YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson786 読者の声
−先週の「いい顔するか、利他に向かうか」について



「どうも、人の顔色が気になってしまって、
 自分が出せない」

という人も多い。
そんなとき、

いい子の仮面を被る、という方向には行かず、
傍若無人にふるまう方向でもなく、

もっと積極的に、
もっと本質的に、
人に歓んでもらうために自分を生かす方向
いわゆる

「利他」

の道もあるなあ、
先週書いたところ、
読者から反響をいただいたので紹介する。

読者はどう考えたのか?


<現場復帰がうまくいかず>

「Lesson785
 いい子の仮面を被る前にできること」

今の自分に

「まっすぐ人のことを考えて、
 人が少しでもよくなるように、
 自分のできることをしていけばいいのだ」

という部分が刺さりました。

私は大学の体育会の運動部でマネージャーをしており、

先日留学から帰国し1年ぶりに活動に復帰しました。
1年ぶりとはいうものの、

練習メニューもすっかり変わっていたり、
新入生が増えていたりで

なんだか転校生のような気分。

そして、いくら自分が最高学年とはいえ、
マネージャー業も(もちろん)後輩の方が
手際よくこなしていました。

復帰して初めての練習、
その日は1日中ずっと緊張していて、
失敗もしてしまいました。

あれだけ居心地が良かった、
大好きな部活動だったのに

「あれ、何のために私かえってきたんだっけ‥‥」

とちょっと落ち込んでいたところです。

Lesson785を読んで、
マネージャーの基本を思い出すことが
できたような気がします。
一番大事なことは、

人のことを考えて動き、できることをやること。

この言葉で、肩の力が抜けました。
周りの気持ちを汲み、できることをしていく。
あと半年の活動となりますが、
いいマネージャーを目指し、もう一度奮闘してみます。
(ゆうきゃん・大学生)


<できない自分に必要以上にハマらず>

いい子の仮面に苦しんできたからこそ、
先週の内容が心に響きました。

「恐れて保身にまわるのか、尊重して利他に励むのか?」

いい子の仮面である、「○○であらねば」、
に縛られている間は、

受け入れられない、愛されない、という恐れ

から解放されません。
そこに、素の自分では、人から受け入れられない
という思い込みがあるからです。

長年いい子の仮面を被っていた
人間にとっては、

自分の本当の望みにつながることは至難の業です。

自分の望みとは別に、「○○であらねば」、を
優先することばかりをやってきたのですから。

悩みを抱え、私は、

4年ほど前から心理学を学び始めました。
カウンセラー養成カリキュラムとして
心理学ワークショップのアシスタントもやり、
そこで学ぶことは、

正に利他を身につける事です。

人からどう思われるのかを越えて、
自分を表現し、他人と繋がること。

出来ない自分に必要以上にハマらず、
その時に出来ることで貢献すること。

抱えている無価値感や罪悪感を乗り越えて、
自分自身を認めること。

本当の自分が何を望んでいるのか?
という、

「心の深い望み」

と繋がることができれば、
自分を人に役立てることは、
自然に出来るのだろうと思います。

利他がどれほど生きるのに大切なことであるか
理解したからこそ、
実践することができる、と私は思います。
(まい)


<学生さんたちの思いにふれて>

人のためにできることを実行することが、
開くことにつながる。という意見を読んで、
自分のぶつかっている壁を乗り越えるヒントを
つかんだ気がしました。
看護を目指す学生さんたちの思いにふれて、
自分の仕事への取り組みの甘さを反省しました。
(A.T)


<お金をもらって私が教えてもらっている>

利他と言うけど、
結局は一回りして利己になるんじゃないかな、

って思うんです。

私は福祉の仕事をして6年目ですが、
一度も利用者のため、
福祉のために仕事をしてるなんて
思ったことはありません。

自分のために仕事をしてる。

だから、自分のために、真剣になれるんです。
頑張って見返りがなくても、
諦めず続けられるんです。

障害のある利用者の皆さんに人間はどんなものか、
お金をもらって教えてもらっている。

そう思ってます。

たぶん、福祉が好きなのではなくて、
人間の生きざまを知るのが好きなんです。

おそらく、フライトナース目指している人もどっか、
人の為、というよりは
自分のために仕事をする覚悟
があるんだろうなぁ。

利他と利己は反対の意味ではなくて、裏と表。

そんな風に思いました。
(かえで)


<利他を見失わせるもの>

治療する仕事をしていると、
人の役に立つ仕事がしたいという若い人に
よく会うのですが、
それを聞くと、

反対に役に立たない仕事なんてないのに

という思いがわいてきます。
ですが、

相手の姿が見えにくい仕事はあるように思います。

人と接することが少ない仕事などでは、
役に立っている手応えが感じにくいでしょう。

それに、代わりがいくらでも居て、
自分でなくても別によいように感じてしまうと、
自分の価値が下がってしまいます。

医療や介護などは、
目の前の相手に否応なしに関わらないといけないですし、
少なくともその瞬間は代えが効かない自分でいられます。
リスクも伴いますがうまくいけば喜ばれます。

ですがそういう仕事でも、

回りのスタッフとの関係や、
職場の方針などで、

ただ患者さんのためにというわけにはいかないことも
あります。

ただ効率よく人数を回すことに追われ、
患者さんよりも回りのスタッフや上司の方に
目が向いてしまっている職場もたくさん見ました。

そういう所だと、
回りに自分はどう思われているのかとか、
その場にいるためだけに
余計なエネルギーを消耗してしまいます。

一番怖いのは、
回りに受け入れられることに気持ちをすり減らして、
利他に向かうことを見失うことでしょう。

どうやったら、
利他に向かう気持ちを損なわずにすむのか。

答えは分かりませんが、
仕事にはどこかに必ず利他に向かう道筋がある
と思えれば、少しは希望ももてそうな気がします。
(たまふろ)



「人さまに歓んでいただくレベルに達する」

というのは、
原稿1つ書くにしろ、
講演1つやるにしろ、
ほんとうに、厳しい、

と私は、近頃ますます実感している。

つい2日前も、
大学でスピーチをしたのだが、
外国人も多数いる観客に対して、
外国人のプレゼンテーション講師の指導のもと、

聞いた1人の人に届く伝え方を、
聞いた1人を心の底から奮い立たせるように、

と、準備していく過程は、
ちいさい自分の限界突破を、何度も何度も
積み重ねていくもので、
まさに「身を削る」ものだった。

これを「自分のために」のみやるとしたら、
私はとっくに降りていたろうと思う。

原稿書きのコリで肩と背中が悲鳴をあげるなか、
それでもがんばれたのは、

「これを聞いた1人の人の勇気になれ!」

何度も何度も、それを念じ、
当日までこぎつけることができた。

今回、この件に関しては、
私は、

「自分のスピーチを受け取るであろう1人の他者」

の存在がなかったら、
やり通せなかった。

他者がいるから頑張れた。

だが、終わってみれば、
ものすごく自分のためになっていて、
そこは全く想定していなかったので
とまどっている。

他者を利することが、自己を利する。

利他と利己が、表と裏なら、

まるで1まいの布のごとく、
裏地が強くなれば、表地もしっかりするし、
表が広がったら、裏も広がるのだなあ。

さいごにこのおたよりを紹介して
きょうは終わろう。


<人に良いことを実行していく>

今、会社の人間関係が
仕事に影響するくらいこんがらがっています。
どうしようかと悩んだ時、

自分に出来ることを考えました。

出た答えは、

お客様と周りの人のために良い事は、
自分の嫌な感情はとりあえず横に置いて、
良い事に焦点を当ててニュートラルな気持ちで実行する、

ということでした。
このスタンスで仕事を始めてから、
前よりも周りからどう思われるか考えなくなってきて、
心がひらいてきた気がします。

少しずつですが状況が変わってきてますので頑張ります。
(ぐう 36才)


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2016-06-29-WED

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