YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson804
  読者の声―先週の
  「なにかを大事にするということ」について



大事にしていたつもりの私は、
実は、大事にできてはいなかった。

2度も壊して、失敗から考えて、やっと気づいた。

なにかを大事にするとは、
キモチの持ち方でなく、具体的な行動なんだと。

そこで先週、

「あなたにとって大事なものはなんですか。
 それを大事にするとは、どうすることですか。」

と問いかけたところ、
じーんと胸に響くおたよりをいただいた。
とってもいいおたよりなので、

さっそく紹介しよう!


<子どもを大事にするということ>

中学生の娘と小学校低学年の息子を持つ父親です。

先週のコラムを読んで、私にとって、
「子どもたちを大事にするとはどうすることか?」
を考えました。

娘は正に反抗期、
息子は姉を真似てなのか
ことあるごとに面倒くさそうな態度をとり、
言葉づかいが悪くなったりしています。

母親は、そんな子どもたちにガミガミ叱る毎日です。

私が、子どもたちと話そうとしても、

子どもたちは、
他の事に夢中で大抵1度では返答がなかったり、
返事があっても、いかにもテキトーな返事です。

そんな中でも時々、

子どもたちのほうから
何の予兆もなく急に話しかけてくる時があります。

その時は、できるだけ他の事をしていても一旦手を止めて、
その話を聴くことにしています。

その話は、
今学校で流行っているお笑いの話だったり、
同じクラスの子に嫌な事をされた話だったり、
ずいぶん前から体のここが痛いなど、いろいろですが、

なぜこのタイミング?
と思うような感じで話しかけてきます。
以前はテキトーに流していましたが、

「話の中に聞き逃せないような話が含まれている事」

を知り、そういう時こそがチャンスと思い、
じっくり聴くようにしています。

それと甘えてくる時に甘えさせること。

娘は、普段ちょっとでも触れようなら、
「触らないで!」などと言うくせに、
ソファーに座っていると急にもたれかかってきたりする時が
あります。

以前は、邪魔だなぁと思ってましたが、
今は思う存分甘えてさせてます。

甘やかすのと甘えさせるのは違うと聞いたことがあるので。

家に居場所がないと言われる現代ですが、

子どもたちに居場所を作るためには
日頃のこういうささいなことが大事なんだと思っています。
(Nop)


<娘2人を大事にするということ>

大事にするということ

それのもつありのままを受け入れること

こちらのつくった型にはめないよう注意を払いつつ
間違った方向に大きくそれないよう見守ること

成人した娘2人が自分の歩みたい道を行く
後ろ姿を見ながら、
「そうだったな、そういえば」
と、復習しました。

私も、周囲の人たちにそうしてもらってきた。
そのことにも気付かされました。
(ゆうこ)


<大事にとっておくのではなく>

アラサーのいい大人ですが、
「私が大事にしているもの」と言えば、
もうかれこれ30年近く一緒にいるぬいぐるみ達です。

私にとって「大事にすること」は、
最大限の愛情を注ぐこと。

丁寧に扱うことはもちろんですが、
かと言ってガラス細工を扱うように飾っておくわけでは
ありません。

「愛を注ぐこと」は、
自分の手で触れ、感じることです。
(ひまっこ)


<誰かのために自分の20%を空けておく>

「人を大事にする」とは、

自分の気持ちや身体を
100%自分で使ってしまうのではなくて、
20%ぐらいは誰かのために、空けておく。

余所さまの20%に間借りしたり、助けられて
自分があることも知っておく。

そういうのが自分も相手も大事にすることじゃないか
と思うのです。

私の仕事は、現場で体を動かす仕事です。

チームで動く時、複数で一緒に作業する時、
その人の周囲に対する考え方が、
身体の動きの中に如実にあらわれます。

言葉でいくら良いことを言っていても、
周囲を気遣う余裕がない人は、

相手を信用して待ったり、
相手の呼吸に合わせる動きが
出来ません。

最近、仕事で
いつも正しい意見を曲げずに責め立てる先輩との関係に
悩み、心が折れていました。

なんだかその正しい先輩といると、
まるで自分がロボットにでもなったような
虚しい気持ちに襲われる。

先輩の言葉だけを聞いていると、
とてもとても正しい事を言っているので、
全体の事を考えてくれているように、
皆の事を心配してくれているように思う。

でも何か違う。

言葉だけでやりとりしていると分かりにくいのですが、
実際一緒に動いて見ると本当によく分かる。

正しさにこだわって自分の立ち位置を変えられない人は、
その身体性においても
やっぱり、

相手や状況に応じて
自分の動き方を変えるあそびの部分がものすごく少ない。

「人を大事にする」とは、

相手が動きやすいように、
相手の間や呼吸に合わせて
自分を変えられる弾力性を持つことじゃないか
と思います。

そして私の中では、
「人を大事にすること」と「仕事を大事にすること」は
密接に繋がっています。
(ハツユキダカラ)



「子どもを大事にするとは、
 家に、子どもの居場所をつくること」

というおたより、素敵だなあ。

お子さんたちに、
無理に話しかけるわけでもなく、
ましてやこちらからボディタッチをしかけるわけでもない
お父さんは、

それでも、いつでも、

「子どもが話しかけてきたら聞くよ。」

「子どもがもたれかかってきたら
 甘えさせてあげるよ。」

と、気持ちも、体も、
お子さんのために空けてある。

これが、最後のおたよりにある、

「お子さんのために、いつでも
 自分の20%は空けておく」

ということなんだと思う。

いまはまだ自分のことでイッパイ、イッパイ、の
お子さんたちも、

この20%に、間借りしたり、癒されたりしながら、

やがて誰かに20%を与える余裕のある
大人に成長していかれるのだろうな。

意識も、時間も、100%ぜーんぶ自分に使って
しかも、イッパイ、イッパイ、の自分に気づかされる。

きょう、いまから、3%からでも、

まわりの大事な人たちを、
ほんとに大事にするために、

空けておける自分になりたいと私は思う。

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2016-11-16-WED

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