ、5、6歳の園児に、

相手の子の右耳と左耳とを
瞬時に正しく判別できるとは思えず、
かえって混乱を招き、
お友達に要らぬ負担を強いるのではと思いました。

次男自身が難聴をカバーする方策を考え、
聞こえにくかったらお友達の右側に移動する、
「もう少し大きな声で言ってください」と頼む、
などの工夫を自ら学び、身につけることも重要だ、
とも思いました。

結果としては、クラスメイトには伝えずに、
それでクラスとして支障がないか
様子を見てもらうことにしました
(そこから半年ほど経ちますが、支障はないようです)。

彼は今後、学校や勤務先などで、
自分の周囲の人間が全員、自分の耳のことを知っている、
というような状況で生きることはほぼないはずです。

なので、

「どういう人には知ってもらっておいた方がいいのか
 =見えないからこそ理解されないことを
 見える化する必要性を見極める」

ということと、

「どういう行動が自らを助けるのか
 =見えなくて理解されなくても
 生きていける術を身に付ける」

ということの2点を、
彼と彼に残された左耳をしっかり守りながら、
確実に身に付けさせていかなければ、
と考えているところです。
(Sabine)


<見えなかったものが見えてきた>

30歳女性です。
今年、初めての子どもを流産しました。

初期の流産は染色体異常が原因であることが多く、
避けられないとのこと。

流産の確率は決して低くはないということは
知識としては知っていたし、
自分の周りでも何人か経験していた人はいました。

けれど、知識として知ることと、実際に経験することは
全く違いました。

子どもの心拍が止まっている
と病院で言われた帰り道、
悲しみとともに、

ただ子どもに「会いたい」という純粋な思いが
湧き出てきました。

それから数日後、

バスで特別支援学校のそばを通ると、
子どもたちが外に出ていました。

「彼らは障がいがあっても、
 生まれることができた、強い子たちなんだ。
 お父さんとお母さんに会いに来てくれたんだ。」

私にとってそれは初めての気づきでした。

そんな風に
これまで見えなかった世界を見ることができたのは、
私に宿った子どもが、
妊娠することも、
生まれてくることも
奇跡なのだと教えてくれたからでした。

そして、まだ生まれていない子どもをなくすという
「見えない」世界を「見ている」人がたくさんいる
ということも、実感しました。
(けい)


<見えない世界を視点に入れて>

高校の教員をしています。
授業をして、考査や、提出物や、小テスト等で
学期ごとに評価しています。

その際、毎回評価のことで、悩みます。
こちらの意図していることが伝わっているのか。

うまく伝えていけるように相手によって工夫が必要です。

ちゃんと聞こえていない生徒がもしかしたら、
いるかもしれない、となると、
アプローチを工夫していかないとまずいです。

思いもよりませんでした。

目に見えることばかりに気をとられていましたが、
目に見えない世界を視点に入れて行動していきたい。
(A.T)


<時期>

それぞれの人には、
見えないままになっているものがあって、
それは形になる時期をまっている。
(たまふろ)


<どう育てたら>

私の8歳になる息子は
色弱といって、人よりも見える色が極端に少ないです。

先週のコラムはそのことについて、
心の励みに思いながら読みました。

どう育てたら、その学生さんみたいに

自分を受けいれて
オープンに生きていかれる子になるだろうって

日々模索しています。
(つばき)



表現の授業をやってきて、
数えきれないほどの学生が、
いままで人に言ってこなかったことを、
自ら勇気を出して表現するのを見てきた。
そこに、

「小さい勇気の連鎖」

があるように思う。
1クラス70人の学生がいて、
表現実習をしていると、

教室のどこかしらで、
だれかしら、
小さい勇気を出している。

ささいなことでも、
正直に言葉にして伝えるには
勇気が要るからだ。

1人が小さい勇気を出して表現したことが、

別の1人に響いて、
勇気ある表現を引き出し、

またその表現が、
別の学生の勇気を引き出し‥‥、
というように、

70人の学生同士が、
小さく響き合い、やがて互いに作用し合って、
大きな勇気ある表現になっていく。

実際Aさんも、
他の学生に勇気を引き出されて、
自分の耳のことを表現しようという気になった
と言っている。

小さい勇気の連鎖は、
1人の学生のなかでも起こっている。

まずは些細なテーマで
自分を見つめ、小さい勇気を出して
正直に表現してみる。

すると、
ちいさなことでも、
想いが言葉になるとスッキリし、
意外に深い満足感がある。

そこで、こんどはもうちょっと深いテーマで、
自分の内面を掘り下げ、表現してみる。

「こんなことを伝えたら人が引くか」
と思いきや、
予想外に良い反応がかえってきて、

さらに深いテーマで、
さらに勇気を出して表現して‥‥

ということを繰り返していくうちに、

自分への理解が増し、
これまでの人生の良いことも悪いことも
受けとめ、認めることができるようになってきて、

やがて

その積み重ねが、

問題を本人が受容するチカラとなり、
見えないものをも、言葉というカタチにして
人や社会に通じさせる

大きな表現力になっていく。

日常の小さなことについてなら、
伝える機会は、みんなにある。

そういう小さな機会が来たとき、
小さく逃げず、小さくごまかさず、

小さい勇気を出して、

正直な想いを伝えることから
はじめてみよう!

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2016-12-21-WED

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