YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson795  心で見る色彩


「人には、女の子として見られるけれど、
 自分自身は、一度も、
 自分は女の子だと思ったことがない。」

先日、ワークショップで、
たいへん印象深い表現をされた方がいた。

その方、かりにAさんと呼ぼう、
Aさんは、

「自分は女の子だと思ったことがない」
という想いを、まわりの人に言うことなく、
高校までを過ごした。

Aさんの人生は、大学に入って一変する。

大学からは、

「自分は女の子だと思ったことがない」
ということを、まわりに伝え、
それをわかってもらったうえで、
人と関わり、交流し、生きていったという。

大学時代は、
高校までと、ここまでちがうかというくらい、
生き生きして、充実していて、
歓び深い世界だったという。

その変化をAさんは、

「世界に色がついた。」

と表現した。

「うそをついていた高校まで、
 知らぬ間に世界はどんどん色を失い、
 息苦しい灰色になってしまっていた」と。

私の頭に、
灰色の息苦しい映像が、
一瞬で、鮮やかなフルカラーになり、
あふれるほどの色彩が、
生き生きと、調和して、湧き立つのが見えた。

なんだか自分まで、初めて色を見たように、
じーんとした。

Aさんは、そこから、

「子どもたちに、うそをつかなくても生きていける
 ことを伝えたい。」

という志を持った。
Aさんは、たとえば小学校への講演など、
伝える活動を既にはじめておられる。

小学校や中学校、
高校や大学でも、Aさんの話を聞ける人は
しあわせだな、と私は思う。

次の日、

別のクラスで、まったく別テーマの
ワークショップをした。

ひとりの男性が、

発表するさい、
立ち上がって、こう言った。

「きのうの方が、
 “うそをつかない”、と言っておられたので、
 自分も、うそをつかずに発表します。」

その男性は、たまたま前日のワークショップに来ていて
Aさんのスピーチを聞いておられたのだ。

男性は、
辞めた会社の、上司への想いを、
最初は、無難にまとめようとしていた。

「積極的にうそをつくわけじゃないけれど、
 人前だから、ちょっとカッコつけて、
 きれいにまとめて、この場をやり過ごそう」、
という心理は、多くの人に、私にも、はたらきがちだ。

でも、前日のAさんの
「うそをつかなくても生きられるよ」
というメッセージが、
男性に焼き付いて、それを許さなかった。

ひとりが勇気をもって表現したことは、
そこで終わらない。
必ずだれかに伝わって、勇気の連鎖が起こる。

男性は、
自分の「逃げ」や、ずるさも、正直に認めたうえで
文章を書き上げており、
そのことで、ぐっと信頼感が増したように
私は感じた。

何より、

「うそをつかずに発表します。」

と発表しはじめた瞬間、
消えていた電球に、ポッと灯りがつくように、
男性の表情が明るくなった。
たたずまいに活気がたちのぼってきた。

聞いている私も、他の生徒さんたちも、
引き出されて、活気が出てきて、

「あ、いま、男性の世界に色がついているのだな」

「そして、この場も色彩を帯びているんだ」

と私は思った。

正直であることを、

文章表現においても最大の戦略だと
言ってきたし、やってきたつもりの私だ。

でも、日々のなかで、知らぬ間に、

うそとも言えない、ちいさなうそ、

たとえば、冷たくされた友達に、意地を張り、
プライドが傷ついて、怖気づいて、
好きなのに、そっけない態度をとったり、

とほほな自分を人に知られたくなくて、
日々ある出来事の、かっこよい部分だけを
ちょっと誇張して言ってみたり。

そんななかで、置いてきぼりにされ、
なかったことにされる自分の想いが、

少しずつ、少しずつ、世界に色を失わせている。

グレーではないものの、色に活気がない世界。

もういちど、正直になって、
私の世界、本来の鮮やかな色をとりもどす!
と初心に立ち戻れた。

「そうか、正直になる意味はこれだったんだな」

と私は思った。

正直になることはたいへんだ。

勇気が要る。

たいへんな勇気を出して正直になったとしても、
勇気は流用がきかない。

また別の場面では、1回、1回、
あらたな勇気を奮い立たせなければならない。

とくに、自分が何か悪いことをして、
うそをつかずに、人に打ち明けたとき、

そこから、
人に責められたり、嫌われたり、
償ったり、信頼を回復したりの
きびしい現実が待っている。

「正直になったからって、だから、
 なんだって言うんだよ!
 自分は、たいへんな勇気出して、
 正直に言ったのに、結果、責められるばかり。
 だったら、嘘ついてたほうがよかったんじゃあ‥‥」

という人に何と言ったらいいかと
ずっと思っていたけれど、

「色を見たいんだ!」

と、いまなら自分は切実に言える。

ただしここで言う色とは、心で見る色。

哀しい色や、希望の色、恋の色、嬉しい色‥‥。

人は、多様な色を
さまざまな感情の機微を
心を揺らし、味わいたい、と願う生き物なのだ。

うそをついて生きなければならない人もいる。

そのうそを一生、墓まで持って生きる決意の人もいる。

詐欺師のような大ウソつきも、

気弱なために、ついつい、自分に何の得にもならない
うそをついてしまう小ウソつきもいる。

大ウソつき、小ウソつき含めて、
全灰色の世界が、
一変して、鮮やかなフルカラーになるほど、
正直になるのは、

きょうは、ムリな人もたくさんいるかもしれない。

それでも、

ちっちゃく、部分的に、一色だけ、

色を取りもどすことは、
だれもができるんじゃないかと思う。

ウソとも言えない、ちいさなウソ、
それを、きょうは、つかないで、

「自分の世界に1色だけ、色をとりもどそう!」

と私は思う。

あなたがついついついてしまっているウソは、
なんですか?

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2016-09-07-WED

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